第46話 心臓停止作戦――魔王軍、攻勢へ
魔王城の夜は、静かだ。
静かで、息が詰まる。
前線の森と違って、ここには血の匂いがない。
代わりに、焦げた聖炎の匂いがある。
消えない火の匂い。魔王の傷の匂い。
ショウマは回廊を歩きながら、手袋の指先を一度だけ押さえた。
怒りは冷たい。
冷たいまま、折れない。
◇
謁見の間。
ミラ=ザス・マギアが立っていた。
暫定統治者の背筋。
弱音を吐かない顔。
グルド・ロウ=ドゥーンが横に控え、好々爺の笑みを崩さない。
目だけが冴えている。
そして、もう一つ。
空中に落ちた黒点――連絡蟲。
糸線が垂れ、字が滲む。
――エヴェリナ、参じます
――蟲巣より、声のみ
ミラが頷く。
「始める」
ショウマは命令札と更新指示書の束を机に置いた。
革紐でまとめた帳簿も添える。
「心臓ノードから撤退。追手は掃討隊だった」
「対影装備が揃ってる。聖印粉、短杭連打の面制圧、手順戦」
ミラの眉が僅かに動く。
「護送ではなく、狩りに切り替えた……」
「そうだ」
ショウマは頷く。
「明朝までに、主幹周辺の短杭“面”完成。影印杭の回収・破壊が優先」
グルドが静かに息を吐く。
「影印杭を封じられれば、影の狩場は痩せますな」
「痩せる」
ショウマは言い切った。
「だから、窓が閉じる前に攻める」
ミラが短く問う。
「目的は?」
「心臓を止める」
ショウマは迷わない。
「破壊じゃない。機能停止。流れを止める」
ミラは一拍だけ黙り、頷いた。
「……防御一辺倒では削られる。こちらが先に削り返す必要がある」
「だが、焦って全軍を賭ける余裕もない」
その通りだ。
魔王軍は壊滅寸前。
失敗の許容が薄い。
グルドが杖を床に軽く突き、続ける。
「主幹は“集めて配る”場。そこへ血管(巡礼杭)と供給(聖油)と祈りが繋がっておる」
「供給線を折れば、心臓は鈍る」
糸線がまた落ちる。
――偵察蟲、投入可能
――絶縁繭、供給可能
――インセクター護衛、一隊なら出せます
エヴェリナの声は、穏やかで母性的だった。
穏やかだが、圧がある。
後方で国を支える者の声だ。
ミラが頷く。
「エヴェリナ、支援を頼む」
――承りました
――糸は繋げます
ショウマは命令札の一枚を抜いた。
例の符丁がある。
「……これも」
紙を指で叩く。
「外殻計画。装着者優先度A。素材搬送前倒し」
ミラの表情が一段硬くなる。
「強化策か」
「勝てないと判断した時の、エスカレートだ」
ショウマは淡々と答えた。
「中身はまだ掴めてない。でも、ろくでもない」
グルドが笑みを崩さずに言う。
「ろくでもない、は大抵当たりますぞ」
◇
会議は、すぐに“作戦”の形になった。
議論は長くしない。
窓が閉じる。
ショウマが口を開く。
「三段でいく」
指を一本立てる。
「A。盲目化――敵の目を潰す」
「短杭設営点、祈祷役の交代、搬入口。癖を抜く」
「影印杭は温存。囮終点に使う」
二本目。
「B。血管遮断――流れを切る」
「聖油ライン、祈り手の導線、短杭の面制圧を育てない」
「供給を空回りさせる」
三本目。
「C。心停止――主幹の機能停止」
「破壊じゃない。止める」
「止めたうえで、回収不能にする」
ミラが問う。
「回収不能、とは」
「吊り橋で箱を落としたのと同じ発想だ」
ショウマは答えた。
「戻せない場所へ沈める。印章、帳簿、工程の要を奪う」
「再起動に時間をかけさせる」
グルドが頷く。
「破壊より厄介ですな」
「そういう悪をやる」
ショウマは淡々と言った。
ミラの視線が鋭くなる。
「“やる悪”と“やらない悪”」
「やらない悪は、無差別殺害だ」
ショウマは即答する。
「民間人、捕虜、作業員を、理由なく殺さない」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ」
ショウマは続ける。
「やる悪は、教会に徹底的に敵対すること」
「工程を止める。物流を止める。心臓を止める」
ミラがそれを“軍規”として言葉に落とす。
「無差別殺害は禁止」
「ただし、作戦遂行のための拘束・無力化・施設機能停止は許可する」
決まった。
これで迷いが減る。
リュシエンヌに視線が向く。
ミラが淡々と言う。
「リュシエンヌ。あなたの力は必要だ」
「だが、危うい」
リュシは微笑んだまま頭を下げる。
「承知しておりますわ」
ショウマが先に言う。
「眷属化は原則禁止」
「例外は、俺の命令と退路確保が必要な時だけ」
「吸血も許可制。緊急時のみ」
リュシは上品に頷く。
「従順ですわ。許可制、大好き」
レアが腕を組み直し、短く言った。
「私もルールは守る。殿は……役割の時だけ」
自分で釘を刺すのは、成長だ。
ショウマは頷いた。
◇
役割分担。
迷う時間はない。
ショウマ:指揮、結界、流れの操作。
レア:侵入、無力化、撤退線。
リュシ:夜の圧で“一拍”止める、詰み回避。
影走り:外周攪乱、捕縛、退路確保。
エヴェリナ:偵察蟲、絶縁繭、インセクター護衛。
グルド:術式補助、影印杭の耐久、反転策。
ミラ:全軍調整、失敗時の前線維持。
ミラが最後に言う。
「これは反撃ではない」
「生き残るための攻勢だ」
その言葉が、重い。
魔王軍はもう、守っているだけでは死ぬ。
「ショウマ」
ミラが名を呼ぶ。
「レア、リュシエンヌ」
「帰ってこい」
ショウマは頷いた。
「帰る」
帰って、止める。
教会の心臓を。
糸線が最後に落ちる。
――主幹周辺、灯が増えております
――窓は、閉じ始めました
ショウマは手袋を握り直した。
怒りは冷たいまま。
「今夜が一番薄い夜だ」
「行くぞ」




