第6話:「世界の歴史」
朝日が窓から差し込み、私の頬を優しく撫でる。
目を開けると、見慣れない天井。
一瞬どこにいるのか分からなくなったが、すぐに思い出した。
ここはグリーンヒル村、リーナの家の上階の小部屋。
昨夜、リーナに抱きしめられながら眠りについたことも思い出す。
隣を見ると、彼女はもういない。
代わりに、部屋の隅でティアが静かに立っていた。
「おはよう、ティア」
「おはよう、ミラ。睡眠は適切でしたか?」
ティアの無機質な問いかけも、なんだか懐かしく感じる。
「うん、久しぶりにぐっすり眠れたよ」
ベッドから降りると、窓から村の風景が見える。
朝の光に照らされた家々、畑に出る人々、井戸に水を汲みに行く女性たち。
のどかな日常の風景。
「リーナはどこ?」
「リーナは6時23分に起床し、『朝食の準備をする』と言って下階に行きました」
窓辺に立ち、村の景色を見ながら感じる。
ここでの生活は、幼い体に閉じ込められた不安や、失われた世界への悲しみを、少しだけ和らげてくれる。
「ミラちゃん、起きた?」
下から聞こえるリーナの声に応えて階段を降りる。
ティアも私の後に続いた。
「おはよう、リーナ」
「おはよ! よく眠れた?」
リーナは台所で朝食を準備していた。
テーブルには焼きたてのパンと、蜂蜜、そして温かそうなスープが並んでいる。
「うん、とても」
テーブルに着くと、リーナがスープの入った木製の器を差し出してくれた。
優しい香りに包まれる。
脇に置かれたスプーンを手に取るが、小さな手では少し扱いづらい。
「気をつけて、熱いからね」
リーナの優しい声に頷き、スープを一口。
シンプルな野菜スープなのに、とても美味しい。
野菜の甘みと香草の香りが絶妙だ。
「おいしい……」
素直な感想に、リーナは嬉しそうに微笑んだ。
「よかった。たくさん食べてね」
しばらく静かに食事を続けていると、リーナが目の前のティアに気づいた。
彼女は無言で立ったまま、私たちを見ている。
「ティアさんも座ったら?」
リーナの言葉に、ティアは一瞬考えるような仕草を見せた。
「座る必要はありません。現在、太陽光充電モードに入っています」
確かに、窓から差し込む朝日がティアの体に当たっている。
彼女の肌が、わずかに光を吸収しているように見える。
「充電? 太陽光で?」
リーナは驚いた様子だった。
「肯定。私のエネルギーシステムは太陽光を変換できます。しかし効率は低く、完全充電には約72時間必要です」
その言葉に、私は不安を感じた。
3日間も太陽に当たらないと充電できないなら、曇りや雨の日はどうするのだろう。
「今のエネルギー残量は?」
「42%。通常稼働で約36時間、省エネモードなら約5日間持続可能です」
それでも不安だ。
この村で長く過ごすなら、ティアのエネルギー問題は重要だ。
「今は大丈夫なの?」
「現状問題ありません。ただし、戦闘モードや高度処理は使用を控えます」
リーナは少し眉をひそめていた。
彼女はティアのエネルギー問題よりも、「戦闘モード」という言葉に反応したようだ。
「戦闘モード?」
ティアが淡々と説明する。
「対敵性存在から自己とミラを防衛するためのモードです。腕部武器の展開、計算処理の高速化、運動機能の強化を含みます」
リーナの表情に不安の色が浮かんだ。
そうだ、彼女はティアが魔獣と戦う姿を見ていない。
「武器」という言葉は、彼女を怖がらせたのかもしれない。
「ティアは森で私を魔獣から守ってくれたんだよ」
フォローするように言うと、リーナは小さく頷いた。
しかし、彼女の目に映る不安は消えていない。
「そういえば、今日はどうするの?」
話題を変えようと尋ねると、リーナの表情が明るくなった。
「午前中は村長さんのところに行きたいって言ってたでしょ? 午後は、私は薬草の調合があるけど……」
「ミラを村長のもとへ連れて行き、その後は村の様子を観察します」
ティアの言葉に、リーナは少し硬い表情になった。
「観察……?」
「この村と周辺環境のデータを収集します。ミラの安全のために必要です」
リーナは「そう……」と小さく呟いた。
何か気になることがあるようだが、それ以上は追及しなかった。
朝食を終え、身支度を整える。
リーナが用意してくれた服に着替え、髪も簡単に整えた。
5歳児とはいえ、身だしなみには気を使いたい。
外に出ると、まぶしい朝の日差しが迎えてくれた。
村はすでに活気づいていて、人々は日々の仕事に励んでいる。
私たちが通りを歩くと、好奇心いっぱいの視線を感じる。
特に子供たちは、遠慮なく近づいてきた。
「ねえ、本当に旧世界から来たの?」
「その人、何なの? 人形?」
「あの髪の色、すごいね!」
質問攻めにあって戸惑う私に、ティアが一歩前に出た。
「過度な接近はミラにストレスを与えます。適切な距離を保ってください」
その言葉に、子供たちは一瞬怯んだが、すぐに好奇心が勝ったのか、再び近づいてきた。
「あ、大丈夫だよ」
私は子供たちに微笑みかけた。
彼らの純粋な好奇心は、嫌な気分にさせるものではない。
むしろ、この体に慣れるためには、同年代の子供たちと接するのも良いかもしれない。
「ミラちゃーん!」
聞き覚えのある元気な声。
昨日出会ったエルが駆け寄ってきた。
「遊ぼうよ! みんなもミラちゃんに会いたがってたの!」
その勢いに圧倒されそうになるが、リーナが助け舟を出してくれた。
「エル、今日の午前中はミラちゃんは村長さんのところに行くんだよ。午後なら時間あるかもね?」
「そうなの? じゃあ午後ね! 絶対だよ!」
エルは元気よく手を振ると、他の子供たちのもとへ戻っていった。
「元気な子だね……」
「うん、エルは村一番の活発さだよ。でも、いい子だから」
リーナの言葉に頷きながら、村長の住む石造りの塔へと向かう。
昨日よりも村の様子が見えるようになった気がする。
家々の間に小さな庭があり、人々が野菜を育てている。
井戸の周りでは女性たちが洗濯をしながら会話を楽しんでいる。
平和な日常の風景。
ふと、ティアの様子がおかしいことに気づいた。
通常よりも動きが鈍く、首の青い線が薄くなっている。
「ティア、大丈夫?」
「エネルギー消費を抑えるため、一部機能を停止しています。問題ありません」
リーナは眉をひそめて、ティアを見た。
「大丈夫なの? 途中で動けなくなったりしない?」
その言葉には、心配よりも疑念が感じられた。
リーナはティアを信用していないのだろうか。
「予測される最低エネルギー消費率でも、48時間は機能維持可能です。ミラの保護に支障はありません」
「……そう」
リーナの短い返事に、何か引っかかるものを感じた。
村長の住まいに着くと、老人は私たちを温かく迎えてくれた。
「おや、よく来たね。ミラとティア、そしてリーナ」
村長室には、昨日よりも多くの本が出されていた。
明らかに何かの準備をしていたようだ。
「さあ、座りなさい。話したいことがたくさんある」
私とリーナは椅子に座った。
ティアは壁際に立ち、省エネモードに入ったようだ。
「まず、この世界のことを知っておくべきだろう。『ノヴァテラ』――新しい地球という意味だ」
村長は大きな本を開き、地図を示した。
どうやらこの地域の地図らしい。
森と山、いくつかの村と小さな都市が記されている。
「我々がいるのはここ、グリーンヒル村。南東に王都『アズラント』、北西に『魔術師協会』の本部がある」
指差す場所を見つめながら、新しい世界の地理を頭に入れる。
「この世界は、旧世界が崩壊した後、約200年かけて形成されたものだ。最初の100年は混乱期だったという記録がある。人々は生き残りをかけて争い、新しい環境に適応しようともがいた」
重い歴史を聞きながら、胸が締め付けられる思いだった。
私がいなかった時代に、人類はどれほどの苦難を経てきたのか。
「しかし、大きな変化が訪れた。『魔素』の出現だ」
その言葉に、思わず身を乗り出した。
ティアから少し聞いていた「魔素」について、より詳しく知りたかった。
「魔素とは何ですか?」
「簡単に言えば、この世界に満ちる新しいエネルギーだ。旧世界の崩壊後、世界中に広がったと言われている」
村長は古い羊皮紙に描かれた図を指さした。
青白い粒子が地球を覆うイメージ図だ。
「魔素は生物に作用し、変異を促す。魔獣と呼ばれる生物はその産物だ。しかし、人間にとっての最大の変化は……」
「魔法の誕生です」
静かに口を開いたのはティアだった。
村長は頷いた。
「その通り。人間は魔素を感知し、操作する能力を獲得した。それが『魔法』だ」
その言葉に、リーナが小さく笑った。
「ミラちゃん、信じられない?」
「いや……ティアから聞いていたから。でも、実際にどんなものか見たことはないんだ」
リーナは手のひらを広げた。
すると、淡い緑色の光が集まり始め、小さな光の球が形成された。
「これが私の魔法。『緑の癒し』って呼ばれてるよ。植物や生命のエネルギーを操る魔法なんだ」
その光景に、思わず息を飲んだ。
科学では説明できない現象。
まさに魔法だ。
「すごい……」
素直な感想に、リーナは照れたように笑った。
「まだまだ修行中だけどね。村長さんに教わってるの」
村長は優しく微笑み、続けた。
「魔法の才能は人によって異なる。リーナのように自然の力に長けた者もいれば、火や水といった元素を操る者、さらには特殊な技を持つ者もいる」
「私にも使えるのでしょうか?」
その質問に、村長は私の右手—紫色の模様がある手のひらを見つめた。
「おそらくね。その印は『魔素の痕』かもしれない。特に子供は魔素との親和性が高いと言われている」
「森で魔獣に襲われたとき、何か光ったような……」
「それは初期反応かもしれない。しかし、適切な訓練が必要だ」
村長の言葉に希望が湧いた。
この世界で生きていくためには、魔法を使えるようになることも重要かもしれない。
「魔法以外にも、この世界の仕組みについて知っておくべきことがある」
村長は別の本を開いた。
そこには社会構造について書かれていた。
「現在のノヴァテラは、いくつかの王国と自治都市、そして自由領に分かれている。ここグリーンヒル村はアズラント王国の領内だが、辺境なので比較的独立した運営をしている」
「王様がいるんですか?」
「ええ、アズラント王ロレンツ3世だ。しかし、実質的な権力は魔術師協会にある」
「魔術師協会?」
「魔法の研究と管理、そして旧世界の遺物の保護を行う組織だ。強大な力を持ち、各国の政治にも影響力を持っている」
なるほど。
科学技術に頼る旧世界とは違い、この世界では魔法が力の源なのだろう。
「ティア」
村長がティアに声をかけた。
「はい?」
「あなたは旧世界の技術品として、非常に貴重な存在だ。魔術師協会が知れば、必ず調査に来るだろう」
その言葉に、背筋が凍るような不安を感じた。
ティアや私が研究対象とされるかもしれないという恐怖。
「危険なのでしょうか?」
「必ずしも敵対的ではないが、慎重に接するべきだ。彼らは知識を求めるあまり、時に強引な手段を取ることもある」
リーナが不安そうな表情で私を見た。
「大丈夫、村はミラちゃんを守るよ」
その言葉に安心しつつも、新たな心配が生まれる。
私たちのせいで村が危険にさらされるかもしれないという懸念だ。
「もう一つ重要なことがある」
村長は真剣な表情で私を見つめた。
「ミラ、あなたは旧世界の知識を持っている。それは非常に貴重だ」
確かに私は元の世界の知識を持っている。
しかし、高校生レベルの知識がどれほど役立つものなのか……。
「私の知識が役立つんでしょうか?」
「もちろんだ。特にあなたが言っていたAIプログラミングの知識は、失われた技術の一つだ」
そう言えば、この世界ではティアのようなAIは存在していないのだろう。
私の知識も、この世界では貴重なのかもしれない。