第6話 月のしるし、記憶の扉〜母の手紙と、レモンバターの焼きささみ〜(今日のレシピ:焼きささみとレモンの香り野菜添え&にんじんとオートミールのやさしいポタージュ)
手紙を読むとき、そこにはただの言葉以上のものが潜んでいる。
それは記憶のかけらだったり、しまっておいた痛みだったり・・・
それでも、誰かの声がそっと届くことで、心の奥にあかりが灯ることもある。
静かな夜に、少しだけ前を向くための、ふたりの食卓とやさしい一皿のお話です。
月曜の夜、リビングのランプの光が、いつもより少しだけ柔らかく感じられた。
日中のざわめきが静まり、夜が本格的に訪れる少し前の時間帯。玲央は、封筒を手にしたまま、しばらく動けずにいた。
鎌倉の蔵で見つけた小箱と、その下に滑り込むように隠れていた、あの一通の手紙。
送り主の名前は、母・玲那。文字を見たとき、胸の奥が少しだけ熱くなった。
宛名は、自分の名前ではなく、「れおへ」と、ひらがなで綴られていた。まだ小さかった頃の自分に宛てて書かれたものだとわかる。
封を切る手が、少しだけ震えた。
紙を広げると、そこには、玲那の丁寧で柔らかな文字が並んでいた。
「れおへ
この手紙を読むのが、いつになるかはわからないけれど、きっと、あの子がそばにいるときなんじゃないかと思って書いています。
あの子というのは・・・金色の瞳で、猫の姿をした、とても不思議であたたかい子。あなたが眠る夜に、ぴたりと寄り添ってくれる子です。
その子が現れたとき、あなたの中に眠っていた“月の記憶”が、少しずつ目を覚まします。
わたしたちの家には、月にまつわる血が流れていて、ときどき、それは“しるし”として姿を現すの。
それは、選ばれた誰かにだけ、そっと灯る光です。
信じられないかもしれないけれど、あなたなら、きっと気づけると信じています。
・・・母より」
封筒の紙は思ったよりやわらかくて、少しだけ指先が沈んだ。その手ざわりの向こうで、胸の奥にずっとしまっていた記憶が、小さく揺れた。
あの日のことを思い出してしまった。父の運転する車で出かけた、夏の終わりの午後。後部座席でうとうとしていた玲央を、事故の衝撃が一瞬で目覚めさせた。
母は、咄嗟に玲央を抱きかかえた。そのまま、何も言わずに・・・
目を覚ましたときには、もう、両親はいなかった。
その記憶は、今でも玲央の心の深いところで、痛みを持ったまま眠っている。
そっと目を閉じると、足元にいたシトロンが静かに近づいてきて、玲央の手に前脚を添えた。
その一瞬・・・彼の胸元に、ふわりと“月の印”が浮かんで見えた気がした。淡く、儚く、まるで光の吐息のように。
「……君のこと、少しだけ、わかってきた気がする」
玲央は、そう呟いて、シトロンの頭をやさしく撫でた。シトロンは何も言わず、ただ静かに、玲央のそばで丸くなる。
手紙を読み終えてしばらく、玲央はキッチンに立つ気になれなかった。
けれど、夜の静けさに、ふと気づく。
「……こんな時こそ、食事だな」
小さく息を吐いて、冷蔵庫を開けた。
ささみとレモン、クレソン。
そして、にんじんとオートミール。
今日はやさしいスープも添えてみようと思った。
祖母のレシピ帖をふと開くと、こんな言葉が目に入った。
「こころがうまく動かない日は、
やさしい甘さで、からだを先にほぐしてあげてね」
〜『月夜のレシピ帖』より
フライパンで焼いたささみに、仕上げにレモンバターを垂らす。人間用にはブラックペッパーを軽く。猫用には薄く裂いて、味つけ前に取り分けた。
にんじんのポタージュは、豆乳でなめらかに。人間用には塩で整え、猫用にはささみと混ぜて小さな器に盛る。
「……できたぞ」
食卓に皿を並べると、シトロンが静かにやってきた。何も言わずに椅子の下に座り、玲央の手元の動きを見上げる。
スープの甘さが、やわらかく口に広がった。レモンの酸味は控えめで、でもちゃんと玲央の背中を支えてくれる味だった。
玲央は、そっとシトロンに目を向けた。
この家で誰かと食卓を囲むのは、どれくらいぶりだろう。
そんなことを考えながら、玲央はふと、心の奥が少しだけあたたかくなるのを感じていた。
【今日のレシピ】
『焼きささみとレモンの香り野菜添え』
〜しっとり焼きあがったささみに、香りとやさしさを〜
▶ 材料(1人と1猫)
・鶏ささみ……1本
・レモン……少量(人間用のみ)
・クレソン or ズッキーニ……適量(蒸して添える)
・バター……5g(人間用のみ)
・塩・こしょう……少々(人間用のみ)
▶ 作り方:
ささみを蒸し焼きにしてしっとり仕上げる。
猫用には味つけ前に取り分け、小さく裂く。
人間用にはバターとレモン汁を加えて軽くソテーし、野菜を添える。
『にんじんとオートミールのやさしいポタージュ』
〜ほっとする甘さと、ほのかなとろみ〜
▶ 材料(1人と1猫)
・にんじん……1/2本(薄切り)
・オートミール……大さじ2
・無調整豆乳……150ml
・塩・こしょう……各少々(人間用のみ)
・オリーブオイル……少量(人間用のみ)
▶ 作り方:
にんじんをやわらかく煮る。
オートミールを加えてさらに煮込み、豆乳でのばす。
味付け前に猫用を取り分け、すりつぶして冷ます。
人間用には塩・こしょう・オリーブオイルで整える。
▶ レシピ帖のひとこと:
「こころがうまく動かない日は、
やさしい甘さで、からだを先にほぐしてあげてね」
〜〜祖母・紗英の『月夜のレシピ帖』より
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
第6話では、玲央が初めて、亡き母・玲那の手紙と向き合う場面を描きました。
過去の痛みと向き合うことは、静かな勇気がいるものですが、
そのそばに誰かがいてくれるだけで、人は少しだけ前を向けるのかもしれません。
シトロンの“月の印”も、またそっと現れて・・・少しずつ、ふたりの物語が深まっていきます。
次回は、満月の夜。
ふたりに訪れる、ほんの小さな奇跡のような出来事を描く予定です。
また読みに来ていただけたら嬉しいです。