第50話 心停止――白が鈍る
警報の鳴動が、骨の奥まで響いてくる。
音じゃない。空間そのものが震えている。
主幹柱の周囲――回路の中心で、ショウマたちは挟まれかけていた。
外周から迫る鎧の擦れる音。短杭が打たれる乾いた木音。
白い灰――聖印粉が撒かれる気配。
「面が来る」
影走りが指で合図した。
レアが即座に前へ出る。
「走る。私が筋を作る」
殿の癖を押し込めた声だ。
“役割”の声。
リュシエンヌは微笑みを崩さないまま、半歩前へ。
瞳の赤が濃くなる。
だが、圧は出さない。約束がある。
ショウマは弓へ手を伸ばしながら、結界の膜を張り替えた。
壁じゃない。
「追う意味」を薄くする膜。
「合流の意味」を薄くする膜。
「叫びが届く意味」を薄くする膜。
全部、薄く。全部、一拍ずつ。
それで十分だ。
「……こっちだ」
レアが回路の外縁へ滑り、点検通路へ抜ける。
追手が叫ぶ。
「侵入者! ここに――!」
その声は、森へは飛ばない。
結界が“届く意味”だけ吸って落とす。
だが追手は狩り慣れている。手順戦だ。
叫びがなくても、短杭が刺さる。白が繋がる。面が伸びる。
(逃げるだけじゃ詰む)
(ここで“止める”しかない)
ショウマは一瞬だけ、背後――主幹柱を見る。
柱の外縁に、昨日仕込んだ影印杭ミニ網。
絶縁繭を被せた、二本の杭。
置いてきた“仕込み”が、今もそこにある。
触れれば、止められる。
「ショウマ!」
レアが振り返る。
「離れて!」
ショウマは答えない。
代わりに、短く指示だけ落とした。
「レア、通路の口を押さえろ。殺すな。落とせ」
「影走り、外周を一拍遅らせろ。粉を踏むな」
「リュシ……一拍だけでいい。俺が戻るまで“詰み”を作るな」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「承知しておりますわ。影の魔将殿」
その返事を背に、ショウマは逆走した。
◇
主幹柱へ戻る一歩ごとに、聖圧が重くなる。
肺が押される。視界の端が白む。
だが――怒りは冷たい。
冷たいまま、折れない。
柱の前に滑り込んだ瞬間、短杭の点が一つ繋がりかけた。
白い面が、回路へ伸びる。
「面を張れ! 逃がすな!」
鎧の擦れる音が迫る。複数。
ショウマは《結界操作》で、床の溝へ薄い膜を敷いた。
「繋がる意味」を一瞬だけ殺す。
白い面が、伸びる途中で“息切れ”する。
そして――柱へ掌を当てた。
今度は、迷わない。
(止める)
掌の下へ、世界の流れが集まってくる。
重い。濃い。熱じゃないのに、圧だけで吐きそうになる。
ショウマは結界で“向き”を捻った。
集めて、配る。
その「配る」の意味だけを殺す。
送信を止める。
配布を止める。
心臓を、心臓のまま“詰まらせる”。
柱が、唸った。
白い脈が一拍、乱れる。
二拍、鈍る。
三拍――鈍りが戻らない。
周囲の空気が、目に見えない形で“沈む”。
聖圧が、痩せる。
「……っ、何だ!?」
「主幹の出力が――!」
「祈りを繋げ! 油を回せ!」
叫びが増える。
だが増えたところで、配れない。
心臓が止まりかけている。
ショウマは掌を離さず、もう一つだけ仕上げを入れた。
回収不能化。
破壊ではない。
“戻せない”形にする。
影印杭ミニ網へ、《結界操作》で「外す意味」を殺す。
杭は杭のまま残る。
だが、引き抜いて元に戻すという手段だけが死ぬ。
(再起動に時間がかかる)
(時間を奪う。それが俺の悪だ)
柱の脈が、さらに鈍った。
白い柱の周囲を巡っていた光が、弱くなる。
回路の溝を走っていた白が、細くなる。
――白が、鈍る。
ショウマはようやく掌を離し、振り返った。
面が伸びる速度が落ちている。
追手の足運びも、僅かに重い。
(効いた)
だが、ここからが地獄だ。
止めたのは勝ちじゃない。
止めた瞬間、全員がこちらへ牙を向ける。
「侵入者はそこだ!」
「殺すな! 捕らえろ!」
「――いや、殺せ! 主幹に触れた!」
命令が割れる。
混乱が、手順戦を歪ませる。
ショウマは弓を引いた。
狙うのは喉でも心臓でもない。
足元。肩。手首。
動けなくする位置だけ。
矢が飛び、鎧の継ぎ目へ刺さる。
追手が膝をつく。倒れる。
死なない。だが追えない。
その間に《結界操作》。
壁を作らない。
“最短の意味”を殺す。
最短で追おうとした足が、自然と遠回りになる。
出口が見えた。点検通路。
レアたちの方角。
◇
通路の口は、すでに戦場だった。
白い灰が舞い、床に薄い線が浮く。
聖印粉が、結界の縁を炙っている。
レアは前に立ち、短剣で“殺さない殺し方”を徹底していた。
手首を落とすように打ち、顎を固定し、呼吸を落とす。
倒す前に受け、置く。
影走りが背後で支え、縛る代わりに結界の膜へ押し込む。
枷はない。不可視の拘束。寝食の問題もないやり方。
リュシエンヌは一歩も踏み込まず、ただ一拍だけ夜を落とす。
踏み込みが鈍る。
詰みがほどける。
それ以上はしない。約束を守っている。
ショウマが戻ると、レアが短く言った。
「止めた?」
「止めた」
ショウマは即答した。
「白が鈍った。今が逃げ時だ」
レアが頷く。
「走る」
その瞬間、追手の中の誰かが“手順を捨てた”。
面制圧を無理に押し込み、白い圧を一点に集める。
「囲め!」
「ここで潰せ!」
白が、壁になりかける。
道が削られる。
ショウマは《結界操作》で、その白を“反転”させた。
締める意味を、追手側だけへ。
白い圧が、こちらの動線ではなく――追手の動線を殺す。
「な――!」
「足が……!」
一拍。
それで足りる。
レアが先に滑り出し、影走りが続き、リュシが微笑んだまま最後に付く。
ショウマは殿ではない。
殿は役割のレアだ。だが今日のレアは“殿で死なない”。
最後、ショウマが結界を畳んだ。
主幹ノードの圧が、遠ざかる。
白の重みが、確かに軽くなる。
◇
森へ戻った。
息が、戻る。
胸の針が、鈍る。
ショウマは立ち止まらずに言った。
「これで巡礼路は鈍る。短杭も育ちにくい」
「聖骸核の回転も落ちる。……落ちてほしい」
レアが一度だけ息を吐いた。
「勝った?」
「勝った、じゃない」
ショウマは淡々と答える。
「“止めた”。だから次が来る」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「次の夜が、楽しみですわ」
言葉は甘いのに、目は夜だ。
レアが腕を強く組み直す。
ムッとする感情を押し込み、前を見る。
今は揉めない。勝った後ほど危ないから。
影走りが指で合図する。追手はまだ動いている。
だが足取りが乱れている。
手順戦が崩れた。
心臓が鈍ったせいで。
ショウマは冷たく言った。
「帰る。ミラに報告する」
「“心臓は止まった”ってな」
◇
同じ頃。
聖教会側。
主幹柱の周囲で、祈り手が青ざめていた。
唱和が揃わない。
聖油の巡りが遅い。
短杭が繋がっても、面が太らない。
「……おかしい」
「出力が、戻らない」
「聖骸核の反応が……鈍い……!」
司祭が震える手で聖印板を押さえ、叫ぶ。
「祈れ! 祈りを切らすな!」
だが祈りは万能じゃない。
心臓が詰まっている。
そこへ、セルベルトが現れた。
顔は穏やか。声は静か。
静かなまま、背筋が冷たくなるタイプの司祭だ。
「騒がないでください」
「これは偶然ではありません。敵は“主幹”へ触れました」
現場の聖騎士たちが息を飲む。
あり得ない。
あり得ないはずだった。
「……対処は?」
誰かが問う。
セルベルトは微笑んだ。
「対処します」
「巡礼路の回転が鈍るなら、光を“器”へ集中させればいい」
そして、淡々と言い切った。
「外殻計画を前倒しします」
「装着者優先度A。……坂上マサト様を、前へ」
その名が出た瞬間、空気がざわめいた。
聖都の奥でぬくぬくしていた“象徴”が、戦場の現実に引きずり出される。
遠くの廊下で、使いの者が走る足音がした。
呼び出し。
儀礼の準備。
主幹の白が鈍った夜。
聖教会は、別のやり方で光を濃くしようとしていた。




