第2話 テレビは「明山くん(仮名)」を作り上げる
『あの説明不能な失踪事件唯一の生存者』という肩書は、便利なんだろう。
少なくとも、テレビや週刊誌にとっては。
◇
事件直後の数日は、とにかく人が家に押し寄せてきた。
警察。
学校の先生。
教育委員会とかいう、肩書だけは立派な人たち。
「つらかったね」
「無理に答えなくていいからね」
そう言いながら、みんな同じことを聞いてくる。
「どうして君だけが残ったの?」
その答えが知りたくて、ここに来てるくせに。
「……分かりません」
そう返すと、彼らは決まって同じ顔をした。
同情とも
疑いとも
観察ともつかない、気持ちの悪い目。
ノートには、きっとこう書かれていたんだろう。
『唯一の生存者。
事件に何らかの“鍵”を握っている可能性』
◇
そのうち、マスコミが本格的に動き出した。
最初は、インターホン越しに話しかけてくる。
「○○テレビの者ですが――」
「ニュースサイトの○○と申します――」
父さんと母さんは、最初のうちは玄関先で追い返していた。
「子どもはショックを受けているんです」
「そっとしておいてください」
それでも、カメラマンは家の前の道に立ち続ける。
近所のコンビニには、いつの間にか見慣れないスーツ姿が増えた。
俺が出かけると、遠くからレンズが向く。
顔にモザイクをかけるから大丈夫――そう言いたげな距離から。
(いや、大丈夫じゃねぇよ)
でも、文句を言ったところで、どうせ“使える画”が増えるだけだ。
だから、何も言わない。
黙って、俯いて、通り過ぎる。
それで、彼らの中ではきっとこうなる。
『唯一の生存者は、何かを隠しているように見えました』
◇
学校も、俺を囲い込もうとした。
「しばらく、休学という形にしないか」
校長が、申し訳なさそうな顔で言う。
「ケアが必要だからね。無理に学校に来なくても――」
「学校に来ると、どうしても注目を集めてしまうからね」
つまりはこうだ。
お前がいると、面倒なんだよ。
「……分かりました」
そう答えるしかなかった。
その日のうちに、生徒用サイトにはこう載ったらしい。
『影山ショウマは当面、心身のケアのため登校を控えます』
クラスメイトは、読んでどう思ったんだろう。
――そもそも、読める場所にいるのかどうかも知らないけど。
◇
ネットの炎上は、はやかった。
『クラスごと異世界召喚とか熱すぎwww』
『二年三組だけラノベ展開で草』
『唯一残った影山ってやつ、絶対なんかしただろ』
最初は、そんな“ネタ”の延長だった。
だけど、あっという間に調子の違う連中が混ざってくる。
『光の使徒に選ばれた子たちが異世界で戦っている』
『この世界に残された者には、役目がある』
『唯一の生存者は、きっと“試されている”んだ』
どこの誰とも知れないアカウントが、“預言”とやらをし始める。
宗教じみたブログが、それをまとめる。
そのまとめを、ニュースサイトがまた切り貼りする。
俺は、その連鎖のいちばん端っこに、勝手にぶら下げられていた。
『唯一の生存者・影山ショウマ(仮名)』
まだ何もしていないのに。
◇
そして、“テレビ”が本気を出した。
ゴールデンタイム。
家族で夕飯を食べている時間帯。
『特集――二年三組集団失踪事件から一か月。
唯一の生存者は、今』
そんなテロップが、でかでかと画面に躍る。
視聴者を怖がらせて、
ちょっと泣かせて、
最後に「考えさせられますね」とまとめるタイプのやつだ。
リビングで、父さんがチャンネルを変えようとして――
母さんに止められた。
「……見ておいたほうがいいでしょ」
その声には、疲れと、少しの期待が混ざっていた。
期待。
テレビが「うちの子は悪くない」と言ってくれることへの。
その期待が、どれだけ馬鹿げているかなんて、
俺も母さんも、まだちゃんとは分かってなかった。
◇
画面には、俺の通学路が映っていた。
モザイクのかかった後ろ姿。
背中のライン、制服の形、歩き方。
知ってる人間が見れば、一発で分かるレベルの“匿名性”。
《番組の取材に応じた唯一の生存者、
明山くん(仮名・16歳)》
テロップの名前を見た瞬間、思わず笑ってしまった。
(仮名にする意味、あるか?)
隣で、父さんと母さんが固まる気配がする。
インタビューの音声は、加工されていた。
俺の声じゃない。
そもそも、インタビューなんて受けていない。
《――クラスのみんなが、いなくなってしまって》
《自分だけ残された意味を、考えてしまうんです》
それっぽい声が、それっぽい言葉を喋っている。
画面の端には、「再現イメージ」と小さく書いてあった。
そう書いておけば、捏造も立派な“演出”になる。
それが、テレビの“正義”だ。
◇
続いて流れたのは、元クラスメイトの保護者たちのコメントだった。
顔にはモザイク。
声は加工。
でも、言葉は生々しい。
《娘はね、よくクラスの話をしてたんですよ》
《明るくて、仲のいいクラスだって》
《影山くん? 前の席の、ちょっと大人しい子……》
《でも、そんな子がひとりだけ残ったって聞いたとき、
正直、“どうして?”って思いました》
編集で切り貼りされた言葉たち。
画面の下に、親のコメントがテロップで強調される。
『どうしてこの子だけが残ったのか――』
それを受けて、スタジオのコメンテーターが口を開いた。
『唯一の生存者である以上、何か“鍵”を握っているのは間違いないでしょうね』
『トラウマで話せないのか、それとも――隠しているのか』
『光の使徒と称する人間達に選ばれなかった“理由”があるのかもしれません』
笑い交じりの声。
わざとらしいため息。
ああ、こいつらは、楽しんでいる。
事件も。
失踪も。
クラスの誰かの涙も。
そして、俺の存在も。
全部まとめて、“番組”として。
◇
週刊誌も、負けてはいなかった。
駅の売店に並ぶ見出し。
『二年三組“異世界召喚”事件の闇』
『唯一の生存者・少年Xの素顔』
薄っぺらい雑誌の表紙に、俺のシルエットが飾られている。
中身を立ち読みする気にはならなかったけど、
数日後、父さんが机の上に一冊置いた。
「……こういうのが出てる」
中を開くと、匿名の“関係者”の証言が、いくつも並んでいた。
《クラスでは浮いていた》
《いつもひとりでいる子でした》
《いじめというほどでは……うーん》
《彼は、皆が楽しくしているときも、
なんだかじっと見ている感じで――正直、ちょっと怖かったですね》
どいつもこいつも、
「自分は悪くない」と言いたいがための言葉ばかりだ。
写真付きで載っている近所の人のコメントも、似たようなものだった。
《挨拶はする子でしたよ》
《でも……何を考えてるか分からない、というか》
そして、記事の締めくくりはこうだ。
『彼は本当に“被害者”なのか。
それとも――』
ページの真ん中に、黒塗りのシルエット。
その下に、でかでかと踊る一行。
『唯一の生存者は、何を隠している?』
◇
俺は、その文字列を見て、笑った。
喉の奥が、ひりひりする。
(ああ)
(やっぱり、俺は“悪役”なんだな)
クラスでいじめられていたときも。
教室から追い出されていたときも。
あいつらの“楽しいクラス”からはじき出されたときも。
世界は、俺を“不要な背景”としてしか見ていなかった。
今は、
“犯人候補”として、
“唯一の生存者”として、
もっと分かりやすい形で消費している。
どっちにしろ、
俺を“まともな人間”として扱う気はなかったらしい。
◇
家の空気も、変わっていった。
父さんは、会社から帰ってきても、あまり目を合わせてこなくなった。
新聞を読むふりをして、
ワイドショーの音量だけが妙に大きい。
母さんは、最初こそ俺を庇うようなことを言っていたが、
週刊誌やテレビを見続けるうちに、口数が減った。
ある晩、キッチンから小さな声が聞こえた。
「……私たち、何か見落としてたのかな」
それは俺に向けられた言葉じゃない。
たぶん、自分に向けている。
でも、その「何か」の中には、
間違いなく“俺”が含まれていた。
◇
時間だけが、だらだらと過ぎた。
ネットは、新しい炎上ネタを見つければ、そっちに流れていく。
けれど、テレビと週刊誌はしつこかった。
節目のタイミングで、必ずあの事件を掘り返す。
『あれから三か月――』
『あれから半年――』
そのたびに、セットで出てくる。
『唯一の生存者・明山ショウマ(仮名)』
俺の名前は、
“使いやすい枠”になっていた。
◇
そして、事件からちょうど半年が経った頃。
学校から連絡が来た。
『スクールカウンセリングの一環として、
一度登校し、先生と話をしませんか』
形式上のケア。
けど、行かなければ行かないで、
またどこかに“協力的ではない”と書かれるんだろう。
「……行ってくる」
玄関で靴を履きながらそう言うと、
母さんは曖昧に頷いた。
学校までの道。
途中のコンビニの雑誌コーナーに、まだあの事件の見出しが残っている。
『二年三組集団失踪事件――残された親たちの“今”』
うちの親だけじゃない。
あのクラスの三十人分の保護者が、
それぞれのやり方で地獄を見ている。
その中の何人かは、
きっとこう思っているだろう。
「どうして、うちの子じゃなくて、あの子が残ったのか」
その矛先が、どこに向かうのか。
俺は、分かっていながら、考えないふりをした。
◇
カウンセリングは、予想通り、空虚な時間だった。
「最近は、眠れていますか?」
「食事は取れていますか?」
マニュアル通りの問いと、
マニュアル通りの相槌。
俺が何を言っても、
ここでの言葉はきれいに分類されて、
どこかの“報告書”に整理されるだけだ。
「何か、学校に対して言いたいことはある?」
最後の問いに、俺は少しだけ迷ってから、答えた。
「……ありません」
ここで何を言っても、
ワイドショーのひとネタにはなっても、
クラスの誰かが戻ってくるわけじゃない。
「そうか。何かあったら、いつでも連絡してね」
先生の笑顔は、
視聴率を気にするタレントみたいに、どこか作り物めいて見えた。
◇
学校を出たところで、夕方の光が目に刺さる。
校門の外には、もうカメラはいない。
代わりに、通りを行き交う人間の視線が、
遠巻きにこちらをかすめていく。
(半年も経てば、こんなもんか)
少しだけ、ほっとする。
このまま、時間がもっと経てばいい。
事件も、ニュースも、全部まとめて“昔のこと”になればいい。
そう思いながら、歩き出そうとしたとき――
「影山くん、だよね?」
背中から、声がした。
振り向くと、そこにはひとりの中年の女が立っていた。
どこかで見たことがある顔。
疲れた目の縁は真っ赤に腫れていて、
唇だけがぎゅっと結ばれている。
脳が、その顔に名前を貼りつける。
――クラスメイトの母親だ。
俺の胸の奥で、嫌な予感が音を立てて広がった。
でも、そのときの俺は、まだ知らなかった。
このあと、この人の“正義”が、
俺の胸に刃を突き立てることを。
そして、その一撃が、
俺を“こちら側の世界”から完全に追い出すことになるなんて――
まだ、何も分かっていなかった。




