第37話 影印杭、初運用
尾根の鞍部は、風が通る。
通るからこそ、祈りも通る。
捕虜の列を先に動かし、少しでも距離を稼がせた。
レアが先頭で歩幅を整え、倒れそうな者を支える配置を作る。
ショウマは最後尾から一度だけ列を見て、頷いた。
「崩れてない。……このまま行ける」
「行かせる」
レアの声は短い。
その短さが、覚悟の固さだった。
リュシエンヌは中段に残りたがったが、ショウマが指示した。
「今夜は俺とレアでやる。お前は列の側で抑えろ」
リュシは上品に微笑む。
「まぁ。心配してくださるのね」
「抑え最小限だ」
ショウマは釘を刺す。
「血も眷属化も禁止。許可が要る」
「ええ。従順ですわ」
従順の笑み。だが目は夜。
ショウマは視線を外し、レアと二人で鞍部へ戻った。
◇
鞍部は、道が寄る。
寄らないと、谷を大回りすることになる。
巡礼路を前進させたい側も、ここを使う。
エヴェリナの連絡蟲が示した“定型ポイント”の一つ。
つまり、杭が打たれる場所。
ショウマは岩陰に潜み、結界を薄く張った。
音と光を薄く殺すだけ。
敵が来ることを前提に、邪魔はしない。
レアが隣で短剣を抜き、息を整える。
「……どこに置く?」
「鞍部の中心じゃない」
ショウマは地面を指でなぞった。
「巡礼杭は“祈りが通る線”の上に打つ。だから、わざと少しズラす」
「本道から外れた場所に“終点”を作る。標の命令を吸わせるなら、ここがいい」
結界の膜越しに、杭束を引き寄せる。
聖圧が、じわりと空気を締める。
近づくだけで呼吸が浅くなる、あの圧。
ショウマは《結界操作》で“接触”を薄く殺し、杭束を素手で触れずに扱った。
そして一本、影印杭を抜き取る。
棒状の聖具。
表面に聖印が刻まれ、祈りを流す導体になっている。
それを、影の受け皿にした。
ショウマは杭を地面へ押し込みながら、結界の膜で“意味”を撫でた。
流す→溜める。
通す→吸う。
固定する→落とす。
杭が、地面に根を持った。
その瞬間――胸の針が、ふっと軽くなる。
引っ張りの方向がぼやけ、一本だった線が曖昧になる。
(……吸ってる)
ショウマは息を止め、確かめた。
まだ追われている。
だが追跡の“刺し方”が変わった。
レアが顔を上げる。
「今、空気が……軽い」
「ああ」
ショウマは頷いた。
「巡礼の命令が、杭に吸われてる」
レアが短く言った。
「効くね」
「効く」
ショウマは即答した。
「でも“永続”じゃない。敵は必ず気づく」
だからこそ、今夜の目的は一つ。
列を遠ざける時間を作る。
◇
遠くで、聖圧が動いた。
白い空気が、鞍部の方向へ寄ってくる。
(来た)
足音が揃っている。
設営班か。斥候か。
どちらでもいい。今は“標が寄る先”を見せるのが目的だ。
やがて、松明の火が二つ見えた。
小隊。
数は多くない。
先頭の聖騎士が足を止め、空気を嗅ぐように顔を上げた。
「……ここだ」
その言葉に、ショウマは内心で笑った。
“ここ”はショウマじゃない。影印杭だ。
聖騎士の視線が鞍部の中心へ向く。
だが中心には何もない。
少しズラした場所に杭がある。
聖騎士は一歩、踏み出し――足を止めた。
違和感に気づく。
標の命令は“ここだ”と言っているのに、獲物がいない。
その一瞬の迷い。
それが影の狩りの入口だ。
レアが影になる。
背後に回り、鼻口を抑える前に顎を固定する。
肘を殺し、呼吸を奪う。
意識が落ちる。
倒さない。置く。
もう一人が反射で振り向く。
ショウマは《結界操作》で“方向感覚”だけを薄く殺した。
相手は一歩踏み出し、同じ場所を二度踏む。
剣が空を切る。
レアが滑り込み、同じように無力化。
小隊は音もなく沈んだ。
殺していない。
ただ、止めただけだ。
ショウマは倒れた聖騎士を一瞥し、低く言う。
「悪だよな、俺」
レアが即答する。
「お前らが言うところの極悪人」
ショウマは小さく笑った。
「そうだな」
◇
その頃。
林の外で、レオンは歩みを止めていた。
セルベルトが聖印板を見下ろす。
巡礼の聖標が、奇妙に脈打っている。
「応答が……揺れています」
レオンは眉一つ動かさずに言った。
「揺れているのではない。吸われている」
セルベルトの目が細くなる。
「……杭ですか」
「杭だ」
レオンは淡々と言う。
「敵は杭を奪った。なら、その杭を改造する」
セルベルトが静かに祈りを落とす。
標が応答し、また吸われる。
追う命令が、終点を奪われている。
レオンは結論を出す。
「巡礼杭を二重化する」
「設営班に護衛を増やせ。杭を打つ前に狩られる」
怒鳴らない。嘆かない。
ただ更新する。
それが影にとって一番厄介な敵だった。
◇
鞍部。
ショウマは胸の針の軽さをもう一度確かめた。
効いている。
だが長くはもたない。
敵が解析した瞬間、次の手が来る。
レアが短く言った。
「列、さらに離せる」
「ああ」
ショウマは頷き、杭の位置へ目を向けた。
「置いたままにする。今夜だけでもいい」
「吸わせてる間に、距離を取る」
背後で、風が鳴った。
巡礼路の聖圧が、少し遠のいた気がした。
ショウマは弓を背負い直し、低く言った。
「……次は、もっと面倒になる」
「だから、次はこっちが先に仕組みを壊す」
影印杭は地面に根を持つ。
巡礼の命令を飲み込みながら、白い追跡を迷わせている。
そして影は、列の方へ戻る。
今夜稼いだ時間を、次の攻勢の準備に変えるために。




