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花鳥風月  作者: 慈雨
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鳥を追って

うにゅう

薄曇りの空に、ほんの少しだけ陽の光が滲んでいた。千羽は、神社の石段を登ろうとしていた足を、ふいに止める。見上げた先にある鳥居は、記憶の中の景色と微かに違っていた。けれど、それが何なのかは分からない。ただ、風の匂いだけが、あの日と同じだった。


「……入っちゃダメだ」


低く、けれど確かに真剣な声が背後から届く。千羽が振り返ると、制服姿の男の子が立っていた。記憶の底に沈んでいた顔。けれど、どこかで会ったことがある気がする。


「え……?」


「千羽ちゃん、……だよね?」


少年が眉をひそめて近づいてくる。その目には、懐かしさと戸惑い、そして深い困惑が浮かんでいた。


「なんでここに?病院にいるんじゃ……」


「え、えと……あの、誰……?」


言いかけて、千羽は喉の奥で言葉を止めた。相手が誰か、正確には分からない。けれど、自分の名前を知っているこの少年が、嘘を言っていないことは分かった。

「……渚。一条渚。澪の……兄」


その名前を聞いた途端、千羽の視界が揺らいだ。澪。胸の奥に、閉じ込めたままだった名前。あの日の、透き通るような声と笑顔が、風の音に重なる。


「澪、ちゃん……」


「……話せる?ちょっとだけ」


渚は視線を外しながら、すぐ近くの公園を指差した。千羽は、ためらいながらも小さくうなずく。


 


***


 


春の花が少しだけ咲き残った公園。ブランコの軋む音と、遠くの踏切のベルの音だけが響く。渚は自販機で買った缶のお茶を千羽に渡し、自分はベンチの端に腰を下ろした。


「……澪が、死んだのは三年前。事故だった」


ぽつり、と落とされたその言葉が、千羽の胸を突き刺した。


「そんな……嘘、だって……」

「本当だよ。俺も……ずっと信じたくなかったけど」


渚は、胸ポケットから折れた写真を取り出した。そこには、笑う少女と、その隣でピースをする渚自身の姿があった。ピンボケしていたけれど、確かに、それは澪だった。


「千羽ちゃん、もしかして、まだ知らなかったんだよね。ごめん……。俺、もっと早く気づいていれば……」


「……わたし、ずっと……夢みたいなところにいて」


言いながら、千羽は自分でもうまく言葉にできないものを抱えているのを感じた。月の声、白い鳥の囀り、浮遊するような夜の記憶。


「夢って……」


「……でも、澪ちゃんに会ったの。ほんとうに。そしたら、『風に会いにいって』って」


渚は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに眉を下げて、静かに言った。


「風……って、紅岬社のこと?」


「うん。でも、さっき、行こうとしたら止められて」


「まだ……ダメだと思う」

渚はそう呟いた。まるで自分にも言い聞かせるように。


「紅岬社は、普通の神社じゃない。昔から、あそこには“境”があるって言われてる。澪が死んだあと、俺……一度だけ、不思議な夢を見たんだ。風の中で、澪が笑ってて、“まだ来ちゃだめだよ”って、そう言ってた」


「……じゃあ、わたし、どうしたらいいの?」


「今は、待つしかない。たぶん、その時が来たら、あの神社が呼んでくれる」


渚の声は、確信に満ちていた。千羽は静かに、うなずいた。風の記憶。澪の声。月との約束。すべてが混ざり合って、形になりかけている。だけどまだ、あと少し、足りないものがある。


「……ねえ、渚くん。もう一度、澪ちゃんに会いたいって思う?」


「……思うよ。ずっと、ずっと思ってる」


その答えを聞いたとき、千羽の中に、ひとつの風が吹いた気がした。

そして、その風は、見えない何かを告げるように、空の向こうへと吹き抜けていった。





それから数日後。

千羽は、小さな白い鳥の姿を追いながら、再び紅岬社へと向かっていた。あの日のように、柔らかな風が吹いていた。天竺葵の花が、風に揺れ、白く輝く。石段を登りきった先で、待っていたのは、一人の巫女だった。その人は、千羽を見ると、ゆっくりと微笑んだ。


「……会いに来たのね」


「……はい」


千羽は、静かにうなずく。その目は、もう迷っていなかった。


 


風の記憶が、今、再び開こうとしていた。

連載頑張ります

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