第27話 攻勢の一手目
地図が織り上がった瞬間、作戦会議の空気が変わった。
今までの魔王軍は、暗闇の中で殴り合っていた。
だが今は、盤面がある。
作戦執務室の机に、灰糸谷の写しが広げられている。
糸の線は淡いのに、意味は重い。道。尾根。川。見張りの位置。
そして、鉱山拠点と同じ匂いのする“点”。
ミラが短く言った。
「次は救出じゃない。攻勢よ」
言い切ってから、視線を上げる。
「敵の“根”を折る」
グルドが杖を軽く鳴らした。
「第二鎖拠点……教会の公称は『赦しの作業院』。現場は『鎖場』と呼んでおるでしょうな」
レアが地図の一点を指で押さえる。
「ここが谷の入口。ここに見張り。ここに運搬路。……礼拝所があるなら、だいたいこの辺」
ショウマは頷く。
「連祷堂だな」
教会が祈りを連ねる場所。
魔王軍側から見れば、鎖術式の更新装置。
「祈りの蛇口を止める」
ショウマは淡々と言った。
「捕虜がいたら救う。だが優先順位は蛇口。あれが回ってる限り、鎖場は増える」
ミラが即決した。
「目標は三つ」
「一、連祷堂の破壊。二、監督級がいれば確保。三、捕虜は確認できた分、全員救出」
「ただし迷ったら一。分かった?」
「了解」
ショウマが返し、レアが短く頷く。
その横で、エヴェリナ=ボンビクスが穏やかに微笑んだ。
蟲巣の女王。癒しの空気を纏っているのに、会議の背骨を真っ直ぐにする人だ。
「灰糸谷の風は、夜半に変わります」
「見張りの交代は、その前後。蟲が見てきました」
エヴェリナの手元には小さな箱があり、黒い蟲が静かに動いていた。
「戦場へは出ません。けれど、道は織っておきますね」
「戻ってきた蟲が、地図を更新します。……迷っても帰れます」
ミラが頷く。
「よし。出撃は今夜」
そこで一拍置いて、リュシエンヌが当然のように言った。
「行きますわ」
“お願い”ではない。宣言だ。
「攻勢の一手目。四天王が欠けたままでは、士気が揺れます」
「それに……わたくしは、まだ借りを返しておりませんの」
流し目がショウマに触れる。
ショウマは面倒そうに目を細めた。
「リュシ。反動は?」
「来ますわ。ええ、来ます」
笑って言うのが怖い。
「だからこそ、夜のうちに働きますの」
ミラは一瞬だけ黙った。
情ではなく、戦力として測っている沈黙。
「条件付きで許可する」
「日中は無理をしない。反動が来たら撤退優先。勝ち筋を捨てない」
「承知いたしましたわ」
リュシエンヌは優雅に頷く。
レアの肩が一拍だけ張った。
すぐ戻る。
だがその一拍で、ショウマには十分だった。
会議が終わる。
廊下へ出た瞬間、リュシエンヌが当然の距離で並ぶ。
「影の魔将殿、今夜はご一緒ですのね」
「……作戦だ」
ショウマが短く返す。
その横から、レアが職務の顔で差し込んだ。
「装備確認。地図の写しも持つ。更新用の目印はどうする?」
ショウマは歩きながら答える。
「結界の“印”を三つ。谷の入口、連祷堂の裏、退路の尾根」
「了解」
レアの返事は早い。語尾が短い。
リュシエンヌが微笑む。
「まぁ。お二人、息が合っていらっしゃる」
レアは何も言わない。
肩がもう一度だけ張りかけて、すぐ抑えた。
ショウマは頭を掻き、二人へ同じ言葉を投げる。
「揉めるなら置いていく。……出るぞ」
◇ 深夜
城門前。夜。
出撃の列は小さい。だからこそ鋭い。
エヴェリナが見送りに来ていた。
インセクターが甲冑武者の礼で道を作り、無言で頭を垂れる。
儀礼が威圧になる。だがそれは仲間に向けた“守り”でもある。
エヴェリナはショウマたちに近づき、柔らかく言った。
「帰っておいで」
「帰り道は、私が織っておきます。……迷わなくていいのよ」
ショウマは頷いた。
「世話になる」
リュシエンヌが優雅に微笑み、レアが短く礼をした。
ミラは城壁の上から見下ろし、言葉だけ投げる。
「折って来い」
短い。だが命令として完璧だ。
影走りの導線へ滑り込む。
レアが先頭。リュシエンヌが続き、ショウマが最後尾で結界を薄く張る。
足音が消える。
闇に溶ける。
ショウマは地図の写しを握り、因果の線を薄く覗いた。
灰糸谷へ伸びる線は、こちらの足元から始まる。
だが、その線に別の粘りが絡みかけている。
(……追跡)
地図に浮いた汚れの感触と同じだ。
教会側が“追う”準備を始めている。
ショウマは小さく呟いた。
「……来るのが早いな」
◇ 翌日・昼
日が上がる前に、山腹の裂け目へ潜り込んだ。
洞ではない。風が抜ける、狭い隠れ場所だ。
外は明るい。光が痛い。
魔王軍の鎧にとっても、吸血鬼にとっても、昼は余計な負担になる。
レアが短く指示する。
「休む。交代で見張り」
リュシエンヌは壁に背を預け、姿勢だけは崩さない。
だが呼吸がわずかに浅い。夜の恩恵が薄れる時間帯だ。
ショウマは水袋を投げた。
「無理すんな。飲め」
「ええ。……優しいのね」
リュシエンヌは笑って受け取る。
言葉は甘いが、目は冷静だ。反動を自覚している目。
レアは見張り位置を変えるふりをして、少しだけ距離を取った。
その動きが“逃げ”ではなく“整理”に見えるのが、隊長らしい。
昼の間に、エヴェリナの連絡蟲が一匹だけ戻ってきた。
糸の匂いがする小さな黒点。
ショウマが指先を差し出すと、蟲はそこに乗り、すぐ落ちた。
落ちた瞬間、地図の写しの端に、細い追加線が浮かぶ。
「……更新か」
レアが覗く。
「見張りの交代。数。松明の位置。……助かる」
ショウマは、地図の線に混ざる“汚れ”を指でなぞった。
粘る。いやな感触。
(追跡線が育ってる)
確信が腹の底に落ちる。
それでも、止まれない。攻勢の一手目は、今夜だ。
◇ 翌夜
再び闇が降りる。
冷えが戻り、足が軽くなる。
灰糸谷が見えた。
谷の底に灯りがある。整然と並んだ火。
人が住む明かりではない。管理された明かりだ。
リュシエンヌが、ほとんど囁くように言った。
「赦しの作業院……」
言葉だけは立派だ。
実態は鎖場。
レアが地形を指で示す。
「入口に見張り二。尾根に一。運搬路に一。……連祷堂は、あの灯り」
ショウマは目を細めた。
灯りの中心が、妙に“流れて”いる。
祈りの線が、蛇口みたいに注ぎ続けている。
「祈りの蛇口が回ってる」
結界の膜を一枚、薄く張る。
意味を殺す準備。合図を殺す準備。逃げ道を守る準備。
ショウマは最後にだけ、二人へ言った。
「迷ったら蛇口。救出はその次だ」
レアが頷く。
リュシエンヌが微笑む。
「ええ。あなたの影に従いますわ」
その言葉に、レアの肩が一拍だけ張った。
すぐ戻る。
そして三人は、谷へ降りた。
◇
同じ夜。
灰糸谷の向こう、赦しの作業院。
連祷堂の灯が、消えない。
祈りの声が途切れない。
司祭は報告を受け取り、表情を変えずに言った。
「北方の鎖場で、また“欠け”が出た」
聖騎士長が眉を寄せる。
「監督の報告は粗い。捕虜が消えたと」
「消えたのではありません」
司祭は静かに訂正する。
「奪われたのです」
そして、祈るような声で命じた。
「巡礼の聖標を用意しなさい」
「標を刻め。……次は追える形で迎える」
連祷堂の灯が、わずかに強く揺れた。
その揺れが、どこか“人の線”に似ていたのを、気づく者はいない。
夜の谷に、追う準備が落ちていく。
そして影は、折りに行く。




