第32話 狩場にて、巡礼を狩る
林の外が、静かに“整った”。
怒号でも雑兵の足音でもない。揃った歩幅。揃った呼吸。揃った間。
白い列が来る。
レオン隊だ。
ショウマは弓を握ったまま、結界の膜を指先で撫でる。
薄く、広く。霧は出さない。距離感だけを狂わせる。
合流の意味を殺し、列の背骨を折る。
だが胸の奥の針が、また引っ張った。
追う線が強くなる。標の“命令”が近い。
レアが、捕虜の列の様子を最後に確認して戻ってくる。
その目が、ショウマのマントの裂け目と、結界の端の“汚れ”に止まった。
「……標って結局、何?」
短い。今聞くのが一番いい、という顔だ。
ショウマは矢を番えたまま答えた。
「追跡魔術だ。媒介――欠片に繋いで、そこへ“追う命令”を流す」
「俺の因果閲覧には、それが線に見える。相手は見えないが、標は辿れる」
「で、厄介なのは、線は切れにくいってことだ。消すより、鈍らせるか、別の先に繋ぎ替える方が早い」
レアが眉を寄せる。
「だから偽標?」
「そう。追うなら、追わせる場所を選ぶ」
リュシエンヌが上品に口元へ指を添えた。
「まぁ。狩人の理屈ですのね」
レアの目が冷える。
ショウマが先に言葉を置く。
「余計なことはするな。今日は“守りながら勝つ”」
「ええ。従順ですわ」
リュシは微笑む。従順の笑み。だが目は夜だ。
遠くで、号令が落ちた。
低い声。迷いがない。
「停止」
白い列が止まる。
林の入口で、聖騎士たちが一斉に膝をついた。祈りの姿勢。
次の瞬間、地面へ白い杭が打ち込まれる。
聖印杭。
空気が白く締まる。結界の“汚れ”が、ぎしりと鳴った。
(……標の補助か)
レオンは、林へ入らない。
まず地面を支配する。狩場の入口に楔を打つ。
セルベルトが後方で聖印板を掲げた。
巡礼の聖標が脈打つ。
それに呼応して、ショウマの胸の針が一段深く刺さる。
(来た)
レアが短く言った。
「入ってくる」
「入らせる」
ショウマは低く返す。
「入ってから閉じる」
◇
白い列が動く。
林へ、足を踏み入れた。
第一陣は、五人。
斥候ではない。主力の前歯だ。
霧はない。だが距離が狂う。
五人のうち二人が、隣のはずの仲間を見失いかける。
合流の意味が薄い。視線と呼吸が噛み合わない。
その時、レオンの声が林に通った。
「間を空けるな。声を繋げ」
命令が強い。
強いからこそ、ショウマの結界が“汚れ”た部分から軋む。
意味殺しが万能ではなくなっている。
(……面倒だな)
レアが影になる。
最初の一人の背後。鼻口を抑える――その瞬間、相手が肘を跳ねた。
反射が速い。訓練の塊。
レアは即座に顎を固定し、息を奪う。
抵抗が一拍だけ続き、意識が落ちた。
倒さない。置く。
けれど、置くのが一拍遅れた。
その一拍が“格の差”だ。
二人目が気配で振り向く。
ショウマは結界で“奥行き”を殺し、距離を狂わせる。
剣が空を切る。
レアが滑り込み、鼻口を抑える。
意識を落とす。置く。
だが三人目が、白い杭の方向へ短く合図を投げた。
声ではない。手の形。呼吸。
結界が殺しきれない“教練”の合図。
林の入口で、聖印杭が淡く光った。
空気が一段、白く硬くなる。
ショウマの結界の縁が、きしりと汚れる。
追う線が絡む。標が“ここだ”と言っている。
(……俺を引っ張る)
ショウマは舌打ちを飲み込み、矢を一本放った。
狙いは殺傷じゃない。地面。
矢が刺さった地点に結界が絡み、境界が立つ。
第三陣の足が一拍だけ遅れる。
その一拍で、レアが四人目を無力化。
五人目は、最後まで踏ん張った。
鼻口を塞がれても、肘と膝で暴れる。
ショウマが《結界操作》で“踏ん張る”を抜く。
足の力が抜け、崩れた。
第一陣が、静かに倒れる。
殺していない。
だが、止めた。
捕虜の列の方から、小さな息が漏れた。
誰も叫ばない。
ただ、生きている空気が戻る。
リュシエンヌが微笑んだ。
「まぁ。きれい」
レアの目が刺す。
「黙って」
「ええ」
リュシは従順に笑う。
◇
林の外。
倒れた第一陣を見て、レオンは止まらなかった。
「第二陣、前」
白い列が、間を空けずに入ってくる。
数が増える。呼吸が揃う。合図が増える。
ショウマの結界は、まだ効く。
だが“汚れ”が増え始めた。
標の命令が、結界の隙間から染み込む。
(このままじゃ、押し切られる)
ショウマは結論を出す。
“守りながら勝つ”には、止める必要がある。
一度、主力を止める。時間を稼ぐ。列を逃がす。
レアが戻り、短く言う。
「捕虜、動ける。けど遅い」
「分かってる」
ショウマは地図の写しを指で押さえた。
「だから、ここで止める」
リュシエンヌが上品に首を傾げる。
「止めるのに、血は要りまして?」
「要らない」
ショウマは即答する。
「噛むな」
リュシは小さく肩を揺らした。
「残念」
レアの肩が張る。
ショウマはそれを無視して、結界を“薄く広く”から“狭く厚く”へ切り替えた。
狩場の中心。
捕虜の安全柵の外側に、もう一枚の境界を作る。
追手を“ここ”へ集めるための境界。
敵が入れば、出にくい。
出にくいが、完全に壁にはしない。
壁にした瞬間、聖印杭の“白”がぶつかって割ってくる。
(壁じゃなくて、迷路だ)
第二陣が踏み込んだ。
十。いや、十二。
その後ろに、レオン本隊の気配。
レオンはまだ外。
だが声だけは届く。
「焦るな。敵は数を削る。こちらは形を崩すな」
形を崩さない――それが一番厄介だ。
ショウマは結界で“形の繋がり”だけを狙って削る。
隊列の間を、ほんの少しずつ広げる。
仲間同士が「近いのに遠い」状態になる。
合図が届くのに遅れる。遅れるだけで、動きが鈍る。
レアが影になる。
二人を無力化。三人目を無力化。
だが数が多い。追いつかない。
リュシエンヌが一歩前へ出た。
血を撒かない。斬らない。
ただ、紅い瞳で見下ろす。
夜の冷えが落ちる。
聖騎士の足が、一拍だけ止まった。
「……寒い」
誰かが呟く。
それは弱さじゃない。生理だ。
夜が骨に触れた。
ショウマが低く言う。
「抑え最小限、守れよ」
「ええ」
リュシは微笑んだまま、踏み込まない。
踏み込まないのに、相手が踏み込めない。
それが吸血姫の格だ。
第二陣の動きが鈍った瞬間、ショウマは弓を一度だけ鳴らした。
矢ではない。弦の音。合図。
レアがそれを受けて、捕虜の列へ短く指示を落とす。
「動く。ゆっくりでいい。転ぶな」
列が、狩場の外へ移動を始める。
ショウマの狙いは一つ。
追手を止め、列を逃がす。
その時、標が脈打った。
胸の針が、ぐい、と引かれる。
結界の“汚れ”が一段濃くなる。
林の入口――聖印杭の周りで、白い光が集まった。
セルベルトの声が届く。
「標が応答しています。……この狩場の中心へ」
ショウマは歯噛みする。
(やっぱり、俺の周りごと狩る線だ)
レオンが、ついに林へ踏み込んだ。
白い鎧。汚れていない白。
剣の柄に聖印。視線が冷静。
「影の魔将、ショウマ」
名前を呼ばれた。
標の追跡が、ここまで届いている証拠。
ショウマは弓を構え、答える。
「お前がレオンか」
「捕虜を返せ」
レオンの声は淡々としていた。
「赦しの作業院を壊した罪は重い」
ショウマは口角を上げる。
「赦し? 鎖場のことか」
「俺は――お前らが言うところの極悪人だ」
レオンは表情を変えない。
だが足元の聖印杭が光る。
白が狩場を侵食しようとする。
ショウマの結界が、軋んだ。
“意味殺し”が、白に汚される。
ここが正面衝突の核心だ。
レアが、ショウマの横へ戻った。
声が短い。怒りが冷えている。
「……守る」
リュシエンヌが、反対側へ並ぶ。
微笑みは上品。瞳は夜。
「ええ。守りますわ」
「……わたくしのやり方で」
ショウマは低く言った。
「やり方は俺が決める。今日は“守りながら勝つ”」
レオンが剣を抜く。
白い刃が、狩場の空気を切った。
「ならば、巡礼の名において」
セルベルトが聖印板を掲げ、祈りを落とす。
標が脈打つ。
追う線が一段太くなる。
ショウマは弓を引き絞った。
矢は一本。
狙いは敵の心臓ではない。
狙いは――狩場の“形”。
ここで止める。
巡礼を、こちらの巡礼路に叩き込む。
影の狩りが、始まった。




