第31話 偽りの巡礼路
夕暮れが落ちる。
列はまた動き出した。
捕虜たちは走れない。走らせない。
足がもつれれば転ぶ。転べば終わる。
レアが先頭で短く落とす。
「間隔、一定。声は出すな。合図は手」
ショウマは最後尾で、結界を薄く重ね続けた。
合流を殺す。伝令を殺す。最短を殺す。
それでも――追う線だけが、しつこく絡む。
見えない針が、胸の奥に刺さっているみたいだ。
どこへ動いても、線が引っ張る。
(消せないなら、繋ぎ替える)
ショウマは息を吐いて決めた。
今夜やる。線を付け替える。
列の進路を、尾根道へ寄せる。
視界が切れる林があり、足場の悪い谷筋へ落とせる場所。
狩場の形を、最小で作れる地形だ。
背後で、羽音のしない黒点が落ちてきた。
エヴェリナの連絡蟲。
指先に乗り、すぐ落ちる。
地図の端に糸みたいな線が増えた。
追手の位置。速度。規律のある列。
レアが覗き込み、短く言う。
「近い」
「近いな」
ショウマは頷いた。
「だから、先に騙す」
リュシエンヌが上品に微笑む。
「偽りの巡礼路をお作りになるの?」
「偽標だ」
ショウマは低く言った。
「追うなら、追わせる場所を選ぶ」
リュシの視線が、ショウマの手元へ落ちる。
手袋。
血。
「まぁ。元気な血が――」
「噛むな」
ショウマは即座に被せた。
「今回は作戦用だ」
レアが横から短く言う。
「噛んだら、置いていく」
リュシエンヌは口元へ指を添え、貞淑に笑った。
「うふふ。厳しいのね」
だが目は赤い。欲が透けている。
ショウマはため息を飲み込み、裂いたマントの残り布を取り出した。
小さく切る。指先ほどの幅。
追う線が絡みやすい“欠片”にする。
そして、手袋を外す。
針で、指先をほんの少しだけ刺した。
一滴。
落ちる前に、布へ擦り付ける。
血の匂いが夜気に混ざる。
リュシエンヌが、呼吸を一拍だけ乱した。
レアが視線を刺す。
リュシは乱れを即座に整え、何事もなかったように微笑んだ。
「……これで“本命”の匂いが付く」
ショウマは布を指先でつまみ、結界の膜で包んだ。
「追う線が、こっちへ噛みつく」
そして、地面へ目を向ける。
闇の中に、もう一つの影が動いていた。
小型のインセクター。
エヴェリナが回していた斥候だ。
人型には見えない。黒い甲殻と長い脚。だが動きは静かで速い。
ショウマが布片を差し出す。
「これを持って、北へ。尾根を越えて、谷筋へ落ちろ」
インセクターは無言で受け取り、闇へ溶けた。
次の瞬間、そこにいた痕跡すらない。
レアが短く言う。
「偽標、走った」
「走った」
ショウマは頷き、列へ戻る。
「ここから先は、狩場に入れる」
捕虜の列が、林へ入った。
ショウマは結界で“境界”を作る。
列が迷い込まない安全柵。
追手の足だけが泥へ吸われるよう、足場の意味を薄く歪める。
霧が出たわけじゃない。
だが距離感が狂う。
前と後ろが、同じ場所にいるはずなのに遠い。
追う線が一瞬だけ、ぴんと張った。
そして――割れた。
(来た)
ショウマの口角が、ほんの少しだけ上がる。
狙い通りだ。
◇
灰糸谷の外。
白い列が森に入る。
聖騎士小隊長レオンは、足を止めなかった。
速度も、隊形も崩さない。
後方で司祭セルベルトが、聖印板を見下ろす。
巡礼の聖標。
光が脈打ち――応答が二つに割れた。
「……反応が、分かれました」
セルベルトが低く言う。
レオンは即答した。
「分断は狙いだ」
「斥候を出す。主力は一つに纏める」
白い列の端から、数名が静かに前へ出る。
規律がある。無駄がない。
セルベルトが囁く。
「囮の可能性も」
「囮でもいい」
レオンは淡々と言った。
「囮を使ったということは、本命が近い」
その判断が、嫌に正しい。
完全には騙されない。
それでも、斥候が出た。
形が崩れた。
ショウマの狙いは、それだけで半分成功だ。
◇
林の中。
狩場の縁で、影は待つ。
列は安全柵の内側で止めた。
レアが捕虜たちへ短く落とす。
「座れ。喋るな。動くな」
誰も反抗しない。
今は従うのが生きる道だと、身体が知っている。
ショウマは外側の結界を薄く張り直した。
斥候が入る道だけ、わざと残す。
入って来られる。だが出るのが難しい道。
追う線が、林の外でざわめいた。
足音が近づく。数は少ない。
(斥候だ)
先頭の聖騎士が、霧もないのに足を止めた。
違和感に気づいている。
だが違和感を共有できない。
ここは、合流の意味が薄い。
次の瞬間、レアが背後を取った。
鼻口を抑え、息を奪い、意識を落とす。
倒さない。置く。
もう一人が振り向く。
ショウマは《結界操作》で視界の“奥行き”だけを殺した。
相手の目の前の距離が、急に狂う。
手が空を切る。
レアが滑り込み、同じように無力化。
残りの斥候が後退しようとする。
だが“戻る”という意味が薄い道だ。
足場が吸う。木々が同じに見える。
ショウマは弓を構え、矢を一本だけ放った。
狙いは殺傷じゃない。足元。
矢が地面へ刺さる。
そこに結界が絡み、境界が立つ。
斥候の退路が一拍だけ遅れる。
その一拍で、レアが三人目を無力化した。
最後の一人が剣を抜く。
声を上げようとする。
だが声は声のまま落ちる。
ショウマの合図殺しが、林の中に張られている。
最後の一人は、剣を振る前に膝から崩れた。
結界で“踏ん張る”意味を抜いた。
斥候班は、静かに潰れた。
レアが息を吐く。
「一人、起こせる」
ショウマが頷く。
「口を塞いだまま、最低限だけ」
捕縛。
情報。
今夜の目的は“勝つ”じゃない。“次の面倒を減らす”だ。
そこへリュシエンヌが、当然のように覗き込む。
「まぁ。素敵な獲物ですこと」
レアの目が冷える。
ショウマが先に釘を刺した。
「眷属化は要らない」
リュシエンヌは微笑む。
「……今のわたくしは従順ですわ」
言い方が、少しだけ意地悪だ。
レアが短く言う。
「従順なら黙って見てて」
リュシエンヌは口元を押さえ、貞淑に肩を揺らした。
「うふふ」
ショウマは捕縛した斥候へ近づき、低く言った。
「標の反応が割れた。……お前ら、どう動く?」
斥候は目を逸らし、唾を飲み――口を滑らせた。
「……小隊長は、主力を纏める。斥候で確かめる」
レオン。
有能。
そして厄介。
(完全には引っかからない)
ショウマは斥候を気絶させ、結界で包んだ。
殺さない。
ここは線引きを守る。
レアが頷く。
リュシエンヌはつまらなさそうに微笑むだけだ。
◇
遠くで、応答が変わった。
偽標が、どこかで“回収”されたのだろう。
追う線が、また本命へ寄ってくる。
しつこい。
だが一度、形は崩した。
ショウマは地図の写しを見下ろし、結界の膜を指先で撫でた。
線を消すんじゃない。誘導する。
狩場へ引きずり込む。
レアが短く言う。
「次、来る」
その通りだ。
斥候が消えたことに、レオンは気づく。
そして速度を上げる。
リュシエンヌが囁く。
「本番ですのね」
「本番だ」
ショウマは弓へ手を伸ばし、低く言った。
「巡礼を、こっちの巡礼路に引きずり込む」
影は待つ。
白い列が近づく。
次の夜、初めての正面衝突が始まる。




