第41話 奪った箱は、血を呼ぶ
荷車は重い。
重さは車輪じゃなく、荷台に乗った箱が作っている。
聖圧。
祈りの圧が空気を固め、肩の奥へ沈む。
そのせいで、馬の息も浅い。鼻が白く曇る。
ショウマは手綱を握り、結界で“暴れる意味”だけを薄く殺して進ませた。
音も消せない。
だが“届く意味”は削れる。
鉄輪の軋みが谷に溶ける。
溶けても――胸の針は、刺さったままだ。
いや。
刺さり方が変わっていた。
(俺じゃない)
(箱だ)
引っ張りが、自分の胸から荷台へずれる。
標の終点が“箱”になっている。
奪った代償は、追跡が太くなることだった。
レアが荷車の横を走り、短く言った。
「追いつかれる」
「分かってる」
ショウマは即答した。
「分岐へ誘導する」
地図の写しにあった谷の分岐。
道が二つに割れ、片方は狭い崖道。
荷車なら迷えば詰まる場所だ。
だから先に“終点”を置く。
追う命令の矛先を、こちらが選び直す。
◇
分岐に着くと、空気がさらに締まった。
箱がここにあるだけで、聖圧が強くなる。
ショウマは杭束から一本、影印杭を抜いた。
聖印の刻みが掌をひりつかせる。
結界で接触を薄く殺し、地面へ押し込む。
流す→溜める。
通す→吸う。
固定する→落とす。
影印杭が根を持つ。
胸の針が、ふっと揺れ――だが、軽くならない。
吸いが弱い。
箱の聖圧が強すぎて、杭が飲み切れない。
レアが息を詰めて言う。
「効き、落ちた」
「箱が目印になってる」
ショウマは歯噛みし、結界を厚くする。
杭の“溜まる器”を補助し、標の命令の端を無理やり引っ掛ける。
次の瞬間。
針の引っ張りが一瞬だけずれた。
荷台から、地面の一点へ。
(……今だ)
「右だ」
ショウマが叫び、狭い崖道へ荷車を入れた。
馬が躓きかける。
ショウマは結界で“滑る意味”を薄く殺し、足元を整える。
背後で、聖圧が一段遠のいた気がした。
影印杭が、追跡の“矛先”をほんの少しだけ引き受けた。
稼げるのは――時間。
それだけで十分だった。
◇
夜の終わりに近い時間。
安全柵の地点に合流すると、影走り残隊が先に待っていた。
捕虜の列は、ぎりぎり保っている。
息を整えている者、目を閉じて必死に歩いている者。
ここで止まれば起きられない。
荷車が入った瞬間、捕虜の何人かが怯えた。
箱の聖圧が、鎖場の記憶を掘り返す。
「……それ……」
誰かが喉を鳴らす。
レアが即座に前へ出る。
「見ない。今は見ない」
「歩ける者は歩く。座るな」
ショウマは短く言った。
「これは教会の燃料だ」
「追跡と殲滅のための道具」
「奪ったのは止めるためだ」
それ以上は言わない。
今、説明しても列が崩れる。
リュシエンヌが中段で上品に微笑む。
「まぁ。怖がらせてしまいましたのね」
レアが冷たく落とす。
「お前が言うと腹立つ」
ショウマは切った。
「腹立つのは後。今は処理する」
◇
羽音のない黒点が落ちた。
連絡蟲。
続いて、インセクターが二体、影のように現れる。
エヴェリナの支援は早い。
糸紡ぎ虫の繭。
白い聖圧を“絶縁”するための包み。
インセクターが、黙って糸を吐く。
箱に糸が巻きつき、薄い膜が幾重にも重なる。
聖圧が、少しだけ鈍った。
空気の締まりが一段落ちる。
息がしやすくなる。
「……効く」
ショウマが言うと、レアも頷いた。
「完全じゃないけど、マシ」
そう。
完全遮断ではない。
追跡は残る。針は刺さったままだ。
だが扱える。
扱えるなら、次が打てる。
◇
問題は一つ。
箱を開けるか。
レアは慎重だ。
「罠の可能性がある。開けるなら、準備が要る」
リュシは上品に、別解を差し出す。
「元気な血があれば、封印を崩すのは早いですわ」
目が、ちらりとショウマの手袋を見る。
ショウマは即座に結論を置いた。
「吸血は許可制。今は許可しない」
「眷属化は禁止」
リュシは貞淑に微笑む。
「ええ。従順ですわ」
レアが低く言う。
「開けるの?」
「少しだけ」
ショウマは答えた。
「中身確認が目的だ。全部は開けない」
「固定だけ弱める」
必要な悪だけやる。
それが線引きだ。
◇
ショウマは箱へ近づき、結界の膜越しに封印帯へ触れた。
聖印が走る。
祈りの導体。
触れるだけで、肌がひりつく。
《結界操作》。
“封じる”の意味の端を削る。
警報が鳴るほどは崩さない。
固定だけ、弱める。
封印帯が、わずかに緩む。
その隙間から――因果が覗いた。
濃い。
濃すぎる。
潰して固めたような線が束になっている。
人の線。
泣き声の残り香。
叫びの温度。
ショウマの喉が乾いた。
熱くならない。
冷える。
(……これが、聖骸核)
視界の端で、二年三組に似た歪みが一瞬だけ混じった。
名前は出ない。顔も出ない。
だが“近い”。
嫌なほど近い。
レアが気配で察する。
「……何が入ってる」
「人だ」
ショウマは短く言った。
「……人の残り」
リュシエンヌの微笑みが、一瞬だけ獣寄りになる。
匂いで理解したのだ。
だがすぐ上品に戻す。
「まぁ。なんて、罪深い」
ショウマは封印帯を戻した。
今は全部を見ない。
見た瞬間、ここで壊したくなる。
壊せば列が死ぬ。
(壊すのは、今じゃない)
◇
その頃。
教会側。
セルベルトは祈りの間で声を響かせていた。
「魔族が聖なる核を奪いました」
「民を守るため、追討を」
「悪しき魔に連なる者どもに、赦しは不要です」
被害を誇張する。
恐怖を煽る。
教義の火を焚きつける。
しかし現場は違う。
レオンは報告を受けても怒鳴らなかった。
地図を見下ろし、淡々と言う。
「次便の護衛を倍にする」
「設営点を変える。定型に頼るな」
「奪われた箱を終点にして追える。……追跡を更新する」
セルベルトが静かに言う。
「影は学習しました」
「ならこちらも学習する」
レオンはそれだけ答えた。
◇
ショウマの側。
針は刺さったままだ。
箱を持つ限り、追跡は太くなる。
だが捨てれば、教会がまた燃料にする。
なら――燃料ごと流れを止める。
ショウマは帳簿を開き、指で次の便の記述を叩いた。
箱番号。予定日。護送。巡礼路。
「次を叩く」
レアが短く言う。
「次便」
「次便だ」
ショウマは頷く。
「奪うだけじゃ足りない」
「……流れを止める」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ。派手になりそう」
「派手でも、やることは同じだ」
ショウマは手袋を直し、低く言った。
「俺の悪は、教会に刺さる」
絶縁繭に包まれた箱が、静かに聖圧を漏らす。
追跡の針が、それに反応して微かに疼く。
次は、追う側が更新してくる。
だからこちらも更新する。
次便を狩り、燃料の流れごと止めるために。




