第48話 血管遮断――聖油の喉
外周の灯が増えた。
短杭の面制圧が始まっている。白が、育ち始めている。
「間に合う?」
レアが低く問う。
「間に合わせる」
ショウマは息を吐き、《結界操作》の膜を薄く張り直す。
消す膜じゃない。輪郭を削って森に馴染ませる膜。
今日の目的はひとつ。
心臓へ行く前に、血管を切る。
流れを止める。
◇
主幹ノードの裏手。
搬入口――補給扉。聖油と祈祷具と聖印粉が出入りする喉。
ここを塞げば、短杭の面は育たない。祈りの手順も鈍る。
レアが影走りに目配せする。
左右へ散る。合図は最小。
相手は手順戦で回している。だからこちらも手順で崩す。
見張りは二人。軽装。だが油断がない。
壁際に撒かれた白い灰――聖印粉が、微かに光っている。
結界の縁を炙るための粉。触れれば、輪郭が出る。
「踏むな」
ショウマが小さく言う。
「粉は“目”だ」
「分かってる」
レアは短く答え、足場を選ぶ。
倒木の上、石の縁、粉の切れ目だけを辿る。
動きが綺麗だ。速いのに、音がない。
見張りの背後。
レアが顎を固定し、呼吸を奪う。倒す前に受ける。音を出さない。
影走りがもう一人を同じ型で無力化。
殺さない。落とす。置く。
ショウマは扉に手を当て、《結界操作》で「閉じている」を抜いた。
錠前が静かにほどける。金属音は、膜が吸った。
中は、白い。
白いだけじゃない。重い。
聖圧が室内で跳ね返り、肺の奥が押される。
だが目的地はそこじゃない。
棚と桶。聖油。祈祷具。聖印粉。短杭束。
流すための部材が揃っている。
「喉だな」
ショウマは低く言った。
「ここが詰まれば、心臓は鈍る」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ。喉を締めるのは得意ですのに」
「今日は締めすぎるな」
ショウマは短く切る。
「抑え最小限。騒ぐと面が加速する」
「従順ですわ」
リュシは半歩下がり、圧を落とす。待機の顔。
◇
血管遮断は、同時にやる。
一本だけ切っても、教会は別の血管を繋ぎ直す。
だから三つ折る。
一つ目。搬入口の停止。
二つ目。聖油の供給を空回りさせる。
三つ目。短杭設営の“育つ意味”を殺す。
ショウマは桶へ指先を向け、結界を薄く敷いた。
燃やすための油。巡礼路を通すための導体。
教会側にとっては「流す」もの。
なら、その“流す意味”だけを殺す。
油は油のまま残る。物は壊さない。
ただ、供給線として機能しなくなる。
扉の外――遠くで短杭が打たれる音。
コツ、コツ、と規則的な木音。
点が増え、面が育つ合図だ。
ショウマは息を吐き、森全体に薄い膜を広げる。
短杭から短杭へ繋がる「面にする意味」を、部分的に噛ませない。
完全に潰せば気づかれる。だから“鈍らせる”。
面が育つのに、時間がかかる。
祈祷役が焦る。
焦れば、手順が乱れる。
乱れれば、盲目化で抜いた“癖”が刺さる。
「……白が、乗らない」
扉の外で、誰かの声がした。
「油が足りないのか?」
違う。油はある。
ただ、“通らない”。
レアが扉の隙間から覗き、短く言う。
「設営班が詰所へ戻ろうとしてる。補給に来る」
「来させる」
ショウマは頷いた。
「来たら、喉が詰まってるのを見て慌てる。そこを抜く」
影走りが配置につく。
レアが前に出る。
ショウマは膜を整える。
リュシは、一歩も動かない。だが視線だけが鋭い。夜だ。
◇
足音が来た。
二人。軽装。杭束を背負っている。
祈祷役はいない。現場に残している。手順戦の合理。
補給扉の前で、二人が眉をひそめた。
「……閉まってない?」
「誰が開けっぱなしに――」
そこまで言った瞬間、レアが背後に立っている。
顎固定。呼吸奪い。
倒れる前に受ける。音が出ない。
もう一人は反射で振り返り、叫びかけた。
だが声の“届く意味”をショウマが薄く殺している。
声が、森の中で落ちる。
影走りが腕を取って無力化。
殺さない。落とす。置く。
「補給が止まったのは、すぐバレる」
レアが低く言う。
「バレていい」
ショウマは淡々と答えた。
「バレた時点で、血管は切れてる。繋ぎ直すには時間がかかる」
その時、遠くで祈祷の声が強まった。
詰所側が気づいた。手順が“速く”なっている。
焦りが手順を押す音。
そして――白の圧が一段、跳ねた。
主幹柱が、脈を強く打つ。
補うために回す。供給を増やす。
心臓が無理をする時の動きだ。
(来た)
(ここが効く)
ショウマは結界を一枚重ね、主幹へ向かう流れの“向き”を捻った。
供給の矢印だけをズラす。
短杭面へ行くはずの白が、空回りして外周へ漏れる。
漏れた白は、囮終点へ寄る。
敵の目も、そこへ寄る。
胸の針が、僅かに引かれた。
主幹ではなく外縁へ。
標がズレる。追跡の意識がズレる。
「……効いてる」
レアが小さく言う。
外周の見張りの火が、一つ、そちらへ動いた。
◇
だが、良いことばかりではない。
白が漏れた分、森の中の聖圧も揺れる。
揺れは、敏い者に見える。
「結界が……」
遠くの声。
「揺れた。そこだ」
掃討隊の足音が混じった。
軽装の走りではない。鎧の擦れる音。
迷いがない。狩りの歩き方。
「来る」
影走りが指で合図する。
リュシエンヌが上品に微笑んだ。
「まぁ。お迎えが早いこと」
「止めろ」
ショウマは即座に言う。
「圧を落とすのは“一拍”だけ。やりすぎるな」
「承知しておりますわ」
リュシは貞淑に頷き――一拍だけ、夜を落とした。
空気が、沈む。
追手の踏み込みが、ほんの一瞬だけ鈍る。
足が止まるほどではない。だが、詰まる。
その一拍で、ショウマは桶の蓋を閉め、結界の意味を固定した。
ここは“流れない”。
ここは“喉が詰まったまま”。
レアが無言で先に出る。撤退線を作る動き。
殿の癖が出そうになるが、押し込めている。役割の顔だ。
◇
森へ滑り出る。
背後で声が上がった。
「補給が空だ!」
「油が……通っていない!」
「短杭が繋がらん!」
白が痩せる。
面が育たない。
心臓が強く打っても、血管が詰まっている。
――その瞬間。
主幹の白い柱の脈が、一拍だけ乱れた。
見える者には見える程度の、わずかな乱れ。
だがショウマの因果視界では、はっきり“詰まり”として映った。
(効いた)
(心臓は、鈍る)
だが同時に、灯が増える。
敵も理解した。
これは偶然じゃない。誰かが“喉を締めた”。
「……見られたな」
レアが低く言う。
「見られていい」
ショウマは前を見た。
「血管は切った。次は心停止だ」
リュシエンヌが上品に微笑み、ちらりとショウマの手袋を見る。
言葉にはしない。だが匂わせはある。
レアが腕を強く組み直す。
ムッとした感情を押し込め、前へ進む。
揉める場面じゃない。今は、窓が閉じる。
遠くで、警戒の祈祷が強まった。
白が濃くなり、面制圧が速度を上げる。
教会が本気になる音。
ショウマは冷たく言った。
「心臓は見た。血管は切った」
「次で止める」
攻勢の夜は、もう引き返せない。




