第47話 盲目化――目を潰す夜
今夜が一番薄い夜だ。
ミラの言葉を背に、ショウマたちは魔王城を出た。
森へ入った瞬間、空気が変わる。湿り気、獣の匂い、土の冷たさ。
そして――聖圧。遠いのに、胸の奥を押すような白の圧がある。
主幹ノード。心臓。
あそこへ近づくほど、影は薄くなる。息が浅くなる。
「……灯が増えてる」
レアが呟いた。見張りの火が、前回より明らかに多い。
「窓が閉じ始めてる」
ショウマは《結界操作》で薄い膜を張った。壁じゃない。輪郭だけを削る膜だ。
消すのは無理だ。ここは聖域帯が濃い。だから馴染ませる。
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ。白が元気ですのね」
「感想は後。今日は目を潰す」
ショウマは短く切る。
「破壊しない。派手にもしない。癖を抜いて、次の穴を作る」
「従順ですわ」
リュシは半歩下がり、余計な圧を出さない。待機に徹する顔だ。
影走りが二名。足音を消すのが仕事の者たち。
そしてエヴェリナの蟲が一匹――いや、見えるだけで数はもっといる。森の呼吸に紛れて、外周へ先に散っている。
◇
山腹の陰。木々の隙間から、心臓ノードの外周が見える。
石壁が幾重にも回り、内側に塔が三つ。中心に白い柱。
柱の周囲を光が巡り、巡礼杭の線がそこへ集まっている。脈だ。血管だ。
視界の端で、白い粉が舞った。
追手が撤退戦で使っていたのと同じ――聖印粉。
(対影装備が、常備になってる)
(ここから先は、狩場じゃない。狩場を潰す側の領域だ)
影走りの一人が指で合図する。
巡回、三。短い。交代、一定。合図がなくても動く手順戦。
ショウマは胸の“針”を意識する。
近づくほど、針が白へ引かれる。
それを逆手に取る。引かれる先をズラせば、敵の目もズラせる。
「短杭の設営班、動いてる」
レアが言う。目線の先、二人組が杭束を抱えて歩いていた。
その背後に祈祷役。油壺。聖印板。
短杭は点だ。点を繋げば面になる。面になれば、影は死ぬ。
「設営点を特定する」
ショウマは低く言った。
「三つ。多分、外周に三角で張る」
糸線のように、エヴェリナの情報が頭に入る。蟲が見ているものが、こちらにも落ちる。
――設営点:東側の岩棚/南の倒木帯/西の沢上
――祈祷役交代位置:外周詰所
――搬入口:裏手補給扉(聖油・祈祷具)
「……三つ」
影走りが息を飲む。
「面にする気だ」
「面にさせない」
ショウマは淡々と答えた。
「だから今日は“目を潰す”。明日、白が増える前に」
レアが頷く。
「動く」
◇
最初の仕事は、触らずに見ることだ。
だからこそ、無力化は最低限。
東側の岩棚。設営班が一度止まり、祈祷役が油を撒く。
その瞬間、地面の白が濃くなる。短杭が刺さる予定の“地ならし”だ。
(ここが一点目)
南の倒木帯。ここは視界が悪い。だからこそ短杭が効く。
祈祷役が何かを唱え、軽装の者が杭束を置いた。
(ここが二点目)
西の沢上。水の音がある。足跡が流れる場所。だから普通は追跡が難しい。
――逆に言えば、短杭で面を張れば、追跡を“成立”させられる。
(ここが三点目)
ショウマは心の中で点を結ぶ。
三角。外周面。これが完成すれば、こちらの隠密は一段死ぬ。
「祈祷役の交代位置も見えた」
レアが戻ってくる。声は小さい。
「外周詰所。一定の時間で交代。合図じゃなく手順で回してる」
「合図を殺しても無駄、ってやつだ」
ショウマは歯を噛む。
「なら、手順の“次”をズラす」
影走りが戻り、指で示す。
搬入口。補給扉。油と板と粉が出入りする裏動線。
そこを止めれば、B(血管遮断)が刺さる。
今日の成果は揃った。
だが、もう一つ欲しい。
“更新札”。命令の細部。締切の正確な文字。
◇
巡回が近づいた。
先頭は鎧が違う。装備が整い、動きが速い。副長格だ。
レアが目だけで合図する。
いける。いまなら一人だけ抜ける。
ショウマは結界を薄く捻った。
音の“届く意味”だけを削る。叫んでも、遠くへ飛ばない膜。
レアが影になった。
背後へ回り、顎を固定する。呼吸の通り道を潰す。
倒れる前に、影走りが支える。音を立てない。
副長格の身体が、森へ吸い込まれた。
巡回の残りが足を止める。
「……今、何か」
だが判断が遅れる。叫びが広がらない。
ショウマが結界で“疑う意味”を一拍だけ薄くした。
疑いが形にならない。確認が遅れる。
その一拍で、こちらは離れる。
◇
森の深部。音の漏れない結界の中。
副長格は目を開け、歯を食いしばった。
「魔族……」
「魔王軍の影の魔将だ」
ショウマは椅子から動かない。
「お前らが言うところの極悪人だ」
副長格が反射で飛びかかろうとする。
だが動けない。枷はない。不可視の結界が、関節の“動く意味”だけを抑えていた。
膝から崩れ、悔しそうに呻く。
「……結界、か」
「そうだ」
ショウマは淡々と言う。
「今日は雑談と簡単な質問だけ。時間がない」
副長格が唾を吐く。
「舐めるな」
「舐めてない。締切を確認するだけだ」
ショウマは相手の腰袋を抜く。更新札。命令札。聖印板の控え。
紙の擦れる音は、結界が吸った。
ショウマが読む。
文字の意味が因果に沿って入ってくる。
そして、確かにあった。
――明朝までに外周“面”完成
――設営点三、祈祷役交代遵守
――影印杭の探索・回収優先
――外殻計画:素材搬送、前倒し継続
ショウマの指が一度だけ止まる。
外殻。素材。前倒し。
教会は、勝つために“使う”。そういう匂いが濃くなる。
リュシエンヌが上品に囁いた。
「まぁ。きな臭い札ですのね」
そして、さらりと続ける。
「魅了なら早いのに。……元気な血があれば、ですけれど」
視線が、ショウマの手袋へ落ちる。
露骨じゃない。だから余計に腹が立つ。
「許可しない」
ショウマは即答した。
「今日は聞かない。今日は抜く。目的が違う」
「従順ですわ」
リュシは笑って引いた。約束の範囲に戻る。
レアが一度だけ腕を強く組み直した。
ムッとした感情を押し込める動作。
だが口には出さない。役割が先だ。
ショウマは副長格を見下ろす。
「お前は殺さない。置いていく」
「起きたら戻れ。戻って『影が動いた』って言え」
「……なぜ」
副長格が唸る。
「情けか」
「合理だ」
ショウマは淡々と答えた。
「殺したら、お前らの正義が余計に燃える。今は燃やしたくない。……今は、止めたい」
◇
撤収。
だが、手ぶらでは帰らない。
ショウマは影印杭を一本、取り出した。
そのままだと聖圧に負ける。だから、エヴェリナの絶縁繭を被せる。
圧が鈍る。扱える。刺せる。
「囮終点を作る」
ショウマが言う。
「敵の目を、外へ引く。面が完成する前に、見当違いの“終点”を置く」
胸の針が、僅かに引かれた。
主幹じゃない。外周の一点へ。
針が引かれるなら、敵の標も引かれる。
影印杭を刺す。
深くは入れない。目立たない位置。
結界で“終点の匂い”だけを残す。
追えば追うほど、ここへ寄る。
寄った瞬間、次のB(血管遮断)の穴が開く。
レアが頷く。
「罠じゃなく、誘導」
「誘導だ」
ショウマは淡々と答える。
「奇襲ってのは、奇襲される側の油断込みで完成する。……今回は油断じゃなく、手順を使う」
リュシが上品に微笑む。
「まぁ。意地悪」
「悪なんでな」
ショウマは短く言った。
◇
戻り際、心臓ノードの方角で灯が増えた。
白が濃くなる。面制圧が始まった合図だ。
「……窓が閉じる音がする」
レアが低く言う。
「目は潰せる」
ショウマは前を見た。
「癖も抜いた。穴も見つけた。囮終点も置いた」
「だが時間がない」
リュシエンヌが微笑みを崩さず、囁く。
「次は血管遮断ですのね」
「次は血管だ」
ショウマは頷いた。
「流れを切る。心臓を鈍らせる」
「そして、その次で止める」
白い灯が、遠くで増え続けていた。
教会が本気になるほど、こちらも本気になる。
影の魔将の悪は、教会に刺さる。
そのために――今夜は、目を潰した。




