第38話 杭束を増やせ
尾根のくびれ(鞍部)を離れた途端、胸の針が少しだけ楽になった。
追う命令が、まだ“そこ”に吸われている。
ショウマが列へ戻ると、捕虜たちは黙って歩き続けていた。
レアが先頭で歩幅を整え、倒れそうな者の肩を支えさせ、列を“群れ”の形に保っている。
「戻った」
レアが短く言う。
「ああ」
ショウマは頷いて最後尾へ回り、結界を薄く張り直した。
音と光の漏れを殺すだけの膜。
今は戦うより、崩れないことが勝ちだ。
中段でリュシエンヌが上品に微笑む。
「お帰りなさい、影の魔将殿」
「抑え最小限、守れてるか」
「ええ。血の香りも、我慢しておりますわ」
レアの目が冷える。
「余計なこと言うな」
リュシは貞淑に口元へ指を添える。
「本音を言っただけですわ」
ショウマは短く切った。
「本音は黙って飲み込め。列が崩れる」
正論で押し切る。
それが一番早い。
◇
夜が少し薄くなり、空の端が灰色に滲む頃。
胸の針が、ぐい、と一度だけ強く引かれた。
(……吸いが弱まった)
影印杭は効いている。
だが、永続じゃない。
誰かが近づけば、杭は見つかる。抜かれる。壊される。
レアも気づく。
「……戻ってくる」
「来る前に、もう一本取る」
ショウマは結論を出した。
「杭束を増やす。巡礼路の骨を奪う」
レアが頷く。
「列は?」
「列は進める。止めない」
ショウマは中段を見た。
「リュシ。抑え最小限で列を守れ」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「はい。従順ですわ」
レアが小さく舌打ちする。
ショウマはそれを無視して、連絡蟲を指先で呼んだ。
エヴェリナの線は早い。
地図の写しに、細い分岐線が追加される。
――杭束運搬、谷筋通過
――護衛増(レオン命令)
――狭所あり、奇襲可
ショウマは地図の点を指で押さえた。
谷筋の狭所。
人が通れば列になる。杭束を担げばなおさら詰まる。
「ここで狩る」
レアが短く答える。
「無力化」
「殺さない。杭と聖具を奪う」
ショウマは念を押した。
「時間も奪う」
◇
谷筋は湿っていた。
岩壁が迫り、足場が細い。
ここを通る隊は、前後に伸びる。横に広がれない。
ショウマは結界を“狭く厚く”張った。
壁ではない。迷わせる膜。
足場の意味を薄くし、合図の意味を薄くし、距離感を狂わせる。
レアが影になって先に入る。
呼吸を殺し、気配を殺す。
狙うのは護衛の目だ。
やがて足音。
松明の火が揺れて、列が見えた。
運搬役が四。
杭束を二人一組で担いでいる。
護衛が――五。
昨日までより多い。確かに増えている。
(レオン、仕事が早い)
先頭の護衛が低く言う。
「急げ。次の設営点に間に合わせろ」
その瞬間、レアが背後にいた。
鼻口を抑える前に顎を固定し、肘を殺し、呼吸を奪う。
意識が落ちる。倒さない。置く。
次の護衛が反射で振り向く。
ショウマは《結界操作》で“方向感覚”だけを抜いた。
一歩が二度踏みになる。剣が空を切る。
レアが滑り込み、同じように無力化。
だが三人目は違った。
合図を出す前に、腰の袋から小型の聖印杭を抜こうとした。
可搬式。打ち直しが速い。
(設営班に持たせ始めたか)
ショウマは弓を捨てて一歩踏み込み、結界を指先で叩きつけた。
杭の“流す”意味だけを殺す。
刺さりかけた聖印杭が、ただの棒になる。
護衛が目を見開いた。
その一拍で、レアが顎を取り、息を落とした。
運搬役が叫ぼうとする。
だが叫びは叫びのまま落ちる。
ショウマが合図の意味を薄くしている。
残りの護衛が詰めてくる。
数が多い。押し切られると杭束を捨てる羽目になる。
そこへ、夜が一段落ちた。
リュシエンヌが、谷の入口に立っていた。
列の護衛を任せたはずなのに、ここにいる。
ショウマが眉を寄せるより早く、リュシが上品に言う。
「少しだけ。抑え最小限ですわ」
紅い瞳が、護衛の踏み込みを止める。
身体が冷える。心臓が一拍遅れる。
夜の圧だ。
ショウマは低く言った。
「……列は?」
「レアの部下が代わりに見ておりますわ。影走りの残りが合流しましたの」
さらりと答える。
「あなたが決めた“勝ち筋”が崩れるのは、わたくしも嫌ですもの」
護衛が動けない一拍の隙に、レアが三人目、四人目を沈めた。
最後の一人は逃げようとする。
ショウマは結界で“戻る道の最短”だけを殺す。
一歩が迷い、二歩目で壁にぶつかったように止まる。
そこでレアが無力化。
谷筋が静かになった。
◇
杭束を確保する。
聖印板も一枚、運搬役の袋から出てきた。
巡礼路の簡易図と、設営点の刻印。
(……当たりだ)
ショウマはそれを結界で包み、聖圧の漏れを抑える。
持っているだけで目印になる道具だ。
リュシエンヌがちらりとショウマの手元を見る。
「元気な血があれば、もっと楽に――」
「許可しない」
ショウマは即答した。
「今は必要ない」
レアが一歩、前に出る。
「必要になっても、勝手に噛むな」
リュシは貞淑に微笑む。
「ええ。許可制、でしたわね」
言い方が腹立つ。
だが今は勝った。杭束も増えた。
ショウマは地図の写しに、奪った聖印板の刻印を重ねて読んだ。
次の中継点が見える。
杭束の集積。祈祷具の補給。設営班の交代地点。
(ここが“血管”だ)
背後で、胸の針がちくりと動いた。
遠くで聖圧が揺れている。
影印杭が見つかったか、近づかれた。
ショウマはため息を飲み込み、低く言った。
「戻る。列を動かす」
「今夜稼いだ時間を、次に変える」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「巡礼を、追う側に回る夜ですのね」
「そうだ」
ショウマは杭束を背負い直し、結界の膜を締めた。
「次は“杭を狩る”じゃない」
「杭の網を、抜く」
谷の外で、遠くに白い灯が見えた。
巡礼路が、また伸び始めている。




