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第10話 満月の夜に、君を知る 〜崩れた体と、守る腕の記憶〜(今日のレシピ:白豆とひよこ豆のトマトスープ 〜彩り野菜のグリル添え バジルクレマとレモンの香りで〜)

満ちゆく月の夜、空気が少しだけきらめいて感じるとき。

それは、見えない糸が誰かと静かに結び直される、そんな予感のする夜です。


今回の物語は、これまで積み重ねてきた静かな日々の先に訪れる・・・

一瞬の奇跡と、ふたりだけの時間。

心と心がすれ違いながらも、確かに惹かれ合っていた玲央とシトロン。

その距離が、満月の力に導かれて、ふっと触れ合う瞬間を描きました。

ひとすじの月明かりが照らすのは、記憶、約束、そして・・・愛。


どうぞ、静かな夜のページをめくるように、お楽しみください。




雨が上がったばかりの夜だった。

鎌倉の路地にはまだところどころに雨粒が残り、街灯の光をかすかに反射している。

空には雲がまだ漂っていたが、その隙間からひとすじ、銀色の月光が差し込んでいた。

玲央は、その石畳の道を駆けていた。

胸元を押さえ、呼吸を整えようとしても、うまくいかない。

肩が大きく上下し、靴音が乱れたリズムで響いていた。


(……また、だ。身体が……ついてこない)


心臓が、不規則に跳ねている。

昼間は何ともなかった。けれど今夜は、妙に“月”の気配が強く感じられた。

まるで、どこか遠くで眠っていた何かが、目を覚まそうとしているように。

その“何か”が、自分の中にあるという、確信にも似た感覚。

喉の奥が焼けるように熱くなり、視界が揺れる。

・・・そのとき。

視界の端に、光の尾を引くような影が走った。


「……っ……」


足が止まり、ふらつく。

地面がゆがみ、次の瞬間、崩れ落ちる——はずだった身体を、何かが、確かに受け止めた。

「……まったく、目を離すとこれだ。

仕方ないな。今度は・・・俺が、お前を守る」


低く澄んだ声。どこか冷ややかで、それでいて、懐かしい響き。

見上げた先・・・そこにいたのは、風に揺れる長い金髪。

白いロングコートに身を包み、夜の月明かりに浮かび上がるような、異国の王子のような青年だった。

玲央の瞳が、ゆっくりとその姿をとらえる。


「……シトロン……?」


口が、自然とその名を呼んだ瞬間。

重力が一気に戻り、玲央は彼の腕の中へと崩れ落ちた。

その刹那、世界が少しだけ静かになったような気がした。


* * *


どこか遠くの水面に、ゆらゆらと心だけ浮かんでいるようだった。

夢のなかか、現実か。けれどその中で玲央は、確かに感じていた。

熱を帯びた手。自分の身体を支える、強く、そしてどこか懐かしい腕。


「……っ、あの声……」


唇が、ゆっくりと動いた。


「……ほんとに……君、なのか……」


「こんな姿でも気づいたか。……さすが、俺のお前だな」


耳元で囁かれるようなその声に、玲央の背中が震える。

見上げれば、金色の瞳がこちらをまっすぐに見つめている。


「夢なら、こんなふうに・・・触れられるわけ、ないだろ?」


その指先が、玲央の頬にそっとふれた。

汗ばんだこめかみをなぞるように滑り、ひとしずくの熱を拭う。


「満月の夜ってやつは、色んな境が曖昧になる。

お前の中に眠っていたものも、俺の中の“鍵”も、目を覚まし始めたんだ。

……まぁ、簡単に言えば、そういうことだな」


「……こんなふうに話せるのは……今日だけなのか……?」


「猫としては、それなりに頑張ってたつもりだけど……

今夜だけは、こうしていたかった。……俺が、お前を抱きとめたかったんだ」


玲央は抗う力もなく、その胸に寄りかかった。


「お前が無理して走って、倒れそうになって、

それでも前へ進もうとする姿を、俺は、見ていられなかった。

だから、今夜は俺が支える。決めたのは俺だ」


玲央は、まぶたの奥にまだ熱を残したまま、小さく息を吐いた。


「……シトロン……」


「ん?」


少し身をかがめたシトロンの声は、耳のすぐそばで低く響いた。

月光に透けた金髪が、玲央の頬にふわりとかかる。


「……ありがとう」


言い終えたあと、玲央はそっと目を伏せた。

言葉にしたことで胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、指先が少し震えるのを押さえられなかった。

しばらく沈黙が流れたあと、ふと、頭上から小さく笑うような吐息がこぼれる。


「……そんな顔をされると、もう三回くらいは変身できそうな気がするな」


シトロンは冗談めかしながらも、玲央の頬に視線を落とす。

触れそうで触れない距離。

玲央の表情の、やわらかくほぐれたその“ぬくもり”に、

胸の奥がきゅうっと締めつけられた。


「お前って、ほんと、たまにとんでもなく綺麗なことを言うよな……」


いつもなら、軽口で受け流すところだ。

けれど今夜は、それができなかった。

玲央の一言が、まっすぐにシトロンの心に入ってきたから。


「……気安く褒められると、ちょっと照れる。……けど、嬉しい」


その声に、玲央ははっとして顔を上げた。

夜の風が、ふたりの間をそっとすり抜ける。

月光の下、金色の瞳が優しく揺れていた。

シトロンのまなざしには、ふだんの茶目っ気や尊大さとはまるで違う、

まっすぐで、少しだけ戸惑ったような、まるで少年のような純粋さがあった。

玲央は、胸の奥がざわめくのを止められなかった。

だから・・・


「……シトロン。……きみは、本当に……綺麗だな……」


その言葉は、意図せず零れ落ちた。

けれど嘘ではなかった。

こんなに心を動かされた相手は、今まで、いなかった。

シトロンは一瞬、目を見開いた。

まばたきもせず、玲央の目を見つめたまま、しばらく黙っていた。

そして、ぽつりと呟く。


「……言ったな」


玲央は少しきょとんとして目を細める。


「え?」


「その言葉、忘れるなよ。……俺からも、約束する」


そう言って、シトロンは玲央の額にそっと指をのせた。

その手が、玲央の髪をやさしくかき上げる。

指先に伝わる熱を確かめるように、少しだけ顔を近づけて。

ふっと笑うと、シトロンは玲央の額にそっと唇を落とした。

指先で髪を撫で、胸元へと手をすべらせる。

「ほら……また出てきたな。月の印。

これはお前の中の“契約”が、ちゃんと目を覚まし始めてるってことだ」

淡く、白く、胸元に月のしるしが浮かび上がる。

玲央はかすかに目を開け、それを見つめた。


「……何が起こるんだ……僕に……?」


「それは……」


シトロンは顔を寄せ、玲央の耳元で、低く囁いた。


「これから先、すべて……俺と一緒に、確かめてもらう」


ふたりの呼吸が、夜気の中でゆっくりと重なっていく。

・・・もう、どちらが先に恋に落ちたのかなんて、わからないほどに。

玲央はそのまま、ゆっくりと意識を手放していった。

その腕に包まれたまま。

月の下で、何も恐れることのない、静かなぬくもりに包まれて・・・


* * *


翌朝、玲央は微かな光に目を覚ました。

鎌倉の山荘の客間。いつもの天井。けれど、どこか、何かが違う。

ゆっくりと体を起こすと、枕元には白い花と、湯気の立つ器が置かれていた。

器からは、トマトと豆のやさしい香りが漂っている。


「……誰が、作った……?」


呟いた瞬間、障子の向こうから、ふわりと音もなく現れたのは・・・

猫の姿のシトロンだった。


ふてぶてしい目つきで、当然のように歩み寄ってくると、玲央の隣に座る。


「……昨日のこと……夢じゃないよな」


玲央の問いかけに、シトロンは前足をなめてから、ちらりとこちらを見上げる。


「また……話せるようになるかも、な?」


玲央は思わず笑いながら、器を手にとる。

白豆とひよこ豆のほくほくとした甘み、トマトのやさしい酸味に包まれたスープの表面には、

グリルされたズッキーニとパプリカが、まるで絵のように浮かんでいる。

その中央に、翡翠色のバジルクレマが小さな島のようにたたずみ、

その上にレモンの皮が、ひとすじ、月のように光っていた。


「……あいつ、こんなのまで……」


れんげですくって口に運ぶと、やさしい温度と香りが舌を包んだ。

覚えている。あの腕の中のぬくもりと、同じ味がした。

・・・この出会いには、きっと、意味がある。

まだ知らないことは多い。けれどそれでも、いまはただ、温かさに感謝して。

隣ではシトロンが、しれっとした顔で器に鼻を寄せていた。


* * *


【今日のレシピ】

『白豆とひよこ豆のトマトスープ 』〜彩り野菜のグリル添え バジルクレマとレモンの香りで〜


▶︎人と猫のごはん(取り分けOK)

※にんにく・塩分・乳製品は後入れにして調整


材料(2人分+猫取り分け)

・白いんげん豆(水煮)…100g

・ひよこ豆(水煮)…100g

・トマト(完熟)…1個(湯むきして刻む)またはトマトピューレ 150ml

・玉ねぎ(みじん切り)…1/4個

・にんじん(みじん切り)…1/4本

・セロリ(みじん切り)…5cmほど(※猫はNGなので取り除くか後入れで)

・オリーブオイル…小さじ1(猫用は使用前に取り分ける)

・野菜出汁または水…300ml

・ズッキーニ(輪切り)…1/3本

・パプリカ(赤・黄 各1/4個)…それぞれ細切り

・無塩チーズ or マスカルポーネ(バジルクレマ用)…大さじ1(猫NGなら省略)

・バジル(生葉)…5〜6枚

・レモンの皮(国産)…少々(削って使用)


▶︎作り方

鍋にオリーブオイルを熱し、玉ねぎ・にんじん・セロリを弱火で炒める。香りが出たらトマトを加える。

水煮の白豆・ひよこ豆、野菜出汁を加え、15分ほどコトコト煮る。

味付け前に猫用を小鉢に取り分けておく(セロリ抜き&薄味)

塩で味をととのえる(人用)

フライパンに油少々を熱し、ズッキーニ・パプリカをさっと焼いて彩りよく仕上げる

バジルの葉とマスカルポーネをペースト状にまぜ、バジルクレマを作る

スープを皿に注ぎ、彩りグリル野菜をトッピング

中央にバジルクレマをひとさじ落とし、上からレモンの皮をけずって仕上げる




▶︎レシピ帖のひとこと:


「満ちる月の夜は、心がすこしほどけるの。

ほどけた心には、小さな声や、やさしい香りがすっと届くわ。

そんなときはね・・・

やさしいものに、ほんの少し色を添えてみて。

気持ちも、きっと、新たな二人の澄んだ朝に向かって動きはじめるから」

〜〜祖母・紗英の『月夜のレシピ帖』より




読んでくださってありがとうございます。

第10話は、連載当初からずっと描きたかった“ふたりが初めて本当の意味で向き合う場面”でした。


満月の夜にだけ許された、ささやかな奇跡。

人の姿となったシトロンが、玲央にそっと手を伸ばすその瞬間を、

できるだけ丁寧に、愛おしく綴りました。


ふたりの関係は、まだ始まったばかりです。

けれど、どこかで結ばれていたような、不思議な懐かしさと、運命の糸のようなものを、

少しでも感じていただけていたら嬉しいです。


この先も、玲央とシトロンは、揺れながら、寄り添いながら、

それぞれの過去と未来に向き合っていきます。

その旅路を、どうかこれからも、やさしく見守っていただけたら。


・・・月のしるべが照らす先に、

今日もまた、あたたかい朝が訪れますように。

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