第16話 聖骸核は、味方を焼く
光の結界が、きしんでいた。
ユウキは、円の縁に打ち込まれた杭に目をやる。
光の紋章が刻まれた木杭。その一本が、じわじわと黒ずみ、表面に細かなひびが走っていた。
「……おい、今の見たか」
外周を見張っていた弓兵の一人が、青ざめた声を上げた。
「今、杭が……中から腐ったみてぇに、ひび入ったぞ」
「魔族の呪いだ! 悪しき魔に連なる者どもが、我らの防御を――」
神官の一人が言いかけたところで、遠くから短い悲鳴が上がる。
ユウキが振り向くより早く、その声はぷつりと途切れた。
外周を警戒していた弓兵の一人が、土の上に倒れている。
足元の根に引っかかったような姿勢で、その喉には黒っぽい矢が突き刺さっていた。
「またかよ……!」
駆け寄ろうとした兵が、慌てて足を止める。どこから飛んできたのか分からない矢。周囲を見回しても、森の影はただ、じっとそこにあるだけだ。
木々は静かに立っている。
風は、ほとんど吹いていない。
なのに。
(また一人、いなくなった)
高城ユウキは、内心で歯噛みした。
姿が見えない相手に、じわじわと削られる。
襲ってくるのは、牙をむいた魔物でも、雄叫びを上げる魔族でもない。
地面の角度。
枝の位置。
音の跳ね返り。
そういう、目に見えない「何か」に、淡々と足をすくわれている。
「……まずいな」
聖騎士長が低く呟いた。
額には、分厚い兜の下でもはっきり分かる汗がにじんでいる。
「このままここにいても、じり貧だ。かといって、むやみに動けば散り散りにされる」
兵たちの顔に、不安と苛立ちが色濃く浮かび始めている。
「高城様の光は、まだか」「こんなところで死ぬなんて御免だ」「魔族なんかに――」
愚痴とも、祈りともつかない声が飛び交う。
「静まれ」
聖騎士長が怒鳴る。
だが、その声にも、かすかな焦りが混じっていた。
「高城様」
今度は、柔らかい声がユウキを呼んだ。
司祭だ。
ローブの裾を少し持ち上げるようにしながら、円の中央へと近づいてくる。
「このままでは、少しずつ削られていくだけです」
丸い顔。作り物のような笑み。
だが、その目の奥は、状況を楽しんでいるかのように光っている。
「ここはやはり、高城様の“光”で、一気に道を拓くべきかと」
「道を、って……」
ユウキは、思わず言葉を詰まらせた。
「この森ごと、一掃するのです」
司祭は、当たり前のことを言うように微笑む。
「《聖界一掃》――高城様の権能であれば、可能でしょう。森を清めるのです。聖骸核も、そのためにこそ用意されたもの」
(“そのためにこそ”)
胸の内側で、何かが軋んだ。
服の下。胸元に吊るされた結晶の重みを、指先が思い出す。
さっき触れたとき、あれは確かに震えていた。
「しかし――」
聖騎士長が口を挟む。
「この森には、まだ我らの別隊もいるはずだ。何の策もなく森ごと焼けば、味方も巻き込むことになる」
「もちろん、敵の位置を見極めたうえで、でございますとも」
司祭は、聖騎士長の懸念をさらりと流すように笑った。
「このままでは、防御陣もじきに持ちません。杭はひび割れ、結界は薄くなっている。高城様の光を頼るほかありませんでしょう?」
兵たちの視線が、ユウキに集まる。
期待。
不安。
苛立ち。
いろんな感情が入り混じった目。
だが、そのどれもが、「何とかしてくれ」と訴えていた。
「……俺が、ここで撃たなかったら?」
ユウキは、あえて言葉にした。
「その場合は、別の誰かが撃つだけです」
司祭の代わりに、聖騎士長が答えた。
「君が担うべき栄誉を、別の光の使徒が引き受ける。それだけだ」
「そうですとも」
司祭が嬉しそうに頷く。
「ですが――私は、高城様にこそ、その役を担っていただきたい。あなたの光は強い。カズマ様の“献身”を、最も大きな形で証明できるのは、あなたなのです」
カズマ様。
その響きに、胸の奥がぐにゃりと歪んだ。
サッカー部の部室。
泥だらけのボール。
ベンチに並んで腰掛けて、カズマが笑っていた顔。
『俺、試合に出られなくてもいいからさ。みんなの役に立てたら、それでいいや』
あのときの口ぶりは、冗談半分だった。
そういうことを言ってからかってくるやつだった。
そこに、「殉教」とか「光の栄誉」なんて看板はなかった。
(なのに、今のあいつは――)
聖骸核。
“役に立ちたい”って言っていたやつは、今や、ここにある。
掌に収まる大きさに削られて。
光の燃料として。
(……俺だって、嫌だよ)
喉の奥で、言葉が渦を巻く。
(こんな形で、カズマの“役に立ちたい”を使わされてんのなんて)
でも。
ここで何もしない自分を、想像する。
何もせず、じわじわ削られて、誰もかれも死んでいく光景を。
そのとき――
(また“何もできなかった”って、言われるんだろ)
心のどこかで、誰かの声がした。
マサトの横で。
スタンドの下で。
「二番手」「予備」「あいついる?」って笑われ続けた記憶が、まとめて背中を押す。
「……分かりました」
ユウキは、吐き捨てるように言った。
「やればいいんだろ。やりますよ。《聖界一掃》」
その言い方に、司祭は一瞬だけ目を瞬かせ、それから満足げに微笑んだ。
「さすがは高城様。では、準備を」
◇
聖骸核は、円の中央に据えられた。
布を剥がされたそれは、昼の光もない森の中で、ぼんやりとした白い輝きを放っている。
大きさは、人の頭ほど。
表面は滑らかだが、内側で何かがぐにゃぐにゃと動いているように見えた。
「……カズマ様」
司祭が、うやうやしく頭を下げる。
「どうか、我らのために光を」
神官たちも、それにならって祈りの言葉を唱え始めた。
兵たちは、場の空気に押されるように跪き、手を組む者もいる。
(茶番だな)
ユウキは、心の中で毒づいた。
だが、その茶番に自分も乗るしかないことも、分かっていた。
結晶に、両手を当てる。
ひやりとした感触。すぐに、その奥からぬるりとした熱が浮かび上がってきた。
「高城様、《聖界一掃》の詠唱を」
司祭の促しに、ユウキは喉を鳴らす。
「……《聖界一掃》」
その名を口にした瞬間、聖骸核の光が一段階強まった。
眩しさが、視界を塗り潰していく。
結界の内側が、まるで真昼のように白く輝いた。
脳裏に、別の光景がよぎる。
病室のような、薄暗い部屋。
ベッドに横たわったカズマ。
その周りを囲む司祭たち。
彼らが、今と同じように笑っていたこと。
『高城……ごめんな。俺、先に“光の使徒”になるわ』
あのときのカズマの言葉。
本当にそう言ったのか。
司祭たちにそう言わされたのか。
どちらにしても――
(俺は、その“光”を振るう側を選んだ)
結晶へ、魔力を流し込む。
聖骸核の内部で、何かが反応した。
鈍い脈動。
それに合わせて、複数の「声」が、耳の奥を叩く。
『さむい』『こわい』『嫌だ』『役に立てるなら』『見ててくれよ』『ユウキ』
いくつもの声が重なっている。
その中のどれか一つが、はっきりと自分の名を呼んだ気がした。
「っ……!」
思わず手を離しそうになった指を、力で押さえ込む。
(気のせいだ。これはただの、聖骸核だ。教会が“そういうもの”って言ってたやつだ)
自分に言い聞かせる。
そうでもしないと、こいつを使う理由が保てなかった。
「高城様!」
司祭の声が遠くに聞こえる。
「今です、《聖界一掃》を!」
「――ああ」
ユウキは、息を吸い込んだ。
「《聖界一掃》!」
叫ぶように名を放つ。
その瞬間、光が弾けた。
◇
森の上。
俺は、因果の森を見下ろしていた。
線と点で構成された世界が、ひときわ大きな光で満たされていく。
聖骸核だ。
真ん中の光の塊から、四方八方に向かって細い光の線が伸びていく。
さっきまでは、狭い範囲に収まっていたそれが、今は森全体に広がろうとしていた。
(やる気だな、勇者様)
口の端が、自然と歪む。
このまま放っておけば――
森一帯が、まるごと「聖なる炎」、か。
因果視界の端で、魔王軍の線がちらちらと揺れている。
俺たちが張った結界が、分厚い壁となって光を弾こうとしている。
だが、完全ではない。
このままでは、魔王軍側にも、かなりの被害が出るだろう。
それから――
この光は、森だけじゃない。
ちょっと離れた場所。
人間たちの別隊。
補給隊。
野営のテント。
そこにも、うっすらと光の線がつながりかけていた。
こちらからすれば、全部「敵」だ。
だが――
(このままただ焼かせるのも、もったいない)
俺は指を組み、選択肢を並べた。
何もしない。
→ 森は焼け、魔王軍も巻き込まれる。
光そのものを打ち消す。
→ 聖骸核の性質も、教会のやり口も、闇の中に戻る。
光の行き先だけ、ねじってやる。
→ 「正義の光」を、「正義」の側で浴びてもらう。
(……決まりだな)
俺は、因果の森の中で、聖骸核から伸びる光の線を指で掴んだ。
森全体に放射状に広がろうとしていた線を、少しだけ折り曲げる。
手前と左右――魔王軍のいるエリアに向かう線をそいで。
後方と側面――人間たちの別隊や補給隊に向かう線を、太くする。
地図をなぞるように。
「敵のいる場所」を選んで、そこに光を流し込む。
「“正義の光”なら――」
小さく呟く。
「正義の側で、ちゃんと浴びてもらわねぇとな」
同時に、自分たちのいるエリアの結界に触れる。
聖骸核の光を、滑らせるように逸らす。
完全に無効化はしない。
俺たちの頭上をかすめるくらいの位置に、角度を変えるだけ。
因果の線が、きしむ音を立てた。
(これで――)
準備は整った。
◇
世界が、白くなった。
ユウキの視界から、森の色も、兵の影も、全部消えた。
ただ、光。
光、光、光。
全てを焼き尽くすような白。
音さえも溶かしてしまうほどの光量。
肌が焼けるように熱い。
髪が焦げる匂いがする。
だが――
(……死なない)
ユウキは、ぼんやりと気づいた。
熱い。
痛い。
だが、「致命傷」には程遠い。
聖骸核の光は、自分を中心にして渦を巻いている。
まるで、自分の身体を大事に扱っているみたいに。
代わりに――
「ぎゃあああああああっ!」
別の場所から、悲鳴が上がった。
光の壁の、向こう側から。
「なんだ、あれは……!」「燃えてる、後ろが――!」
兵たちの叫び。
次第に視界が戻っていく。
光が薄れ、輪郭が滲みだし、色が戻り始める。
ユウキが振り返る。
そこにあったのは――
さっきまで自分たちの後方にいたはずの別隊と、補給隊が陣取っていた方向。
本来なら、味方のテントや荷車が並んでいたはずの場所。
その一帯が、真っ白に焼け抜かれていた。
木々は灰になり、地面はガラスのように固まっている。
鎧の破片。焼け焦げた布。黒い影だけを残した人の形。
「なん、で……」
誰かが呟いた。
ユウキの喉も、同じ言葉を吐き出していた。
「なんで、後ろが焼けてんだよ……」
前じゃない。
敵がいるはずだった正面じゃない。
焼かれたのは、自分たちの側だ。
「こ、これは――」
司祭が、蒼白な顔を引きつらせた。
ほんの一瞬、言葉を失う。
だがすぐに、いつもの笑みを貼り付けた。
「必要な、犠牲です!」
怒鳴るような声だった。
「彼らも光の勝利の礎となったのです! 誇りに思いましょう!」
誰も、頷かなかった。
兵たちは、ただ、焼けた跡を見ていた。
さっきまで一緒に笑っていた仲間がいた場所。
荷車に腰掛けて愚痴をこぼしていたやつがいた場所。
その全部が、ただの焼け跡になっている。
「お、おい……さっき、あっちには敵の反応はないって話じゃ……」
「何でこっち側だけ……」
「俺たち、自分で、自分たちを……」
ざわめきが、結界の中で渦を巻く。
「黙れ!」
聖騎士長が怒鳴った。
「敵も巻き込んだはずだ! これは、勝利のための――」
言葉の途中で、声が震えた。
自分自身、信じ切れていないのが、分かる。
ユウキの手の中で、聖骸核がまだ微かに熱を持っていた。
結晶の奥から、声が聞こえる。
『ユウキ』
今度は、はっきりと。
『見てくれよ。ちゃんと、役に立ててる、だろ……?』
「……カズマ」
名前が、喉から漏れた。
自分の声だと、気づくのに少し時間がかかった。
「高城様?」
司祭が怪訝そうにこちらを見る。
ユウキは首を振った。
(違う、違う違う違う)
今のは、幻聴だ。
聖骸核に残った、何かの残響だ。
カズマは、自分から核になる道を選んだ。
そう聞かされている。
みんなのために。
光のために。
その“尊い犠牲”を、無駄にしないために。
(俺は、やるべきことをやっただけだ。そうだろ)
自分に言い聞かせる。
おかしいのは、教会。
おかしいのは、こんなものを作った大人たち。
自分は、ただ、勇者として戦っているだけだ。
(だけど――)
焼け跡から立ち上る煙の向こうで、自分の光に焼かれた影が見えた。
誰かが、自分の名前を呼びかける声が、耳の奥から離れない。
『見ててくれよ』
あのときのカズマの言葉と、今、頭の中で響いた声が、重なる。
(違う。こんな形じゃなかったはずだ)
吐き気が込み上げてきた。
同時に、鋭い痛みが走る。
「っ……!」
腕だ。
聖骸核を抱えた腕の骨が、内側からひび割れたように痛む。
筋が焼ける。
血管が焼けているような熱。
視界の端が、赤く滲んだ。鼻血だ。
「高城様!」
司祭が慌てて駆け寄る。
「大丈夫ですか、今の光の負荷が――」
「……平気……です」
ユウキは、歯を食いしばって答えた。
平気なはずがない。
だが、倒れるわけにはいかない気がした。
ここで崩れたら、何かが完全に折れてしまう気がした。
(俺は、勇者だろ)
誰に向けたものとも分からない言葉が、頭の中で響く。
足がふらつく。
地面が、遠い。
聖骸核の光が、急速にしぼんでいくのが分かる。
最後に聞こえたのは――
『……ごめんな』
誰の声だったか、分からない。
ユウキの意識は、そこでぷつりと途切れた。
◇
光が、引いた。
森は、再び影を取り戻した。
ただし、その輪郭は、さっきまでとはもう別物だった。
俺は、枝の上から焼けた一帯を見下ろした。
因果の森の中で、さっきまで賑やかだった線が、いくつも、いくつもぷつぷつと途切れている。
人間たちの別隊。
補給に回っていた部隊。
さっき、聖骸核から伸びていた光の線を、少しだけ折り曲げた先。
「……ひでぇな」
思わず漏れた言葉に、下からレアが顔をしかめる。
「本当に……」
灰と化した木々。
溶けた鎧。
地面に焼き付いた黒い人影。
敵だ。
魔王軍から見れば、全部敵。
それでも、あまり気持ちのいい光景ではない。
「“光の使徒と称する人間達”のやり方だ」
俺は肩をすくめた。
「俺はちょっと、手伝ってやっただけ」
「ちょっと……」
レアが呆れたように目を細める。
「勇者の光を、味方に向け直したんだよね」
「正義の光は、正義の側で浴びてもらうのが筋だろ」
軽口のように言いながら、因果視界を再び開く。
高城ユウキの線を探す。
まだ、ある。
細くはなっているが、折れてはいない。
聖骸核の負荷でボロボロになりかけているが、ギリギリ持ちこたえている。
(しぶといな、勇者様)
なら、利用しがいはある。
俺は、ユウキの線の周囲に「袋」のようなものを作り始めた。
小さな結界の袋。
地面の下に空間を作るイメージ。
外からは見えない、狭い穴。
彼が倒れ、足を踏み外したとき――
そこに、落ちるように。
「あの勇者、どうするの?」
レアが尋ねる。
「殺す?」
「まだ早い」
俺は首を振った。
「一度、ゆっくり話をする。聖教会について。聖骸核について。“光の使徒と称する人間達”について」
「やっぱり陰湿」
「誉め言葉だって言ってんだろ」
軽口を返しつつ、因果の線に最後のひと押しを加える。
ユウキの足元の土が、わずかに崩れるように。
彼の線が、結界の袋の中へと落ちていく。
◇
地面が、消えた。
ユウキは、夢の中で落ちる感覚を味わっていた。
光。
悲鳴。
焼けた匂い。
それらが一度に遠ざかっていく。
代わりに、冷たい闇が、全身を包んだ。
何か固いものに背中を打ちつける感覚。
痺れる腕。
それでも、目を開けることはできなかった。
最後に、誰かの手が、自分の手首を掴む感触だけがあった。
その手は、冷たく、固く。
だが、不思議と安心する握り方だった。
(ああ……そうか)
そこまで意識が回ったところで、高城ユウキの世界は、完全に暗転した。
(――いいところに落ちてきたな、勇者様)




