第21話 影の魔将、鉱山の口を叩く
夜と朝の境目は、いつだって世界が一番薄くなる。
暗さと青さが混ざり合い、どちらにも振り切れていない時間帯だ。
魔王城の北門前で、ショウマは軽く伸びをした。
背中には弓と矢筒、腰には短剣と小さな袋がいくつか括りつけてある。袋の中身は、結界の展開を助ける石や粉、簡易符。どれもグルドが「持っていけ」と押し込んできたものだ。
「本当に、二人で行くのね」
門の影から、ミラが歩み出てきた。黒紫のドレスアーマーの上に、厚手のマントを羽織っている。
夜明け前の冷気が、吐く息を白く染めた。
「あんまり大所帯で行っても、山道じゃ目立つだけだろ」
ショウマは淡々と答える。
「狙ってるのは“鉱山”じゃなくて、“鎖”だ。
口を叩くだけなら、これくらいで十分だ」
「陰湿」
レアが、いつものように横から挟んだ。
彼女も軽装の影走り装備。背中に弓、腰に短剣。マントの裾が、風に揺れる。
「褒め言葉だからな、それ」
ショウマは肩をすくめる。
「鎖を断って、仲間を連れ帰ってくる。
山の中で、大軍同士の殴り合いをするつもりはない」
「分かってる」
ミラは小さく頷いた。
「だからこそ、任せるって言ったのよ。
影走りと影の魔将にしかできない仕事だもの」
その背後で、杖をついたグルドがゆっくりと現れる。
夜明け前の光に、長い髭が銀色に浮かんだ。
「汝らの線は、城からでも追える。
遠見の結界は張っておくゆえ、何かあれば合図を飛ばせ」
「そんなにやべぇことになったら、合図出す余裕もないと思うけどな」
「それでも、しておくに越したことはない」
グルドは目を細める。
「鎖を断つというのは、単に捕虜を助けるだけではない。
人間どもの“光の鎖”が、どのような理層で働いておるのか――
それを覗き見る機会でもある」
「その辺は、現物を持ち帰ってから好きにいじってくれ」
ショウマは、グルドの言葉に片手を挙げて返す。
「こっちはこっちで、“鎖の根元”を叩いてくる。
森みたいに、向こうの都合のいい話で終わらせない」
「必ず、帰ってきなさい」
ミラが一歩近づき、ショウマとレアを順に見た。
「捕虜も、できるだけ多く連れて。
誰一人欠けさせたくないのが本音だけど……欲張りすぎかしら」
「欲張るくらいでちょうどいいさ」
ショウマは、口の端をわずかに上げた。
「相手は“光の使徒と称する人間達”だ。
あいつらがこっちにしてきたことを思えば、これくらいの欲張りは安いもんだろ」
「うん。……行ってらっしゃい」
ミラの言葉に、レアが軽く会釈を返す。
「じゃ、殿やってくる」
「お前は殿をやる前提で話すのやめろって」
「だって殿だもの」
ふたりのやり取りに、ミラの口元が少し緩む。
ショウマは、北門の向こうに広がる暗い山影へと視線を向けた。
「行くぞ、影走り隊長」
「了解、影の魔将」
北門が静かに開く。
夜と朝の境目に、二人の影が溶けていった。
◇
北へ向かう山道は、思っていた以上に静かだった。
かつて戦車が通った名残はなく、獣と巡回兵の足だけが踏み固めた細い道。場所によっては、人ひとりがやっと通れるほどの崖道もある。
「昔は、もっと騒がしかったんだけどね」
先を歩くレアが、振り返らずに言った。
「人間どもと魔族とで、このあたりを取ったり取られたり。
ドルガ隊長が、崖の上から突き落とされたって話もある」
「ドルガ、よく生きてたな」
「下にいた魔物がクッションになったんだって」
「……あいつらしいと言えば、らしいか」
ショウマは苦笑しながら、因果の視界を少しだけ広げた。
足元の岩に染み込んだ血の線。
崖から落ちていった線。
上から光が降ってきた線。
どれも、時間が経って薄くはなっているが、消えきってはいない。
「真正面から突っ込むには、向こうに都合のいい地形ってわけだ」
「そう。だから今回は、真正面からは行かない」
レアが、肩越しに笑いかける。
「影走りと影の魔将が真正面から行ったら、それはそれで笑いものだよ」
「うるせぇ」
ショウマは、あえて軽口で返した。
(鎖を断つ作戦で、こっちが鎖に繋がれて戻ってきたら、目も当てられねぇしな)
山道を進むにつれ、空が少しずつ明るくなっていく。
やがて、太陽が山の向こうから顔を出し、遠くの峰の輪郭を縁取った。
「昼は山影を使って進む。
鉱山の偵察は、日が傾いてからでいい?」
「そうだな。上から“線”を見るだけなら、あっちが油断してる時間のほうが楽だ」
ショウマは頷いた。
「昼間は距離を詰める。
夜に、口を叩く」
「了解」
レアは足を速めた。
山風が、二人のマントを後ろに引っ張る。
◇
夕暮れ。
山の斜面の陰に身を潜め、ショウマは下を見下ろしていた。
そこにあったのは、岩場を無理やり削ってこしらえた鉱山口だ。
崖にぽっかり開いた穴。その前に、粗末な柵と簡単な門。
門の横に、木で組まれた見張り台が一本。さらに少し離れた場所に、小さな石造りの建物。礼拝所だろう。
「……思ったより、こぢんまりしてるな」
「捕虜労働と見張り程度なら、これで十分なんだろうね」
隣で同じように身を伏せているレアが答える。
「門の前に聖騎士が二人、雑兵が三人。
見張り台に弓兵が一人。礼拝所には、さっきから小さい神官が出入りしてる」
「小さい神官って言い方よ」
「背が小さいんだもん。見たまんまだよ」
確かに、礼拝所の前を歩く白い影は、他の兵士より頭ひとつ分ほど低い。
白い法衣に、金の小さな聖印。
彼が建物の中に入るたび、礼拝所の窓から淡い光が漏れた。
「中は?」
「覗いてみる」
ショウマは、視界をわずかにぼかし、因果の線へと意識を沈めた。
岩の中。
細く長い坑道。
そこで、一定のリズムで上下する線がいくつも見える。
ツルハシ。スコップ。
掘る。掘る。掘る。
動きが乱れた線もある。
膝から崩れ、引きずられていく線。
鞭のような線が、何度かその上を叩く。
そして――
「……最奥」
ショウマは、眉をひそめた。
他の線から、わずかに離れた場所。
坑道の奥、岩のさらに奥。
ほとんど動いていないのに、異様に濃く重い線が一本、そこにあった。
周りの薄い線が、そこからじわじわと枝分かれしているようにも見える。
「どう?」
レアが、小声で問う。
「……捕虜たちはたぶん、二十から三十。それ以上は坑道の影で見えねぇ」
ショウマは、わざとそこだけ答えた。
「鎖の数にしては少ないが、奥はまだ分からない。
礼拝所から伸びてる線が、鎖のほうに繋がってる」
「礼拝所を潰せば、鎖は弱くなる?」
「弱くはなるだろうな」
ショウマは、礼拝所のほうへ視界を寄せる。
神官が祭壇の前に膝をつき、祈りの言葉を捧げている。
祭壇から、坑道に向かって細い光の線が伸びていた。
その線は、途中で幾つかに分かれ、鎖と思しき場所に絡みついている。
(ただ――)
問題は、あの最奥だ。
あの一本だけ、線の質が違う。
枯れかけているようでいて、枯れていない。
光の鎖によって縛られているのに、その根っこはどこか別の闇に繋がっているような感触。
(“ただの捕虜”じゃないな、ありゃ)
ショウマは、ゆっくりと視界を戻した。
「一人だけ、妙なのがいる」
「妙?」
「他の捕虜は、“掘る線”か、“倒れる線”か、“引きずられる線”だ。
でも、奥に一本だけ、それとは別の線がいる。
死にきってないのに、動いてない。
聖教会が“死なせたくない”って思うタイプの線だ」
「……それは」
レアの瞳に、わずかな警戒が灯る。
「そこも助ける?」
「鎖に繋がれてるなら、一応な」
ショウマは軽く笑った。
「こっちに牙を向けたら、そのときはそのときだ。
鎖ごとぶった切ればいい」
「そう簡単にいく相手じゃない気もするけど」
「簡単にいく相手なら、わざわざ山の奥に閉じ込めたりしないだろ」
ショウマは、礼拝所のほうをもう一度見る。
「で、潜るのは夜だ」
「うん。夜番のほうが気が抜けてた」
レアは、昼間に影走りで下見したときの様子を思い出すように言った。
「焚き火のそばで、よく喋るし、よく酒も飲むし。
昼は、もう少し真面目だった」
「なら、夜まで待つ」
ショウマは、岩にもたれかかりながら息を整えた。
「日が沈んで、火が灯って、交代の線が揺れたタイミングを狙う。
静かに、口を叩く」
「静かに、ね」
レアの口元に、わずかないたずらっぽさが浮かんだ。
「どこまで静かにできるか、楽しみにしてる」
「ハードル上げるなよ」
ショウマは、空を見上げた。
太陽は、すでに山の向こうに沈みかけている。
空が橙から紫へ、紫から群青へと色を変えていく。
夜が来る。
影の魔将と影走りには、いちばん都合のいい時間帯だ。
◇
夜が降りた。
鉱山の入口近くには、焚き火が二つ。
聖騎士が一人と雑兵が二人、火を囲んでいる。
見張り台の上には、弓を抱えた兵が一人。あくびをかみ殺している。
礼拝所の窓からは、薄い光。
中では、さっきの小柄な神官が、まだ何かを唱えている気配がする。
「行くぞ」
ショウマが囁く。
レアは頷き、岩陰からすっと闇に溶けた。
彼女は、本当に音を立てない。
足もとに小石があっても、草があっても、そこを踏まずにすり抜けていく。
影を縫うように進む姿は、まさに「影走り」の名の通りだ。
ショウマは少し後ろから、手を軽く動かした。
見張り台と門の周囲に、薄い膜のような結界を張る。
音を外に漏らさない、狭い“箱”をいくつか置くイメージだ。
まず、見張り台。
レアが、塔の足元に取り付いた。
弦のきしむ小さな音。
上から、ゆるんだ息が降りてくる。
「……眠い」
弓兵が、塔の上でぼそりと呟いた瞬間、
レアの指が、塔の支えに結ばれた縄をすっと切った。
「ん?」
わずかな違和感とともに、塔が片側に傾ぐ。
弓兵の身体が、がこん、と前に滑る。
「うわっ――」
叫び声があがる前に、ショウマの結界が塔の下に“クッション”を生み出した。
弓兵は、柔らかい何かに叩きつけられたように見えて、そのまま意識を手放す。
「一人」
レアの声が、闇の中から届く。
ショウマは、気絶した弓兵の周りに小さな拘束結界を張った。
見えない縄でぐるぐる巻きにされたように、彼は目を覚ましても動けないだろう。
次に、門番。
焚き火のそばで、聖騎士と雑兵が他愛のない話をしていた。
「なぁ、明日にはここを離れられるって噂、本当か?」
「どうかな。捕虜がいる限り、見張りは必要だろ」
「でもよ、聖都からの命令で――」
その声が、ふっと小さくなる。
ショウマが、焚き火の周囲に“音の箱”を落としたからだ。
箱の中の音は外に漏れない。
代わりに、外の静けさも箱の中に入ってこない。
レアが、焚き火の影から滑り込む。
聖騎士の背後に回り、首筋に手刀。
雑兵の口を押さえ、肘で鳩尾を突く。
抵抗する前に、二人とも膝から崩れ落ちた。
焚き火の火だけが、ぱちぱちと音を立てている。
だがその音も、箱の外には漏れていない。
三人目の雑兵が、少し遅れて戻ってきた。
巡回から帰ってきたのだろう。
「おーい、交代――」
その声も、箱の外へは抜け出せない。
焚き火の明かりに照らされた彼は、仲間が全員眠っているように見えるのだろう。
怪訝な顔で近づいてきた、その足下に。
「おっと」
ショウマが、地面の“感触”を少し変えた。
石と土の一部を、ぬかるみのような粘り気に変える。
足を踏み出した雑兵が、そのままずるりと滑った。
「うわっ――」
前のめりになったところに、レアの影が伸びる。
口を塞ぎ、背中を押さえ、そのまま地面に押しつけた。
「三人目」
「了解」
ショウマは、焚き火周りの人間をすべて小さな結界の中にまとめた。
狭い透明な箱に押し込められた彼らは、しばらく目を覚ますことはないだろう。
「……思ったより、静かだったね」
レアが、焚き火から少し離れた影で呟く。
「うるさくする必要もなかったしな」
ショウマは、門をちらりと見た。
門の鍵は掛かっていない。
どうせ捕虜は鎖で繋いであるから、門を閉める必要はない――そういう油断だ。
「この辺の雑兵は、殺す理由が薄い」
「うん」
「鎖を握ってるのは、もっと奥の連中だ」
礼拝所から、かすかな祈りの声が聞こえる。
ショウマは、その方向を向いた。
「まずは、“光の鎖”の根元からだ」
礼拝所の扉の前まで、影を踏んで近づく。
扉の隙間から、薄い光が漏れている。
中で、小柄な神官が聖印を掲げている気配がする。
ショウマは扉に手をかけた。
レアが、背中で壁に張り付き、弓ではなく短剣を抜く。
「用心して」
「してる」
ショウマは、小さく息を吸い込んだ。
扉の向こうには、鎖に繋がれた仲間たち。
そして、その鎖に“加護”と称する呪縛をかけている人間の神官がいる。
影の魔将と影走りは、静かに礼拝所の中へと踏み込もうとしていた。




