夢みがちな、少年
森の奥にある小さな村に、今夜はいつになく活気があった。
広場の中央には大きな焚き火が焚かれ、その炎は天へと伸びるように揺らめいている。夜の闇を押しのけるその赤々とした光を囲み、村人たちは笑い声を響かせながら、祭りを楽しんでいた。
焼けた肉の匂いが鼻をくすぐり、子どもたちが駆け回る足音が土を叩く。太鼓のリズムに合わせて笛が鳴り、年配の者はゆったりと酒を酌み交わし、若者たちは声を張り上げて踊る。村全体がひとつの生き物のように脈打ち、夜空には煙と共に笑い声が昇っていった。
「今日は大量だな! ボルケン食べ放題だぞ!」
誰かが声を上げると、どっと笑いが広がった。
ボルケン──小柄な猪型の魔物。森のあちこちに生息し、気性は荒いが群れで行動することは少ない。狩るには骨が折れるが、肉は甘く、祭りには欠かせないご馳走だ。
その肉を豪快に串に刺し、焚き火の端でじっくりと焼く。じゅう、と滴った脂が火花を散らし、香ばしい煙が村中を包み込んでいた。
「よし、いただき──あちっ! あちちっ!」
人だかりの中でひときわ大きな声を上げたのは、少年リオだった。
十五歳になったばかりの彼は、こんがりと焼き上がった串肉にかぶりついた途端、熱さに跳ね上がり、あわてて口を押さえる。
「お前なあ……せめて息を吹きかけてから食えよ!」
「相変わらず、リオはそそっかしいなぁ!」
周りの村人たちは苦笑混じりに笑い飛ばす。リオは口の中を押さえながらも、目だけはきらきらと輝かせ、まだ半分以上残ったボルケン肉を名残惜しそうに見つめていた。
「でも……やっぱり、獲れたては美味いな!」
懲りずにそう言っては、また一口大きくかぶりつく。
すると今度は串を握っていた手が滑り、肉の塊がぼとりと地面に落ちた。
「うわっ、ま、待って! 三秒ルール! 三秒ルールだから!」
慌てて拾い上げるリオを見て、村人たちは一斉に大笑いした。
「ははっ! まったく、リオらしいや」
「こんなんで冒険者になれるのか?」
誰かが冗談交じりにそう口にすると、笑い声の輪がさらに広がった。
そのとき、焚き火の赤い光に照らされて、ひとりの老人がゆっくりと立ち上がった。
村の長老であり、リオの幼い頃からの面倒をよく見てくれた人物だ。皺だらけの顔には穏やかな笑みが浮かんでいたが、その眼差しは鋭く、少年を真っ直ぐに射抜いていた。
「リオ──十五の誕生日、おめでとう」
「ありがとうございます、長老さま!」
慌てて串肉を背中に隠し、リオは背筋を伸ばして頭を下げる。
「聞けば……冒険者になるつもりだそうだな。本当か?」
広場に一瞬の静けさが訪れた。村人たちが焚き火の音に耳を傾けるようにして、リオの返事を待つ。
リオは少しだけ口ごもり、けれどやがて真剣な表情で顔を上げた。
「……はい。本当です。僕、冒険者になってみたいんです」
周りの誰かが「おいおい、大丈夫かよ」と小声で笑う。しかしリオは気づかないふりをして続けた。
「世界を旅して、いろんなものを見てみたいんです。それに……父さんのような冒険者になりたいんです!」
父。その言葉に、村人たちはうなずき合った。
リオの父は、いま遠い街でギルドマスターを務めている。かつては数々の冒険で名を馳せた実力者であり、村人たちの誇りでもあった。
「父親の血は、確かにお前の中に流れておる」
長老は静かに言葉を紡ぐ。
「だが、血だけで冒険者は務まらん。お前は……どうやって、その夢を掴むつもりだ?」
問いかけに、リオは少し考え込み、そして胸に手を当てた。
「正直、僕はドジですし……まだ何の力もありません。でも、だからこそ知りたいんです。僕に何ができるのか、僕がどんな人間なのか。冒険に出れば、きっと見つけられるって──そう思うんです」
焚き火の炎が、少年の顔を照らす。
その瞳は、不安と期待の入り混じった光を宿していた。
翌朝。まだ太陽が森の端から顔を出すかどうかという頃。
リオの家の前では、慌ただしい物音が響いていた。
「よし、出発……あれ? 水袋どこだっけ!?」
リオは玄関を出てからすぐに大慌てで戻り、部屋をひっくり返して探し始めた。
「昨日のうちに荷物に詰めなさいって言ったでしょ」
母の叱責が飛ぶ。水袋は布団の下から転がり出てきて、リオは頭をかきながら笑った。
一件落着かと思いきや、今度は靴を履こうとして村人たちに呼び止められる。
「おいリオ、靴逆だぞ!」
「えっ、あ、本当だ!」
左右逆に履いたまま歩こうとし、村の子どもたちにまで大笑いされる。
さらに背中に背負った荷物袋を持ち上げると、ガラガラと中身が落ちて地面に散らばった。
乾燥肉、ロープ、火打石、替えの下着まで転がり出て、リオは顔を真っ赤にする。
「み、見なかったことにしてください!」
子どもたちは腹を抱えて転げ回り、年寄りたちは首を振りながらも目を細めて笑う。
極めつけに、出発直前になって剣を忘れたことに気づいた。
「……あれ? 僕の剣……剣!? うわぁぁあ!」
あわてて家の裏まで走って行くと、昨日の祭りで串焼きを食べるときに置きっぱなしにしていたらしい。
鞘に収まった小ぶりの片手剣を抱えて戻るリオに、村人たちはまたどっと笑い声を上げた。
「ほんとに大丈夫かよー!」
「途中で道に迷って帰ってくるんじゃないか?」
そんな野次も飛ぶが、笑いにはどこか温かみがあった。
ようやく出発準備を整えたリオの姿は、少し頼りなくもあった。
小柄な体格に合う短めの片手剣を腰に下げ、胸当てと肩にだけ取り付けられた革防具は擦り切れて色褪せている。父のお下がりだが、今にも綻びそうで「冒険者らしさ」と呼ぶには少し心もとない。
村人たちが焚き火のあとに集まってきたとき、ちょうど馬車の車輪の音が近づいてきた。
がたん、ごとんと揺れながら、荷物と人を運ぶ乗り合い馬車が村の広場に停まる。御者が「街へ行く人は急いで」と声をかけた。
リオは深呼吸をひとつ。
昨日からずっと高鳴っている胸の鼓動を落ち着かせるようにして、村人たちに向き直った。
「……みんな! 僕、行ってきます!」
一瞬の沈黙のあと、村人たちから「頑張れよー!」「気をつけろよー!」と温かい声が上がる。
中には「ちゃんとご飯食べろよ!」とか「靴はもう逆に履くなよ!」と茶化す声も混じるが、それもリオらしいと誰もが思っていた。
長老が一歩前に出て、杖を地面に突きながら言葉を贈る。
「リオ……未熟さを恐れるな。未熟さこそが旅の始まりじゃ」
リオはぐっと唇を結び、うなずいた。
荷物袋を背負い直し、革防具の肩紐を引き締め、ぎこちない動きで馬車へと乗り込む。
がたん、と馬車が動き出す。
見送る村人たちの姿が少しずつ小さくなり、やがて森の木々に隠れて見えなくなった。
「父さん……僕、絶対に父さんみたいな冒険者になるから」
リオは小さく呟き、まだ見ぬ世界へと揺れる馬車に身を任せた。




