第36話 影印杭(えいいんぐい)
杭束は、重い。
木や鉄の重みじゃない。
聖印に刻まれた祈りの圧――“聖圧”が、肩から骨へ沈み込む。
近づくだけで掌がひりつき、呼吸がわずかに浅くなる。
ショウマとレア、リュシエンヌが影に戻ると、捕虜の列はまだ崩れていなかった。
ただ、顔色が落ちている。
寝不足と恐怖と、歩き続けた足。
レアが列を見回し、短く落とす。
「座るな。立ったまま息を整えろ。座ると起きられない」
捕虜たちは頷き、壁や木に背を預けた。
誰も文句を言わない。言える余裕がないし、従うのが最短だと分かっている。
ショウマは最後尾へ回り、結界を薄く張り直した。
熱と音を薄く殺す。足元の意味を整える。
列が転ばないようにするだけの結界。
胸の針は、まだ刺さっている。
追う線の粘りが消えない。
(……奪っても終わらない)
ショウマが戻ると、レアが杭束を見て顔をしかめた。
「それ、ここで出すな」
捕虜の何人かが怯えた目を向ける。
聖具の気配に、身体が反射する。鎖場の記憶が疼くのだ。
「分かってる」
ショウマは杭束を地面に置かず、結界の膜で包んだまま浮かせるように保持した。
「……これ、持ってるだけで目印になる」
「聖印杭は祈りを地面に流す“錨”だ。巡礼路(聖域帯)と共鳴して、聖力が寄る。つまり、標に掴まれやすい終点になる」
レアが眉を寄せる。
「寄る?」
「司祭の追跡が“掴みやすくなる”って意味だ」
ショウマは短く言った。
「だから奪った。だから危険だ」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「まぁ。爆弾ですのね」
「近い」
ショウマは頷いた。
◇
羽音のない黒点が落ちてきた。
エヴェリナの連絡蟲。
指先に乗り、すぐ落ちる。
地図の写しに、糸みたいな線が追加され、さらに小さな文字が滲んだ。
――杭、聖力漏れ強
――糸紡ぎ虫、絶縁繭で隔離可
――改造案:流す→溜める(吸う)
ショウマは文字を追い、口角がほんの少しだけ上がった。
「……速いな」
レアが覗き込む。
「絶縁繭?」
「蟲の糸で包んで、聖力の漏れを鈍らせる」
ショウマは即答する。
「それと――」
指先で「改造案」をなぞる。
流す→溜める。吸う。
(吸わせる)
線は消せない。
なら、落とす場所を作る。
追う命令の“終点”を、人間じゃなく杭へ寄せる。
ショウマは結界の膜越しに杭束を見下ろした。
聖印が走っている。
祈りを“通す”意味が深く刻まれている。
(これを、逆にする)
リュシエンヌが、ちらりとショウマの手元を見る。
手袋。
指先。
血の気配を探る目だ。
「元気な血があれば、もっと綺麗に――」
「使わない」
ショウマは即座に切った。
「今回は結界だけでやる」
「吸血は許可制だ」
レアが短く追い打つ。
「当然」
リュシは貞淑に微笑む。
「ええ。従順ですわ」
従順の笑み。だが目は夜。
ショウマはそれを無視して、結界を薄く杭へ触れさせた。
“触れる”のではない。“意味”に触れる。
刻まれた命令を読み、形を掴む。
流す。
通す。
固定する。
(なら、溜める)
(吸う)
(落とす)
結界の膜を、ほんの少しだけ捻る。
杭の“通る意味”の端を削り、“溜まる意味”の器を作る。
その瞬間、胸の針が――わずかにずれた。
引っ張りが、まっすぐじゃなくなる。
ショウマは息を止め、確かめる。
針がまだ刺さっているのに、方向が曖昧になる。
(……効く)
レアが顔を上げた。
「今、揺れた」
「ああ」
ショウマは頷く。
「吸わせた」
リュシエンヌが上品に口元へ指を添えた。
「まぁ。影が聖力を飲む」
「名前が要るな」
ショウマは低く言った。
「作戦会話で毎回説明するのは面倒だ」
レアが即答する。
「じゃあ、何て呼ぶ?」
ショウマは一拍だけ考え、言い切った。
「影印杭」
影の印を刻んだ杭。
聖印杭を、影の受け皿に変えた杭。
レアが短く頷く。
「覚えた」
リュシが微笑む。
「素敵。あなたらしい」
◇
連絡蟲がもう一度、地図に糸を落とした。
聖域帯が通る定型ポイント。
林の入口。鞍部。谷の分岐。
ショウマはその中の一つを指で押さえる。
尾根の鞍部。
通らざるを得ない地形。迂回すると大回りになる場所。
「ここだ」
レアが頷く。
「置きに行く」
「置く」
ショウマも頷く。
「置いて、吸わせて、足を止める」
「その瞬間に、列をさらに遠ざける」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「巡礼を迷子にする夜ですのね」
ショウマは結界の膜で杭束を包み直し、聖力の漏れを抑えた。
絶縁繭が来るまでの仮封。
それでも危ない。だから短期決戦だ。
胸の針はまだ刺さっている。
だが今は、初めて“ずらせる手段”がある。
ショウマは手袋を直し、低く言った。
「……次は追われるんじゃない」
「追跡を、こっちが使う」
影印杭を置きに行く。
巡礼路を、影の罠に変えるために。




