第53話 窓を噛む
魔王城の会議室は、いつもより静かだった。
勝ったからではない。勝ったのに、空気が重い。
「主幹柱の出力低下は継続。前線の聖域帯は、面が育ちきらず揺らいでいる」
グルド・ロウ=ドゥーンが、更新札を指で弾いた。乾いた音が机に残る。
ミラ=ザス・マギアは背筋を伸ばしたまま、頷く。
寝台の奥で眠る魔王の気配が、薄い壁越しにある。だからこそ、彼女は迷えない。
「……混乱は好機です。ですが、掃討は激化します」
レアが先に釘を刺した。影走りの長は、感情を抑えて事実だけを落とす。
「前倒しだな」
ドルガが腕を組んで笑う。武人の笑いは、安心を配るためのものだ。
俺――影山ショウマは、机の端に座って線を見る。
因果は、戦場全体を蜘蛛の巣みたいに張っていた。教会の血管が鈍り、枝の先で渋滞が起き、焦りが命令として降りる。
そして、それに合わせてこちらの線も動き出している。
「“窓”が開いた」
俺が言うと、ミラの視線がまっすぐ刺さる。
「開いた窓は、すぐ閉まります」
「閉める前に指を挟む。噛みちぎるんじゃない。止血点を押さえる」
俺は言葉を選ぶ。破壊じゃない。機能停止だ。俺の“悪”はそこにある。
「具体案を」
ミラの声は硬い。けど、その硬さは恐怖じゃなく責任だ。
「教会は混乱を“掃討の強化”で誤魔化す。つまり、現場は動こうとする。でも血管が死んでる。なら、動こうとした瞬間に“回路”を止める」
俺は地図の上に指を置いた。巡礼路第七線から派生する補給線。橋、倉庫、祈祷交代点。
「ドルガ。北の峡谷を使え。橋は落とすな。塞げ」
「塞ぐ、か」
「車輪が回らない形にする。荷を積ませない。人を殺さず、道だけ殺す」
ドルガは頷き、豪快に笑った。
「了解だ。面倒は見る。作業員は縛って寝かせておく」
「レア。影走りは“札”を奪う。命令札だ。現場の更新は命だ。更新を奪えば、彼らは自分の脚を撃つ」
「承知しました」
レアの返事は短い。最近、殿癖が減った。責任感が前に出ている。
「エヴェリナは?」
ミラが問う。
「繭で、通路を“絶縁”してもらう。短杭面を育てないための遮断。あと、食糧線は逆に太くする。こちらが先に息切れしたら終わりだ」
「ふふ。承りました」
母性的な声が、会議室の角から落ちる。穏やかなのに圧があるのは相変わらずだ。
最後に、ミラが俺を見る。
「あなたは」
俺は線をもう一度見る。
主幹柱は、確かに“止まっている”。だが教会は、止まったままにはしない。代替を立てる。回路を組み替える。
そして――一点だけ、異様に太い線が生え始めていた。
「俺は“次の心臓”を見る」
俺は言った。
「主幹が鈍っても動くための中継だ。たぶん、外殻……器を中心に、白を束ねる回路が生まれる」
ミラは息を止め、それから頷いた。
「攻勢に出ます。軍規は維持。無差別殺害は禁止。拘束と停止で折る」
「“悪”は、やることを選ぶ」
俺も頷く。
そして会議は終わった。静かなまま、全員が動き出す。
――前線、北方の峡谷。
霧が濃く、岩肌が冷たい。ここはドルガの庭だ。
「よし。橋を落とすな。落としたら復旧できる」
ドルガは部下に指示を飛ばす。
「落とさず、塞げ。車輪が通れない形で止めろ。積み荷は下ろして端に寄せろ。火は使うな。燃やせば憎しみが増える」
魔族の兵は、指示通りに動いた。
巨木を転がし、石を積み、縄で括る。
ただの障害物じゃない。人が死なない位置に作る“詰まり”だ。
やがて、教会の運搬隊が来た。白い旗、祈祷役、護衛の聖騎士。
彼らは詰まりを見て叫び、祈り、怒鳴り、最後に剣を抜いた。
「魔族だ! 退けろ!」
「祈りを! 短杭が届かぬ!」
ドルガは前へ出ない。
矢も撃たない。
代わりに、低い声を響かせた。
「動くな。道を塞ぐだけだ。引き返せ。命は取らん」
聖騎士は、それを信じない目をした。
信じないまま、突っ込もうとする。
その瞬間、足元の岩が崩れ、馬が躓く。縄が絡み、荷車が斜めになる。
致命傷にならないように計算された“事故”が、連鎖した。
「くっ……!」
聖騎士が立ち上がる。剣を握る手が震えている。
怖いのは魔族じゃない。
“進めない”という現実だ。
ドルガは肩をすくめた。
「ほらな。通れん。引け」
運搬隊は引いた。
怒りを残して。恐怖を残して。
それでいい。憎しみは、教会の内部へ向かう。現場は上を恨む。上は現場を叱る。回路はさらに詰まる。
――同じ頃、別の点。
レアの影走りが、司令札を奪っていた。
短杭の更新点。祈祷役の交代所。
聖印粉が撒かれ、足跡が白く浮く。だが面が育っていない。白の縁が薄い。
そこを、影は滑る。
「……止まってる。主幹が、鈍ってる」
レアは独り言のように言い、次の瞬間、司祭の手元から札を抜いた。
「な――!」
叫びが上がる前に、絶縁繭が足元に落ちる。
糸が絡み、関節が固まる。殺さない拘束。呼吸は残す。声は奪う。
奪った札には、教会の焦りがそのまま墨になっていた。
面制圧の催促。回収命令。掃討の強化。
そして見慣れない符丁が、更新の端に増えている。
レアは眉をひそめた。
「外殻……器……」
彼女はすぐ撤退した。
札は、俺のところへ届く。
――俺は前線の影で、線を見ていた。
因果閲覧は便利だ。だが便利なほど、嫌なものも見える。
教会の線は乱れている。乱れているが、折れていない。
むしろ、乱れを“束ねよう”としている。
束ねる先――一点に、太い線が集まり始めた。
そこには“人”がいる。
人の形をした核だ。
白がそこへ流れ、祈りがそこへ絡み、短杭の面がそこへ従う。
「……来るな」
俺は小さく吐き捨てた。
俺の“悪”は、無意味に殺さない。
だが、あれは――人を素材にしてでも回路を維持する“正義”だ。
線の先で、白が一瞬、立ち上がった。
主幹の広い白ではない。面でもない。
針みたいに細く、鋭く、まっすぐな白。
遠景の丘の上。
祈祷役の列の中心。
そこだけ、昼のように明るい。
影走りの報告が遅れて届く。
「……対影の反応が、異常に鋭い箇所があります。白が一点で立っている」
俺は目を細めた。
線は、そこへ集まっていく。
人の因果が、削られながら束ねられていく。
「器だ」
俺は言った。
誰かが、前へ出された。
窓は、まだ開いている。
だから今は噛む。止める。折る。
そして次は――その一点の白を、殺さずに黙らせる方法を探す。
俺の“悪”は、そこから始まる。




