第44話 心臓の門
心臓は、静かだった。
静かで、重い。
魔王城を出て二晩。
影走りの支援を付け、ショウマたちは“主幹”の座標に近づいていた。
同行は最小。
ショウマ、レア、リュシエンヌ。
影走りが二名。
そして、エヴェリナの連絡蟲が一匹。
戦いに来たんじゃない。
見るために来た。奪うために来た。
壊すのは、そのあとだ。
◇
山腹の陰。
木々の隙間から、谷の向こうが見える。
そこにあったのは、砦というより“施設”だった。
石壁が幾重にも回り、内側に塔が三つ。
中心に、白い柱が一本立っている。
柱の周囲を、薄い光が巡る。
巡礼路の主幹。
杭の網が、そこへ向かって脈を打つように集まっていた。
空気が締まる。
呼吸が浅くなる。
肌がひりつく。
聖圧が、この一帯を“聖域”として固定している。
レアが低く言う。
「……ここが心臓」
「心臓だ」
ショウマは頷く。
「巡礼杭の血管が、全部ここに繋がってる」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ。美しいほどに、悪趣味」
「余計な感想は後」
ショウマは視線を外さずに言う。
「まず、出入りを数える」
影走りの一人が、指で合図を出した。
荷車、二。
徒歩の隊、三。
守衛の交代、一定。
そして――門の内側へ、列が吸い込まれていく。
首輪。
縄。
俯いた影。
「……捕虜」
レアの声が僅かに硬くなる。
「赦しの作業院から流してる」
ショウマは淡々と言った。
「ここで“何か”に変える」
言い切る前に、因果視界が勝手に開いた。
線が見える。
巡礼杭から流れてきた聖力の線が、柱へ集まり、施設の奥へ落ちていく。
その線に、別の線が混じっている。
潰して固めたような線。
人の線。
折れて、削れて、それでも残っている線。
(……やっぱり、ここだ)
ショウマの喉が冷たく固まった。
リュシエンヌが、ちらりとショウマを見る。
匂いで察した目。
だが何も言わない。今は、従順を演じている。
◇
潜入は正面からしない。
外壁の陰、巡礼杭の“補修溝”に沿って入る。
影走りが先に滑り込み、見張りの癖を見て、盲点を作る。
レアが影になり、背後へ回り、鼻口を抑える前に顎を固定する。
呼吸を奪い、意識を落とす。倒さない。置く。
ショウマは《結界操作》で“巡回の意味”を薄くした。
一定の手順は崩せない。
なら、ズレを作る。
一歩の遅れ、合図の遅れ、その積み重ねで穴が開く。
施設の裏手へ回り込むと、壁面に小さな扉があった。
補給用。
祈祷具や聖油の搬入口。
鍵は重い。
だが意味を殺せば、ただの板だ。
ショウマが《結界操作》で「閉じている」を抜く。
錠前が静かにほどけ、扉が開いた。
中は、白い。
白いだけじゃない。重い。
聖圧が室内で反響し、肺の奥を押す。
壁に刻まれた聖印。
床に走る溝。
溝の先に、桶が並ぶ。
桶の中は――透明じゃない。
淡く光る液体。聖油。
そして、その奥。
低い祭壇。
箱。
封印帯。印章。番号。
同じ形式が、規格品みたいに並んでいた。
「……量が」
影走りの一人が、声を失う。
「流れだ」
ショウマは低く言う。
「燃料が、ここで作られて、配られてる」
レアの拳が、ぎゅっと握られる。
「ここで、何をしてる」
答えは、すぐ来た。
隣室から、祈りの声。
複数。
淡々とした唱和。
人の声が、道具のように揃っている。
扉の隙間から覗くと、作業場が見えた。
白布の作業着。
司祭と、補助の人員。
その中央に、黒い石臼のような器。
器の上に、欠片が落とされる。
光が走る。
そして、器の底へ沈む。
因果視界で見える線が、そこで“潰れる”。
押し固められ、混ぜられ、一本の“媒体”にされる。
(……人を、燃料にしてる)
ショウマの視界が、一瞬だけ揺れた。
名前は出ない。顔も出ない。
だが、二年三組に似た歪みが混じる。
胸の奥が冷えて、決まる。
(俺は、ここを壊す)
(必ず、壊す)
リュシエンヌが上品に囁いた。
「蓄電池どころではありませんのね」
「黙れ」
ショウマの声は低い。
怒鳴っていないのに、刃がある。
レアが一拍だけショウマを見る。
今、支えるべきだと分かっている目。
だが言葉は選ぶ。
「……持って帰る情報は?」
短く、仕事の言葉で切り替える。
ショウマも頷く。
「帳簿。工程。配布先」
「それと、守りの癖」
◇
作業場の隅に、机があった。
運用帳簿。印章台。札束。
ショウマは結界で“紙の擦れる音”の意味を殺しながら、帳簿を抜く。
ページを一枚だけめくる。
赦しの作業院。
集積所コード。
箱番号。
配布先――聖騎士団、司祭団、そして「高城ユウキ」名の欄。
レアの肩が小さく跳ねた。
「……勇者」
「こいつが燃やした森の線と、繋がってる」
ショウマは淡々と言った。
「ここから出てる」
リュシエンヌが微笑み、声を落とす。
「嫌になりますわね」
その時。
外で、足音が変わった。
一定の巡回じゃない。
“探す”歩き方。
人数も多い。
鎧の擦れる音。
影走りが指で合図する。
掃討隊の先遣。
来るのが早い。
(レオンが切り替えたな)
ショウマは帳簿を畳み、即座に結界を張り替えた。
退出経路を一つに絞る。
迷わせる膜ではなく、通す膜。
「撤退」
レアが頷く。
影走りも動く。
だがリュシエンヌが、一歩だけ遅れた。
作業場の中央――器を見ている。
微笑みの奥が、夜寄りになる。
「リュシ」
ショウマが低く呼ぶ。
リュシは上品に戻り、肩をすくめた。
「ええ。分かっておりますわ」
「壊すのは、今ではない」
ショウマは短く頷いた。
「今は“持ち帰る”」
◇
扉を抜ける。
外壁沿いに滑る。
結界で“気配の輪郭”を薄くして、影を濃くする。
しかし聖圧が強い。
この一帯は、影を嫌う。
息が浅くなる。心臓が重い。
背後で声。
「……ここだ」
「結界が揺れた」
追ってくる側も、ただの雑兵じゃない。
掃討隊。狩る側。
ショウマは歯噛みし、結界の意味を捻った。
“追跡の標”が刺さる先を、一本だけズラす。
壁沿いの石に、偽の終点。
足音が、そちらへ一瞬寄る。
その一瞬で、こちらは外へ抜けた。
森へ戻る。
夜へ戻る。
背後で、聖圧が鳴った。
心臓が、警戒を上げた音だ。
ショウマは息を吐き、冷たく言った。
「位置は確定した」
「工程も掴んだ。帳簿も取った」
レアが短く頷く。
「次は?」
ショウマは、森の闇を見た。
怒りは熱じゃない。冷たい。
だから折れない。
「次は、止める」
「ここが心臓なら――止めれば、全身が鈍る」
遠くで、白い灯が増えた。
掃討隊が動き始めた証。
影の狩場は、もう“守り”じゃ足りない。
攻勢の刃を入れる段階に入った。




