第8話:「魔術師協会の影」
グリーンヒル村での生活が始まって一週間が経った。
徐々に村の日常に溶け込んでいく毎日は、思いのほか心地よかった。
朝は村の子供たちと一緒に遊び、昼はリーナに教わりながら薬草の知識を学び、夕方には村長から魔法の基礎を教えてもらう。
夜はリーナの手料理を食べて、温かなベッドで眠る。
そんな穏やかな日々が続いていた。
ティアのエネルギー問題も、一時的ながら解決の糸口が見えてきていた。
村長が古い書物から見つけた魔素結晶の作り方を参考に、リーナが緑の魔法で特殊な結晶を作り出したのだ。
純度はまだ低いが、太陽光だけに頼るよりは効率が良く、ティアは少しずつエネルギーを回復させていた。
また、リーナとティアの間の緊張関係も、徐々に和らいできていた。
完全な信頼とはいかないまでも、お互いの存在を認め合うような関係になりつつある。
そんなある朝、村に異変が起きた。
「ミラちゃん、起きて!」
リーナの声で目を覚ますと、彼女は明らかに動揺した表情で私のベッドの傍らに立っていた。
「どうしたの……?」
「魔術師協会の人が来たの……!」
その言葉に、一気に眠気が飛んだ。
村長からは魔術師協会のことを聞いていた。
旧世界の遺物や魔法を研究する強大な組織。
ティアのような存在に強い関心を持っているとも。
「どうして……?」
「分からない……でも、すぐに準備して!」
急いでベッドから飛び出し、リーナが用意してくれた服に着替える。
ティアは部屋の隅で、すでに動き始めていた。
「魔術師協会の訪問を確認。警戒レベルを上げます」
彼女の首元と手首の青い線が、普段より明るく輝いている。
エネルギーを集中させているのだろう。
「どうすればいいの?」
私の問いに、リーナは一瞬考え込んだ後、決断したように言った。
「まずは村長さんのところに行きましょう。ティアさんも一緒に」
三人で外に出ると、村には普段にない緊張感が漂っていた。
人々は小さな声で話し合い、不安そうな表情で村の中央広場を見ている。
広場には見知らぬ馬車が止まっていた。
黒を基調とした厳かな作りで、側面には金色の紋章が描かれている。
魔術師協会の紋章だろう。
「村長さんの所に急ぎましょう」
リーナの促しに従って歩き始めたが、ティアの姿に気づいた村人たちの間でざわめきが起きる。
「あれがそうなのかな……?」
「静かに、見られてるよ……」
「あの子も連れてるのが問題なんじゃ……」
耳に入る断片的な会話に、胸が締め付けられる思いがした。
リーナの家に着いてからの平和な日々、村人たちとの交流、少しずつ築いていた信頼関係。
それらが今、脅かされようとしている。
村長の住まいに着くと、中から声が聞こえてきた。
村長と、聞き慣れない低く重厚な男性の声。
リーナがそっとドアをノックすると、村長の「入りなさい」という声がした。
恐る恐るドアを開けると、村長と共に、一人の男性がいた。
五十代くらいだろうか、灰色の長い髪を後ろで結び、深い青色のローブを着ている。
鋭い目と引き締まった口元が、厳格な雰囲気を醸し出していた。
「やあ、リーナ、ミラ、そして……」
村長の言葉が途切れた瞬間、男性の目がティアに釘付けになった。
その鋭い視線に、思わず身震いする。
「なるほど、うわさは本当だったようだな」
男性はゆっくりと立ち上がり、私たちに近づいてきた。
「私はセバスチャン・ノルド。魔術師協会第三調査部の責任者だ」
威厳のある声で自己紹介すると、男性—セバスチャンはティアを観察するように見つめ続けた。
「旧世界の機械生命体……これは貴重な発見だ」
その言葉に、ティアは無表情のまま応じた。
「私はティア。AIアンドロイドです」
「AIアンドロイド……」
セバスチャンはその言葉を反芻するように繰り返し、何かメモを取るような仕草をした。
「協会に報告が入ったのは『異形の者』という曖昧な表現だったが、これほど明確な旧世界の技術品とは」
報告? 誰が?
不安が込み上げてくる。
村の誰かが、私たちの存在を魔術師協会に知らせたのだろうか。
「ノルド氏、まずは落ち着いて話し合いましょう」
村長が間に入って、場の緊張を和らげようとした。
「もちろん。私は調査のために来ただけだ。敵意はない」
セバスチャンは再び椅子に座り、私たちにも座るよう促した。
リーナは私の肩に手を置き、安心させるように微笑んだ。
「さて、この『ティア』とやらの出自について詳しく聞かせてもらいたい」
セバスチャンの質問に、ティアが応じようとした瞬間、村長が軽く咳払いをした。
「その前に、なぜ協会がこのような辺境の村に興味を持ったのか、説明していただけるだろうか?」
良い切り返しだ。
村長の冷静さに、少し安心感が生まれた。
セバスチャンは小さく笑った。
「隠すつもりはない。約10日前、この地域を通過した商人から報告があった。『人の形をしているが、首と手首に青い光を宿す異形の者』がこの村に現れたと」
商人か……。
確かに村に来た当初、多くの人々が私たちを見ていた。
その中に商人もいたのだろう。
「そして、その異形の者は『幼い少女』を連れていたとも」
言葉の通りだが、彼の視線が私に注がれたとき、言いようのない恐怖を感じた。
幼い体は、本能的に危険を感じ取ったのか、震え始めている。
リーナが私を守るように、腕を回してくれた。
「それで? ただの噂を追いかけて来たのですか?」
リーナの声には明らかな敵意が含まれていた。
彼女は私を守るために、こんな大きな組織に立ち向かうつもりなのか。
その勇気に感動する一方で、彼女を危険に巻き込んでしまうことへの罪悪感が湧いてきた。
「噂ではない。事実だ」
セバスチャンは冷静に返した。
「我々魔術師協会は、旧世界の遺物と知識を収集し、保存することを使命としている。特に自律的に動作する機械生命体は極めて稀少だ。研究価値は計り知れない」
ティアの顔には表情の変化はないが、体がわずかに緊張したように見えた。
「そして、その少女も……」
私にもう一度視線を向けるセバスチャン。
その目には探究心と、何か別の感情が混ざっている。
「あなたも普通の子供ではないようだな。旧世界と何か関係があるのかね?」
心臓が早鐘を打つ。
この人は何か感じ取ったのか。
村長からは、私の真の正体を明かさないよう言われていた。
この世界では、私のような存在も研究対象になりかねないと。
「普通の子供です」
ティアが答えた。
「ミラは私が保護している子供です。彼女に旧世界との関連はありません」
嘘ではない。
現在の私は確かに普通の子供の体を持っている。
しかし、記憶と意識は別物だ。
セバスチャンは明らかに納得していない様子だった。
「ならば、なぜ機械生命体が人間の子供を保護しているのだ? 論理的に説明できるかね?」
鋭い質問だ。
ティアが瞬時に回答を生成する。
「ミラの保護は、私の基本プログラムの一部です。彼女は私の前所有者の親族です」
よく考えられた回答だ。
しかしセバスチャンはまだ疑いの目を向けている。
「興味深い。いずれにせよ、協会はこの機械生命体を詳しく調査したい。できれば協会施設に運び入れて、詳細な分析を……」
「それは認められません」
村長が静かだが、強い口調で言った。
「この村に来た彼らは今や我々の一員です。無理に連れ去ることは認めません」
セバスチャンは眉をひそめた。
「法的には、旧世界の遺物は協会の管轄下にある。特に潜在的な危険性を持つものは」
「ティアさんは危険じゃありません!」
リーナが声を上げた。
思わず彼女を見つめる。
ティアに不信感を持っていたリーナが、今は彼を守ろうとしている。
「そうですか? 自律的に判断し、おそらく武器機能も持つ機械が、危険でないと言い切れるのかね?」
セバスチャンの問いかけに、一瞬の沈黙が訪れた。
確かにティアは戦闘能力を持っている。
森での魔獣との戦いでそれは証明された。
「ティアさんはミラちゃんを守るためだけに行動します。村のみんなも認めてるし、害なんて一度もありません!」
リーナの熱意ある言葉に、セバスチャンは少し表情を和らげた。
「君の気持ちはわかる。だが、これは個人の感情で決められる問題ではない。協会の規則があるのだ」
対立が深まるのを感じ、私は勇気を出して一歩前に出た。
「お願いします。ティアと離れたくありません」
幼い声で精一杯の訴えを込めると、セバスチャンは複雑な表情で私を見つめた。
「君がそう思うのはわかる。だが……」
「一つ提案があります」
村長が静かに口を開いた。
「協会の調査は重要なことは理解しています。しかし、彼らを無理に引き離すのは人道的ではありません。そこで、こちらで調査させてはどうですか?」
セバスチャンは考え込むように腕を組んだ。
「村での調査……何日くらい必要になるだろうか」
「三日程度でしょうか。ティアの基本機能と構造を理解するには十分かと」
セバスチャンは少し考えた後、頷いた。
「それも一つの方法だ。だが、逃走の恐れもある。保証はあるのか?」
「私が責任を持ちます」
村長の言葉に、セバスチャンは同意した。
「わかった。では三日間、村に滞在し調査を行う。それで十分なデータが得られれば、今回は引き上げよう。だが不十分と判断した場合は、協会本部への移送を要請する」
一時的な妥協だが、少なくとも今すぐティアが連れていかれることはなさそうだ。
ほっと胸をなでおろす。
「ありがとうございます」
村長は丁重にお礼を言った。