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第20話 静かに満ちる、ふたりの契約(「焼き鯖と香味野菜のおむすび」「冷たい出汁卵」「青柚子香る 夏野菜の和えもの」)

「月の鍵が、目覚めるとき」

心の奥にしまっていた、ある想い。

それがふいに、静かな光とともにほどけていく。

過去から差し出された“鍵”が、いまの自分とそっとつながって。

知らなかった記憶、眠っていた気持ちが、やさしく呼び起こされていく。

そんな、少しだけ特別な夜のお話です。


・・・月が、まだ薄明の空に溶け残っている。

玲央が台所で湯を沸かしていると、スマートフォンが小さく震えた。

《今日の午後、急遽対面でのプレゼンが必要になりまして…一條さんが来られるなら、安心できます!》

仁科からのメッセージ。


「急ぎ、か……わかった。行くよ」


玲央が短く返信を打ち、スマホを閉じると、ちょうど台所から紗英の声がした。


「行ってくるなら、これ持って行きなさい」


手渡されたのは、麻布で丁寧に包まれた塗りの小ぶりのお重。

中には・・・


・焼き鯖と香味野菜のおむすび(大葉と生姜、白ごまを和えたご飯で包んだもの)

・冷たい出汁卵(昆布と鰹の一番出汁でじっくり煮含めた半熟玉子)

・青柚子香る夏野菜の和えもの(おくら、みょうが、茗荷、きゅうりの薄切りを白酢で軽く和えたもの)


朝の光のなか、そっと差し出されるそのお弁当は、どこか懐かしく、優しい気配に満ちていた。


「……ありがとう、紗英さん。いただいていきます」


すると、ソファの上から跳び降りたシトロンが、足元にしなやかに身を寄せてきた。


「おまえは……今日は留守番だ」


玲央がしゃがんで言うと、シトロンは低く「ニャ」と鳴き、瞳をまっすぐ見上げてくる。


「……紗英さん、お願いできる? 今日の午後だけだから」


「ええ、もちろんよ。……でも」


そう言いかけたとき、シトロンが前足で玲央の膝をちょん、と叩いた。

・・・行かせない、とでも言うように。

玲央は少しだけ困ったように笑い、シトロンの頭を撫でた。


「……そんな顔するなよ」


撫でた毛並みの下から、微かにぬくもりが伝わってくる。その感触に、玲央の胸の奥が、ふいにきゅっと締めつけられた。


「……じゃあ、一緒に行くか」


そう言って、キャリーバッグを手に取る。シトロンは即座に中へ滑り込み、ふわふわのクッションに丸まった。


* * *


都内へ向かう道中。

玲央の愛車・・・シルクホワイトのアルファロメオ8Cスパイダーの助手席に、キャリーバッグが収まっている。

マンションに到着すると、玲央はシトロンをリビングのソファーに座らせ、

「おとなしくしててくれよ。行ってきます。」と呟いた。


* * *


オフィスの屋上テラスは、都心とは思えぬほど緑が深く、風が静かに吹いていた。

正午すぎ、打ち合わせを終えた玲央は、誰もいないその場所に、塗りのお重を置いた。

開けば、立ちのぼる香り。焼き鯖の香ばしさに、青柚子の涼やかな余韻。


「……すごい!・・・これ!」


その声に振り返ると部下の仁科が立っていた。


「まさか、お重でお弁当とは思いませんでした。……けど、似合います。一條さん、そういうの」


「似合う、ね……ふふ」


玲央は照れたように笑い、そっと箸を取った。


「祖母・紗英さんの、手作りなんだ」


「いいなぁ……今度、レシピ教えてもらえませんか?」


無言で微笑みながら、玲央の胸の奥に、朝のぬくもりがよみがえってくる。

その記憶に、なぜか胸が温かく、そして少しだけ切なくなった。


* * *


夜。

都内のマンションに戻ると、シトロンはベッドの上で丸くなって眠っていた。

毛並みが月の光を受けて淡く輝き、その静かな寝息が、部屋の中の空気を柔らかくしていた。


玲央はそっとスーツを脱ぎ、リビングの窓を開ける。そこには、まんまるな満月が静かに浮かんでいた。


「……帰ってきたよ」


その声に、めずらしくシトロンは身じろぎもせず、ただ安らかに眠っていた。


ふと、玲央は鞄の中に手を伸ばし、布に包まれた小さな箱を取り出す。

中にあるのは・・・

銀のペンダント・・・玲那の形見。

そしてもう一つ、祖父から託された、月の鍵《Clavis Lune》。

ふたつを手に取ると、不思議と心が落ち着いた。

(僕は……あの子に出会って、なにか変わったのかもしれない)

初めて会ったあの日から・・・

戸惑い、困惑し、苛立ちながらも、心のどこかで惹かれていた。

・・・金色の目。わがままで、無鉄砲で、でも時折見せる、誰よりも繊細な優しさ。

(……猫でも、なんでもいい。シトロンが、あの子であるなら)


玲央はゆっくりとベランダに出た。

都内の喧騒が遥か下でかすかに響いている。空には、満月。

淡く輝く月を見上げながら、自然と言葉がこぼれた。


「月がこんなに明るくて綺麗だよ……シトロン」


鎌倉で過去にふれて、少し感傷的になっているのかもしれない。

記憶、契約・・・・日常に戻って、全てが夢物語のような気もして、

正直現実として受け止めているかというと、受け止められていない気がする。

でも、あの夜の金色の髪の匂いが忘れられない。

そして、その姿を超えて、レオと呼ぶ金色の瞳が愛おしい。

抱きすくめられる金色の丸い毛玉が僕の心を完全に温める。

これはもう、特別なのだ。なくてはならない存在・・・

そう、はっきりと知った。

目を閉じ、静かに息を吐いたそのとき・・・

ペンダントと鍵が、ふわりと淡く光った。

ふたつの月が、引かれ合うように、そっと重なっていく。

カチリ・・・

音もなく、ふたつがひとつに繋がった。

玲央は、それに気づかないまま、窓辺の月を見上げていた。

ただひとつの、静かな祈りのように。


* * *


【 今日のレシピ】

『焼き鯖と香味野菜のおむすび」「冷たい出汁卵」「青柚子香る 夏野菜の和えもの』


『 焼き鯖と香味野菜のおむすび』

▶︎材料(2個分)

・焼き鯖(塩焼き・骨を除く)……1/2尾分

・ごはん(温かいもの)……約1膳

・大葉……2枚(刻む)

・茗荷……1本(薄切り)

・生姜(千切り)……小さじ1

・白ごま……少々


▶︎作り方

1. 焼き鯖は皮と骨を除き、身をほぐす。

2. 刻んだ大葉・茗荷・生姜・白ごまと一緒にごはんに混ぜる。

3. 軽く塩を手につけて、ふんわりと握る。

4. 食べる直前に、残しておいた大葉で包んでも風味が際立つ。


『 冷たい出汁卵』

▶︎材料(2人分)

・卵……2個

・白だし……大さじ1

・水……100ml

・みりん……小さじ1

・柚子のあれば……少々


▶︎作り方

1. 卵は半熟に茹でて、殻をむく。

2. 白だし・水・みりんを合わせてひと煮立ちさせ、冷ましておく。

3. 卵を漬けて、冷蔵庫で1時間以上味を含ませる。

4. 食べる前に切り分け、柚子の皮をあしらう。


『 青柚子香る 夏野菜の和えもの』

▶︎材料(2人分)

・きゅうり……1/2本(縦半分にして斜め薄切り)

・パプリカ(赤・黄)……各1/8個(千切り)

・オクラ……2本(ゆでて斜め切り)

・塩……少々

・青柚子の果汁……少々

・白だし……小さじ1


▶︎作り方

1. きゅうりに塩をまぶして5分ほど置き、水気をしぼる。

2. すべての野菜を合わせ、青柚子の果汁と白だしでさっと和える。

2. 冷蔵庫で少し冷やすとより爽やかに。


▶ レシピ帖のひとこと:

『出先でも、やさしい味がひとつあるだけで、心がふっとほどけるのよ。

    それが“帰る場所”ってことかもしれないわね』

 〜〜祖母・紗英の『月夜のレシピ帖』より


月は、満ちても欠けても、ただそこにあるだけ。

だけど、不思議と・・・誰かを想って見上げたとき、その光は心に届いてくるものなのだと、玲央を通して感じています。

この第21話は、ふたりの物語が静かに「確信」に近づいていく章です。

日常のなかで育まれる気持ち、小さな違和感、抱きしめたくなるようなぬくもり。

その全部が、言葉にならない愛のかたちとなって、玲央の胸に芽吹いていきます。

ペンダントと鍵が重なり合った瞬間。

それはまだ「奇跡」ではありませんが、静かな兆しであり、運命が動き出す音でもあります。

玲央が見上げた満月の光の先に、誰がいるのか。

そして、ふたりの約束がどこへ向かうのか・・・


次回、いよいよ扉が開きます。

どうか最後まで、あの金色の瞳の先にある“想い”を見届けてください。

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