第45話 掃討の牙
森へ戻った瞬間、空気が軽くなる――はずだった。
だが、背中に刺さる感覚は消えない。
追ってくる。
しかも今までと違う。
足音が、散らばらない。
焦って走らない。
“狩る”歩き方だ。
レアが振り返らずに言った。
「……質が上がってる」
「護送じゃない。掃討だ」
ショウマは息を吐き、《結界操作》の膜を薄く張り直す。
消す膜じゃない。
“輪郭だけを薄くする”膜。
この一帯は聖域帯が濃い。
影を嫌う。
だから完全に消えるより、森の揺れに紛れる方が現実的だった。
影走りの二人が、無言で左右へ散った。
合図は最小。
合図そのものが見つかる。
リュシエンヌは上品に微笑んだまま、半歩下がる。
「まぁ。早いお迎えですのね」
「今日は帰る日だ」
ショウマは短く言った。
「派手に勝つ日じゃない。撤退戦」
レアが頷く。
「私が筋を作る。ついてきて」
◇
追手が見えたのは、森の裂け目――細い沢筋に差し掛かった時だった。
白い灰が、風に舞う。
粉だ。
それが地面に落ちると、影の輪郭が僅かに浮いた。
結界の“縁”が、線として出る。
(聖印粉……)
(対影装備)
護送隊じゃまず持っていない。
狩場を潰すための道具だ。
さらに、短杭。
一本じゃない。二本、三本。
点を繋いで面にするつもりで叩き込んでくる。
そして――動きが手順戦だ。
叫ばない。
合図が届かなくても、交代する。前へ出る。横を押さえる。
合図妨害が効きにくい。
(レオンの更新が、もう届いてる)
レアが沢の脇へ滑り込み、倒木の陰で息を殺した。
ショウマも続く。
リュシは衣擦れひとつ立てずに収まった。
追手の先頭が短く命じる。
「散るな。面を張れ。影を“寄せる”」
“寄せる”。
つまり、逃げ道を削り、同じ方向へ追い込む。
ショウマは舌打ちを飲み込んだ。
殺さない。
だが、止める必要はある。
◇
レアが、沢の上流へ誘導した。
水音がある。足跡が流れる。
だが追手は、その程度の誤魔化しに引っかからない。
白い灰が撒かれ、面が広がる。
その瞬間、空気が締まった。
森が“白”になる。
(この白は、追うための白だ)
なら、意味を変える。
ショウマは《結界操作》で、“締まる”意味を部分的に反転させた。
白い面が、こちらの動線を殺すのではなく――追手の動線を殺すように。
結果、どう見えるか。
追手側の足が、急に重くなる。
踏み込みが滑り、連携が噛み合わない。
「何だ……!」
「足が――」
叫びが上がる。
その叫びの“届く意味”を、ショウマは薄く殺した。
全員には伝わらない。
混乱だけが増える。
レアが動く。
倒木の陰から、影のように背後へ。
狙ったのは先頭ではない。
指示を拾って動いている、真ん中の副長格。
鼻口を抑えない。
顎を固定し、呼吸の通り道を潰す。
短く、確実に。
副長格が膝から崩れた。
音が出る前に、影走りが支えて引きずり込む。
殺していない。
だが、指揮が落ちた。
追手の動きが一拍遅れる。
その一拍で、ショウマたちは沢を横切り、崖道へ移った。
◇
だが掃討隊はしつこい。
しつこいのに、焦らない。
白い灰がまた舞った。
短杭が叩き込まれ、面が再構築される。
「……うるさいほど白い」
リュシエンヌが上品に囁く。
そして、さらりと続けた。
「元気な血があれば、もう少し“静かに”できますのに」
目が、ちらりとショウマの手袋を見る。
上品に。露骨ではなく。
だから余計に腹が立つタイプのチラ見せだ。
レアの空気が一瞬だけ固くなる。
だが言葉にはしない。
今は撤退戦だ。
ショウマは即答した。
「許可しない」
「まぁ」
リュシは貞淑に微笑み、引いた。
「従順ですわ」
ショウマはレアへ視線だけ投げる。
“今は役割”。
レアは頷いた。
◇
副長格を引きずって、森の奥へ。
追手の足音が遠のいた地点で、ショウマは結界を一枚厚くした。
外から見えないように。音が漏れないように。
副長格は目を開けた。
歯を食いしばる。
鎧の下で、汗の線が細く走っている。
「……魔族め」
「魔族軍の、影の魔将だ」
ショウマは椅子代わりの倒木に腰掛けたまま言う。
「お前らが言うところの極悪人だ」
副長格が跳ね起きようとする。
だが身体が動かない。
枷はない。
不可視の結界が、関節の“動く意味”だけを抑えていた。
「……結界か」
「そうだ」
ショウマは淡々と手袋の指先を直す。
「聞きたいことは多いが、今日は時間がない」
机代わりに、奪った袋を開けた。
命令札。更新指示書。符丁の控え。
読める。
教会の文字は、因果の線に乗って意味が入ってくる。
そこに、一文。
副長格の指示書に紛れた“内部符丁”。
――外殻計画、装着者優先度A。素材搬送、前倒し。
ショウマの指が止まった。
胸の奥が、冷たく固まる。
(外殻……)
(次の強化策か)
レアが覗き込み、短く問う。
「何?」
「教会の“次”だ」
ショウマは答えた。
「勝てないと判断した時の、エスカレート」
副長格が薄く笑う。
「……光の使徒と称する人間達が、引かぬとでも?」
ショウマは見下ろす。
「引かせる」
「引かないなら、折る」
それ以上の尋問はしない。
今日は情報抜きが主題じゃない。
締切を掴めれば十分だ。
ショウマは命令札を一枚抜く。
そこにははっきり書いてある。
――明朝までに、主幹周辺“面制圧”完成。
――影印杭の回収・破壊を優先。
――狩場を潰し、影を飢えさせよ。
レアが息を飲む。
「明朝……」
「窓が閉じる」
ショウマは淡々と言った。
副長格をどうするか。
殺すのは簡単だ。
だが、やらない悪だ。
ショウマは結界を一段緩め、動けないままにする。
「眠ってろ」
「起きたら、縄を解ける場所に置いてやる」
副長格が睨む。
「情けか」
「合理だ」
ショウマは答えた。
「殺したら、余計に燃える。……お前らの正義がな」
◇
ドルガの拠点に戻った時、夜が少し薄くなっていた。
捕虜たちは休ませられ、歩ける者から回復を回している。
ドルガが出迎え、ショウマの顔を見て察した。
「……追い立てられたな」
「掃討に切り替わった」
ショウマは命令札を渡す。
「狩場潰しが始まる。明朝までに面制圧」
ドルガの片目が鋭くなる。
「面制圧……短杭か」
「そうだ」
ショウマは頷く。
「影印杭も狙われる。俺のやり方が封じられる」
ドルガが低く唸る。
「じゃあ、攻めるしかねぇ」
「攻める」
ショウマは同意した。
「心臓は見た。工程も掴んだ。配布先も掴んだ」
「……次は止める」
レアが短く言う。
「今日の撤退で分かった。追手は強い。でも手順がある。癖もある」
ショウマは命令札の束をまとめ、最後に一枚だけ残した。
“外殻計画”。
その文字が、嫌に冷たい。
(勝ったら、次が来る)
(教会は、勝つために“使う”)
ショウマは手袋を握り直した。
怒りは熱じゃない。
冷たいまま、折れない。
「ミラに報告する」
「そして作戦を決める。今夜が一番薄い夜だ」
ドルガが頷いた。
「行け、魔将殿。レアも」
レアが一度だけ腕を強く組み直す。
殿の癖を押し込み、役割の顔になる。
リュシエンヌは上品に微笑んだ。
「まぁ。忙しい夜ですのね」
ショウマは短く言い捨てる。
「忙しくするのは、あいつらだ」
明朝までに、面制圧が完成する。
窓が閉じる。
なら、その前に。
心臓を止めるための準備を――今夜、始める。




