第14話 影の狩場、開戦
森の匂いが、少しだけ変わった。
湿った土と苔の匂いに、金属と油の匂いが混ざる。
俺は即席の拠点に敷いた地図の上で、指先で線をなぞった。
紙の上には、森の地形と魔王軍が作った簡易陣地。
その上に――俺の目には、別の「線」が重なって見えている。
因果の筋。
足跡になる前の、意志と流れの細い糸だ。
「……入ってきたな」
南端の境界を越えたところで、ひときわ強い「光の筋」が森に踏み込んだ。
そのすぐ後に、小さな点が十、二十と続く。
騎士。神官。荷車。
全部まとめて、森の喉奥まで飲ませてやるつもりなのかもしれない。
「ショウマ」
横で、レアが顔を上げた。
ここは、森の中に作った小さな狩小屋を拡張した拠点だ。
影走りの連中が集めてきた情報と、ドルガの部隊から借りた地図。
そこに俺の《因果閲覧》を重ねて、「影の狩場」を組み立てた。
「南の境界、見張りの子から伝令。光の鎧が三十、神官が十弱。荷車が二台。前に出てるのは騎士だけ」
「荷車は真ん中か、後ろか」
「真ん中。護衛が厚い。……あれが例の“光の塊”だと思う」
レアの眉がわずかに寄る。
ヨルグたちから聞いた話を、彼女なりに頭の中で並べているのだろう。
「全部まとめて叩くか?」
「却下」
俺はあっさり首を振った。
「真正面から殴り合うのは、もっと後でいい。今は――」
地図の上に、指で円を描く。
森の中腹、ちょうど彼らが通りそうな獣道の一帯。
「削る。散らす。迷わせる。俺たちは“影”だ」
レアが、くすっと笑った。
「そういう言い方、似合う」
「褒め言葉として受け取っとく」
褐色の指で、中央の一点を軽く叩く。
そこに、妙な「塊」がある。
軍勢の因果の流れとは別の、濃度の高い光。
人の形をしているようなしていないような、気味の悪い線だ。
「真ん中の荷車の上にいる“光の塊”が、とくに胸くそ悪い。……人をまとめて潰して固めたみたいな匂いがする」
「人?」
「魔族じゃない」
断言すると、レアが真剣な顔になる。
「まずは表の皮だけ引っかいてやる。影走りには、“見えるか見えないか”の距離から弓と小さな罠だけ。刺し違え禁止。死ぬな。今日は試し撃ちだ」
「了解」
レアは即座に頷き、影走りの副官に指示を飛ばす。
「全員、森の表で走りながら刺すだけ。深追い厳禁。……生きて帰ってきなさい」
「おう!」
黒布で顔を隠した影走りたちが、音もなく拠点から散っていく。
その背中を見送りながら、俺はもう一度地図に視線を落とした。
(さて、“光の使徒”がどれだけ森を嫌いになるか……試してやろう)
◇
「おい、隊列崩すな!」
怒鳴り声が、湿った森の中にこだまする。
高城ユウキは、鬱陶しげに眉をひそめた。
金の刺繍がぎっしり刻まれた白い外套。
胸元には、聖教会から授かった小さな結晶が下がっている。
その結晶が、さっきからじわじわと温度を上げていた。
(……感じ悪い森)
足元の土は柔らかく、ところどころに根が張り出している。
枝が低く垂れ、光は遮られる。
ただ暗いだけならまだいい。
だが、音が薄い。鳥も獣も、ほとんど鳴かない。
靴の裏に伝わる感触が、一瞬だけふっと消えた。
「っ……」
ユウキの前を歩いていた聖騎士が、派手に前のめりに転んだ。
それに後続がぶつかり、二列目、三列目と domino のように倒れ込んでいく。
「何をやっている! 足元もろくに見られんのか!」
副官が怒鳴るが、転んだ本人は真っ青だ。
「た、隊長殿……いえ、足元は、何も――」
見れば、そこは普通の根の露出した地面にしか見えない。
だが、ユウキには分かった。
さっき、ほんの一瞬だけ――その場所だけ、足音が消えた。
音が吸い込まれるように、ふっと途切れたのだ。
(気持ち悪ぃ)
「全員、周囲に警戒しろ!」
隊長の号令と同時に、鎧が軋む音が森に満ちる。
その瞬間だった。
ひゅ、と空気を裂く音。
細い矢が、どこからともなく飛んできて、一人の騎士の脛に突き立った。
「うあっ!」
すぐに後衛の神官が癒しの光をかけるが、矢を放った影は見えない。
「どこだ!」
「右か!?」
「いや、今のは左から――!」
ざわつく視界の隙間を縫うように、また一本、矢が飛ぶ。
今度は腕。次は肩。殺しはしない。
じわじわと「痛み」だけを刻みつけてくる矢だ。
ユウキは舌打ちを噛み殺した。
(出てこいよ、どうせ“悪い魔族”なんだろ?)
正義の光を浴びせられて崩れ落ちる「影」の役を、さっさと演じろ。
なのに、森は影ばかり増やして、敵の姿を見せない。
何度も剣を抜きかけては、空振りをさせられるこの感じが――腹立たしい。
◇
「当たりは、悪くないな」
遠く離れた拠点で、俺は呟いた。
結界で拾った音と、《因果閲覧》で見える線。
その両方が、今、目の前の地図に重なっている。
「足元の仕掛けは、影走りの読んだ地形を借りた。……うん、悪くない」
レアが横から覗き込み、にやりとした。
「くすぐるくらい、って感じ?」
「ああ。怖がらせるくらいでいい」
指先で、光の一点を軽くはじく。
「今は、俺たちの顔を覚えさせる段階だ。“ここから先の森は嫌な場所だ”って、身体に刻ませる」
「なら、まだ全力は出さないほうがいい?」
「そうだな」
矢の狙いを、ほんの少しだけ修正する。
肩や足、盾の縁。致命傷にならない場所ばかりを撫でるように。
「今殺しても、面白くない」
レアがちらりと俺を見る。
「ほんと、陰湿」
「誉め言葉として受け取っとく」
肩をすくめた、そのとき。
森の奥で、「光の筋」がひとつ、ぐっと濃度を増した。
胸元の結晶。
あれを中心に、周囲の行軍の線がざわめく。
「……おい」
俺は思わず顔をしかめた。
「レア、前線に連絡。“さっきより一段濃い光”が来る。すぐに岩陰と木の影に潜れ。正面から受けるな」
「了解!」
レアが印を結び、影走りの一人の肩を叩く。
合図とともに、森の中へ黒い影が溶けていった。
◇
「高城くん」
すぐ側にいた司祭が、猫撫で声で呼びかける。
年季の入ったローブに、肥えた腹。
だが、その目だけは獲物を見つけた犬のようにギラギラしていた。
「やはり、ここは君の“光”が必要なようだ」
「……何が?」
「森ごと、焼き払いなさい。“悪しき魔”の隠れる場所を、無くしてやるのです」
その言葉に、ユウキの苛立ちが、ほんの少しだけ別の形に変わる。
苛立ち+期待。
見せ場。
それから――鬱憤。
(また俺頼み、か)
マサトたちは、本陣で「もっと重要な任務」とやら。
自分は、森掃除。
上下関係。
扱いの差は、転移してからずっと変わっていない。
「……いいですよ」
ユウキは短く答え、胸元の結晶に触れた。
聖教会から授かった「聖骸核」。
落伍した者たちの「残り」を聖別し、核として再利用したもの――だと聞かされている。
細かい理屈はどうでもいい。
結果として、それは「強い光」を出せれば十分だ。
指先に、熱が満ちる。
軽く息を吸い、短い詠唱を口にした。
「――光はここに」
瞬間、結晶が弾けるように輝いた。
前方の森が、白く染まる。
木々がまとめて焼き切られ、影という影が吹き飛ぶ。
金属が悲鳴を上げる音。
どこかで岩が爆ぜる音。
熱風が、隊列の前面を舐めていった。
「っ……!」
ユウキは思わず一歩引いた。
自分の起こした光なのに、肌が粟立つ。
周囲の騎士たちが歓声を上げる。
「さすがです、高城様!」
「これぞ光の使徒の――」
その声が、妙にうるさかった。
◇
遠く離れていても、分かった。
森のひと区画が、丸ごと光でえぐられた感覚。
俺は地図の上で、指を止めた。
目の前の線が、一瞬だけぐしゃりと潰れる。
木々の因果。土の因果。岩の因果。
そこにいた影走りの「線」が、きわどいところで跳ねてかわしたのが見えた。
「今のは、危なかったな」
呟くと、レアが息を詰める。
「さっきの光……あれが、聖骸核?」
「たぶん、そうだ」
胸の奥が、ざわりとささくれ立つ。
あの光の質。
あの日、教室を塗り潰した光と、よく似ている。
ただ――違いもある。
「ユウキの力だけじゃないな……」
「ユウキ?」
「いや、独り言だ」
軽く首を振る。
「本人の線とは別に、潰れて固まった人の線が混ざってる。……誰かを“素材”にして、光に変えて押し込んだ感じだ」
レアの顔が、わずかに引きつった。
「教会、そこまでやるの」
「“正義”のためなら、何でもやるさ」
俺は冷たく言い捨てた。
「だからこそ、あれをどうやって止めるかを知らないと――いつかこっちもまとめて焼かれる」
光の線を、指先でなぞる。
「……よし。狩りのやり方を変える」
「どうする?」
「前、中、後ろ。隊列を、きれいにばらしてやる」
目を閉じて、《結界操作》に意識を沈める。
森のあちこちに張り巡らせた薄い壁。
音をぼやけさせる膜。
視界をわずかに曲げる膜。
それらを少しずつ角度を変え、足場の「正解ルート」をずらしていく。
「前衛はちょっと急がせる。後衛は、ほんの少しだけ遠回りさせる。真ん中の荷車は――」
「光の塊と、その護衛だけを、森の真ん中に引きずり込む感じ?」
レアが言葉を継ぐ。
「そういうこと」
目を開けると、地図の上で光の線がじわじわと伸び方を変えていた。
「影走りには、“間”だけ切り離すように動いてもらう。深追い禁止は継続。……獲物は、まだ逃がさない」
レアの紫の瞳が、わずかに楽しそうに光った。
「了解。挟み込む準備、しておく」
◇
「おい、前を待て!」
どれくらい森を進んだ頃だったか。
高城ユウキは、ふと違和感に気付いた。
前方の騎士の列が、木々の影に隠れるように遠ざかっている。
さっきまで、一声かければ届く距離にいたはずだ。
「隊列を詰めろと言っているだろう!」
怒鳴っても、返事が妙に遠い。
逆に、後ろを振り返れば――
後続の馬車や補給隊の姿も、思ったより遠かった。
「いつの間に、こんなに距離を――」
副官が顔をしかめる。
さっきまで、こんなに間は空いていなかった。
足を速めた覚えも、遅くした覚えもない。
なのに、気づけば前後の気配が、薄い膜越しみたいに遠い。
「高城くん、少し待ちましょう」
司祭が声をかける。
「下手に進むと、隊がちぎれます」
「……そう、ですね」
ユウキは剣の柄に手を置いたまま、周囲を見回した。
木々。
影。
湿った土。
どれも同じように見える。だが、何かが「違う」。
足元の影が、じわじわと伸びていく。
輪を描くように。
ゆっくりと、じっとりと。
「……おい」
副官が剣を抜いた。
「周囲、警戒。何か――」
空気が、揺れた。
耳の奥が詰まったような違和感。
鳥の声も、風の音も、一瞬だけ消える。
代わりに、何か透明な膜が、上空に張り巡らされる感覚があった。
空を見上げれば、木の葉の隙間に、薄い何かが揺らめいている。
「結界……か?」
司祭が震える声を漏らした。
「いつの間に……!」
ユウキは歯噛みした。
(囲まれた? じゃあ、さっきまでのは全部――)
森の入口から続いてきた小さな罠。
足をすくわれ、矢を受け、視界を裂かれてきた道のり。
あれは全部、「ここ」に連れてくるための前振りだったのか。
木々の影が、わずかに濃くなる。
その奥から――声がした。
「ようこそ、“光の使徒”」
低く、どこか楽しげな声。
男の声だ。
年齢は、自分とそう変わらないようにも聞こえる。
けれど、響き方が違う。
胸の奥を、冷たい指で撫でられたみたいな感覚が、背骨を走った。
「誰だ!」
ユウキは剣を構え、声の主を探す。
だが、どこから聞こえているのか分からない。
前からも、右からも、背後からも、同じ声音が微かに響いている。
「姿を見せろ!」
叫ぶと、間を置かずに、また声が返ってきた。
「姿は、もう少し後でいいだろ」
どこか、くすぶった笑いを含んだような声音。
「ここから先は――」
一拍、間が空く。
「“影の魔将”の狩場だ」
その言葉と同時に、足元の影が、わずかに締め付けるように揺れた。
高城ユウキは、思わず奥歯を噛みしめた。
森の奥で、見えない何かが口角を上げている気がして、無性に腹が立った。




