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花鳥風月  作者: 慈雨
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風の入り口

「紅い花と風の約束」と「鳥の病と、嘘つきの月」を読んでからのほうがいいです。2作品と完全にリンクしているわけではありません

病院の中庭には、初夏の風が吹いていた。花壇の縁に腰を下ろし、千羽はそっと膝を抱える。風が吹くたびに、柔らかな白衣の裾が揺れ、入院患者の誰かが落としたと思しきタオルが芝生をころころと転がっていく。


風の音がする。


誰かが耳元で囁いたような気がして、千羽は首をすくめた。どこかで聞いたことのある声。でも、思い出せない。思い出そうとすると、胸の奥が軋むように痛んだ。


澪ちゃん。その名を、まだ口に出せないままでいた。


「千羽さん、お薬の時間ですよ」


病棟からナースが声をかけてくる。千羽は軽く手を振って、「はい」とだけ返事をする。けれど、足は動かなかった。代わりに、手にしていた文庫本をぎゅっと握りしめる。それは、澪が最後に貸してくれた本だった。


「……いこっか」


千羽は自分に言い聞かせるように呟き、芝生に落ちたタオルを拾い上げる。風の先を見た。その向こうに、澪がいたような気がした。病院から駅までは、歩いて十五分ほど。千羽はナースに見つからないよう裏門を抜け、小道を抜けて住宅街を駆け抜けた。青岬町までの電車は三時間。荷物は何も持っていない。財布も、携帯も。でも、記憶はあった。澪と話したこと、夢の中で聞いた「風の音がする」という言葉。そして、あの神社。


紅岬社くれさきのやしろ


知らないはずの名前が、なぜか心に残っている。夢だったのかもしれない。けれど、それはあまりにも鮮明で、現実よりも確かなもののように思えた。

駅のホームで立ち尽くす千羽のもとに、ひとりの少年が近づいてくる。


白い装束に、銀色の髪。目元はぼんやりと霞がかっているようで、まるで夢の中から抜け出してきたような不思議な雰囲気を纏っていた。


「行くの?」


その声には、感情の重さがなかった。ただ、風のようにさらりと千羽の耳に届く。


「……うん」


千羽が頷くと、少年は少しだけ口角を上げた。


「そう。じゃあ、行きなさい。風が、そこにある」


そう言って、少年――ゆえは、ホームの反対側に消えていった。


* * *


車窓に流れる景色を見ながら、千羽はぼんやりと考えていた。途中、知らない駅で何度も乗り換え、車内放送の声だけを頼りに目的地を目指した。乗客はまばらだった。向かいの席に座る老婦人が、時折千羽をちらちらと見る。きっと、こんな時間に一人で電車に乗る少女が珍しいのだろう。

青岬町に着いたのは、日がすっかり沈んでからだった。改札を抜けると、すぐに制服姿の警備員に声をかけられる。


「君、いくつ?こんな時間に……ひとり?」


「……」


「誰か迎えは?親御さんは?」


言葉に詰まってうつむく千羽を見て、警備員は困ったように頭をかいた。


「まあ、交番で話を――」


「ごめんなさい。お姉ちゃんと待ち合わせてて……トイレ行ってただけなんです」

とっさに出た嘘だった。けれど、千羽の目は濁っていなかった。警備員は数秒黙ってから、ふう、と息をついた。


「……ちゃんと帰るんだぞ」


千羽は深く頭を下げて、足早に駅を離れた。


* * *


道は、見覚えがあった。夢で見た景色。ゆるやかな坂道、曲がり角の電柱。商店街を抜けた先に、鳥居がある。けれど、それは容易には見つからなかった。街灯の数は少なく、細い路地に入ると月明かりしか頼りにならない。何度も同じ場所をぐるぐると歩いた。背後から風が吹き、振り返ると誰もいなかった。


もう何時間、歩き続けているのだろう。


額には汗が滲み、足が棒のように重たい。喉が渇いているのに、自販機すら見当たらない。

でも、進まなくちゃ。澪が、そこにいる気がする。


「……あれ」


不意に、視界の先にぼんやりと浮かび上がるものがあった。


朱の鳥居。


こんな時間なのに、まるでそこだけが光に照らされているかのように、輪郭がはっきりとしていた。


「神社……?」


そう呟いた千羽の背後で、風鈴がひとつ、鳴った。

ヤバい完結させられるかな……?

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