第54話 針の白
白は、面じゃなかった。
あれは――刺す。
影走りの二名が、巡礼路の外縁を滑るように進んだ瞬間だった。
「……っ」
空気が変わる。
聖印粉の匂いが鼻の奥に刺さり、足元の影が“輪郭”を持ち始める。普段なら粉は、撒かれた場所を避ければいい。だが今日は違った。
避けたはずの縁から、白い線が伸びた。針みたいに細く、鋭い。
「影が浮く――!」
もう一人が叫ぶ前に、短杭の点群が同時に反応する。
面じゃない。点が点のまま、互いを呼び合って、影の逃げ道だけを潰す。
影走りは方向を変えた。
だが“逃げる方向”へ白が先回りして刺さる。
地面が白く焼ける――というより、そこだけ聖域が立つ。
壁だ。薄いのに、抜けられない壁。
「撤っ――!」
レアの声が遠くから飛んだ。
二人は影に沈む。沈みきれない。沈む途中で引っかかる。針が、影の腹を引っ掛ける。
絶縁繭が投げ込まれた。
白の縁と影の縁の間に、糸が落ちる。隔てるための“膜”。その一瞬だけ針が鈍った。
その隙に、影走りは転がるように逃げた。
致命傷は無い。だが、脚が震えていた。影が、いつもの“味方”じゃない。
「白が……点で刺してきます」
息を切らした報告が、魔王軍の前線拠点に落ちる。
俺――影山ショウマは、目を閉じて線を見る。
因果は、束ねられ始めていた。
主幹柱が鈍っているはずなのに、局所だけが異様に明るい。針の白。あれを支えているのは、器だけじゃない。
「……台座がある」
器(装着者)の周囲に、祈祷役。聖油導体。短杭の点群。護衛。
点を点として成立させるための“セット”が、きっちり組まれている。
つまり――殺すべきは命じゃない。
回路だ。
「器を狩るな。器を孤立させる」
俺が言うと、ミラがすぐに噛み砕いた。
「点を、点にできない状態へ落とす。供給を切る」
凛とした声が会議の中心になる。迷いがない。迷うほど、時間が無い。
レアが頷く。
「交代点を押さえれば、祈りが途切れます。声も、札も」
影走りが刺されるなら、刺される前に“仕組み”を抜く。
エヴェリナが穏やかに微笑む。
「導体は……乾かせばよろしいですね。燃やさず、塞いで、分ける」
母性的な言い方なのに、手段は容赦がない。工程停止の達人だ。
ドルガが肩を回す。
「押さえは任せろ。殺さずに殴って寝かせるのは、得意だ」
言い方は荒いが、意味はちゃんと軍規の内側だ。
俺は線の集約点を指した。
「器は、ここから三つの支えで立ってる。祈祷交代点、導体の合流、短杭の点群――どれか一つじゃ足りない。三つを同時に外せ」
「同時に、か」
ミラが短く息を吐いた。
「なら、今夜。窓が閉まる前に」
作戦は小さい。だが、刺さる。
刺さる白に対して、回路を抜く。針の根元を折る。
――夜。
祈祷交代点は、巡礼路の脇に作られていた。
仮設の幕屋。香。蝋燭。祈りの言葉。護衛の聖騎士。聖印粉の線引き。
レアは“滑らない”ことを最初から前提にした。
影に沈むのではなく、影の端を歩く。刺されない距離を保ち、相手の視線を誘導する。
護衛が振り向く。
そこへ、エヴェリナの絶縁繭が落ちた。
糸が絡む。足首、膝、肘。
関節が固まり、声が詰まる。呼吸は残す。意識は奪わない。暴れる力だけ奪う。
「……っ、っ……!」
祈祷役が口を動かす。だが言葉が続かない。
祈りは“継続”が命だ。途切れた瞬間、回路はただの線になる。
レアが札を抜いた。
命令札。更新札。交代の記録。
白い手袋越しに、その紙が汗ばんでいるのが分かった。
「……焦ってる」
レアが呟く。
紙の文字が、墨なのに熱い。
次。導体。
聖油は燃やせば早い。だが燃やせば憎しみが増える。
俺たちは燃やさない。抜く。塞ぐ。分ける。
ドルガ隊が、導体の“継ぎ目”を押さえた。
石の溝に流れる油を、別の溝へ逃がす。戻らない方向へ。
樽は奪わない。樽を倒して空にする。運び手は縛って寝かせる。
「こんな……こんなやり方が……!」
拘束された運び手が唸る。
怒りがある。恐怖がある。だが、死は無い。
俺は結界を張った。
見えない壁を、導体の合流点にだけ立てる。油が流れる“意味”を失わせる壁。
流れようとして、止まる。
止まるから、逆流する。
逆流するから、現場は混乱する。
短杭点群は、最後だ。
面にされる前の点群は、点のままなら脆い。
俺たちは杭を全部壊さない。壊せば新しく打ち直される。
代わりに、点を繋げない配置へ崩す。
エヴェリナの糸が、杭と杭の間を“絶縁”する。
点は点で残るのに、面にはならない。
復旧しようとすると、どこから繋ぎ直すべきか分からなくなる。
――そして、針の白が反応した。
遠くで、白が立ち上がる。
面じゃない。点でもない。針だ。
影走りの退路を、刺すために。
「来るぞ!」
ドルガが叫ぶ。
白い線が、夜の闇を裂く。
刺さる方向が分かる。分かるから怖い。避けるだけでは、次が来る。
「ショウマ!」
レアの声が鋭い。
俺は結界操作を滑らせた。
針が“刺さる方向”を限定する。
避けるためじゃない。刺させる場所を決めるためだ。
白が、指定された地面に刺さる。
そこだけが明るい。そこだけが聖域だ。
そして、そこから先には伸びない。
「……鈍った」
レアが息を呑む。
祈祷交代点が止まっている。
導体が乾いている。
短杭の点群が繋がらない。
針の白は立っているのに、支えが無い。
支えが無い針は、ただの光だ。刺せない。維持できない。
それでも、白は消えない。
器は残っている。
つまり教会は、組み直してくる。次はもっと学習した形で。
撤収。
捕虜は置いていく。縛ったまま、呼吸を確保し、水も残す。
俺たちは“悪”だが、無意味な死体は増やさない。
戻って、札を開く。
そこには“運用”が書かれていた。
外殻の護衛再編。祈祷役の交代頻度。導体の二重化。短杭の予備。
つまり、教会は刺す白を“現場仕様”へ落とし始めた。
俺は線を見て、顔をしかめた。
一点だけじゃない。
別の場所にも、薄い集約が芽を出している。
「……増える」
俺の声は低くなった。
ミラが迷わず言う。
「なら、増える前に回路を折ります。次の窓へ」
硬い声。けど、その硬さは折れない。
白は刺す。
だから俺たちは、刺す前に台座を抜く。
針を折るんじゃない。
針が立てなくなるように、地面を変える。




