第33話 狩場の錨を折れ
ショウマの矢は、レオンを狙わなかった。
狙いは地面だ。
林の入口近く。
聖印杭の一つ、その“根元”へ向けて矢が突き刺さる。
矢が刺さった瞬間、結界が絡む。
《結界操作》で「杭が杭として働く」という意味だけを削る。
白い空気が、ぬるりと滑った。
張り詰めていた“固定”が、わずかにズレる。
レオンの目が細くなる。
すぐ理解した顔だった。
「杭を打ち直せ」
命令が落ちる。
聖騎士が迷わず動く。杭を守れ、ではない。杭を“再配置”しろ。
この敵は、状況に執着しない。目的に最短で寄せる。
セルベルトが聖印板を掲げ、低く祈りを落とす。
巡礼の聖標が脈打ち、ショウマの胸の針が一段深く刺さった。
(来るな、来るな……来る)
結界の縁が白く汚れ、意味殺しが鈍る。
こちらの狩場が“白に馴染まされる”感覚。
ショウマは低く息を吐いた。
「……杭は錨だ」
レアがショウマの横で短く頷く。
「錨?」
「白い術式を固定する錨」
ショウマは弓を握ったまま言う。
「錨があるから、標の命令がここへ染み込む。錨をずらせば白は滑る」
説明はそれだけで十分だった。
レアは理解している。理解して、すぐ動ける女だ。
◇
第二陣が踏み込む。
数が増える。呼吸が揃う。合図が繋がる。
レオンは前に出てくる。
白い鎧は汚れない。汚れないから余計に怖い。
ショウマの結界の“汚れ”が、レオンの足取りでじわじわ広がる。
「捕虜を返せ」
レオンは淡々と言う。
「返さないなら、ここで終わらせる」
「終わらせる? 鎖場を続けるって意味か」
ショウマは口角を上げた。
「なら、俺は壊す。徹底的にな」
レオンが一歩踏み込む。
距離が詰まる。
ショウマは《結界操作》で“距離感”を狂わせようとする。
だが――鈍い。
白に汚された膜が、距離の意味を殺しきれない。
剣が、現実の速度で来る。
ショウマは半歩引き、矢を放つ。
狙いはまた地面。レオンの足元の影へ刺す。
境界が立つ。
踏み込みが一拍遅れる。
その一拍で、レアが影になる。
聖騎士の背後。鼻口を抑える――が、相手の肘が跳ねた。
反射が速い。
レアは型を変えた。
鼻口ではなく、顎を先に固定する。
喉を潰さない。息を奪うだけ。
短い抵抗が続き、意識が落ちた。
倒さない。置く。
だが今日の相手は、置くまでが一拍遅い。
レオンの声が通る。
「形を崩すな。倒れた者は置け。進め」
冷たい命令。
仲間を救いに戻らない。戻らないから崩れない。
崩れないから厄介だ。
ショウマは歯噛みする。
(こいつ、強いだけじゃない。合理的すぎる)
リュシエンヌが一歩、前へ出た。
血を撒かない。斬らない。
ただ紅い瞳で見下ろす。
夜の冷えが落ちる。
聖騎士の呼吸が一拍乱れ、踏み込みが止まる。
ショウマは即座に言う。
「抑え最小限、守れ」
「ええ」
リュシは微笑み、踏み込みはしない。
踏み込まないのに、相手が踏み込めない。
レアが短く言う。
「列、動いてる」
捕虜の列が安全柵の内側でゆっくり動く。
逃がす。これが勝利条件。
時間を稼げば勝ち。
だが標が脈打つ。
胸の針が、ぐい、と引かれる。
セルベルトの声が落ちた。
「標が応答しています。……中心です」
白が、狩場の中心へ寄ってくる。
結界の汚れが濃くなる。
(このままじゃ、押し切られる)
ショウマは結論を出した。
線は消せない。なら、終点を作る。
標の“目的地”を作って、そこへ縫い付ける。
ショウマは手袋を外した。
レアの視線が刺さる。
リュシの視線も、同じ場所へ落ちる。
「噛むな」
ショウマは一言だけ落とす。
リュシエンヌが上品に肩を揺らす。
「ええ。従順ですわ」
ショウマは指先を針でわずかに刺した。
一滴。
落ちる前に、近くの聖印杭の根元の石へ擦り付ける。
血の匂いが、白い空気に混ざる。
その瞬間、胸の針の向きが変わった。
(……寄った)
ショウマは《結界操作》で、そこに“終点”の意味を刻む。
追う命令が「ここへ辿り着け」と錯覚するように。
標の応答が、一瞬だけ杭へ集中する。
結界の汚れが、中心からズレた。
レオンの目が細くなる。
驚かない。驚かないが、気づく。
「目的地を塗り替えたか」
声が低い。
認識した上で、次の命令を出す声音。
「杭を潰せ。標の錨を奪う」
聖騎士たちが一斉に杭へ向かう。
ショウマの狙いは“永続”じゃない。
この一瞬でいい。列が抜ければ勝ちだ。
レアがショウマを見た。
「今?」
「今だ」
レアが捕虜の列へ短く落とす。
「抜ける。ゆっくりでいい。前だけ見ろ」
列が狩場の外へ流れ出す。
転ばない。叫ばない。
生きるための動きだけをする。
ショウマは撤退用の結界へ切り替える。
壁ではない。迷路だ。
白の隊形が崩れないように見えて、足元だけが少しずつズレる。
リュシエンヌが夜の圧を落とし、踏み込みを一拍止める。
それ以上はしない。
血も欲しがらない。……今は。
レオンが一歩だけ、ショウマへ距離を詰める。
剣が来る。現実の速度。
ショウマは矢を放つ。
狙いは剣ではない。
レオンの足元の“影”。
境界が立つ。
踏み込みが半拍遅れる。
その半拍で、ショウマは後退し、結界の膜を引き絞った。
狩場の“形”が、撤退の形へ変わる。
◇
捕虜の列が、狩場の外へ抜け切った。
確認できた分は全員。
数は数えない。今は勝ち条件が達成されたことだけが重要だ。
レアが短く言う。
「抜けた」
ショウマは頷いた。
「撤退する」
リュシエンヌが微笑む。
「はい。影の魔将殿」
レアの視線が刺さる。
リュシは涼しい顔で受け流す。
ショウマは胸の針の感覚を探った。
杭に寄せたはずの線が――まだ残る。
完全には切れていない。
(……やっぱり、簡単には終わらない)
林の外で、レオンが動きを止めた。
狩場を追い詰めるのではなく、状況を読み直す。
潰すべきは影ではなく、影の“仕組み”だと理解した顔。
「巡礼路を作り直す」
レオンが淡々と命じる。
「次は杭ごと潰す。影の術を許すな」
セルベルトが聖印板を見下ろし、静かに言った。
「標は……まだ繋がっています」
レオンは頷くだけだった。
「なら追う」
◇
夜道。
捕虜の列は遅い。だが、確かに進んでいる。
ショウマは手袋を戻し、指先の小さな傷を結界で塞いだ。
血を使った。必要な一滴。
それでも嫌な感触が残る。
リュシエンヌが、何も言わずにちらりと手元を見る。
レアがその視線を捕まえ、冷たく落とす。
「見るな」
リュシは上品に微笑む。
「見ただけですわ」
ショウマは低く言った。
「……次はもっと面倒になる」
胸の針が、まだ残っている。
巡礼は終わらない。
だが今日の勝ちも、確かに残った。




