第15話:「旧き都市」
「霧の山脈」を越えてから三日目の朝、私たちは高台に立っていた。
目の前に広がる光景に、思わず息を飲む。
「これが……旧世界の都市?」
枯れた植物が絡みつき、崩れかけた高層建築物が、朝もやの中に幽霊のように立ち並んでいた。
かつては「東京郊外」と呼ばれていたであろう場所。
今は、「古王都の盆地」の一部として、半ば神話化された廃墟になっていた。
「肯定。これはかつての『多摩ニュータウン』と呼ばれた居住区域です」
ティアの言葉に、胸が締め付けられるような感覚がした。
私が高校生だった頃、何度か訪れたことのある場所。
あまりにも変わり果てた姿に、喪失感と現実感の欠如が入り混じる奇妙な感情が湧いてくる。
「すごい……こんな大きな建物がたくさん」
リーナは目を丸くして眺めていた。
彼女にとっては、信じられないほど巨大で異質な光景なのだろう。
「この光景は、旧世界の人口密度と建築技術を示しています」
ティアの解説は冷静だが、私には複雑な思いがあった。
ここは、かつて多くの人々が暮らし、笑い、泣いた場所。
今は静寂に包まれ、植物と時間に飲み込まれつつある。
「行ってみましょう」
私の提案に、二人は頷いた。
高台から下り、都市の外縁部へと足を踏み入れる。
最初に目につくのは、錆びついた車の残骸。
かつての道路沿いに無数に並んでいる。
草木が車体を突き破って伸び、金属と自然が奇妙な調和を見せていた。
「これらは移動手段だったの?」
リーナが不思議そうに車の残骸に触れる。
彼女には想像もつかない文明の遺物なのだろう。
「肯定。『自動車』と呼ばれる個人用移動装置です」
道路の舗装は所々で割れ、そこから植物が生い茂っていた。
街路樹だったであろう木々は、今や巨大に成長し、建物を覆い隠すほどだ。
「建物の中も見てみたい?」
リーナの問いに、ティアが答えた。
「構造的に安定している建物を選定します」
彼女の案内で、比較的状態の良い中層マンションに入ることにした。
エントランスはほぼ崩壊していたが、中庭からなら入れそうだった。
内部は思ったより保存状態が良い。
空気は湿っぽく、カビの匂いがするが、部屋の形はまだ残っている。
家具や日用品の一部も、朽ちながらも形を留めていた。
「ここに……人が住んでいたの?」
リーナが驚いた声を上げる。
ベッドフレームや食器棚、朽ちた布団の残骸など、日常生活の痕跡が至るところに見られた。
私は黙って部屋の中を歩き回る。
テーブルの上には、長い年月を経て色あせた写真立てが置かれていた。
中の写真はほとんど色が消えているが、幸せそうな家族の姿がかすかに残っている。
「ミラ?」
リーナが心配そうに私を見た。
気づくと、私の頬を涙が伝っていた。
幼い体の感情反応だけではない。
元の世界への郷愁と、失われた文明への悲しみが混ざり合っていた。
「大丈夫……ただ、少し悲しくなっただけ」
「理解できます」
意外にもティアがそう言った。
「人間の文明の痕跡は、存在の有限性を強く示します。それは感情的反応を引き起こす要素です」
それは彼女なりの共感の言葉なのだろうか。
小さく頷き、写真立てを元の場所に戻した。
「図書館はどのあたり?」
話題を変えようと尋ねると、ティアはしばらく沈黙した後、応答した。
「直接地表からはアクセスできません。地下通路を経由する必要があります」
「地下通路?」
「肯定。旧世界末期、重要施設は地下に移設されました。中央電子図書館も地下深くに存在します」
それは予想外だった。
地下への入り口をどう見つければいいのだろう。
「私のデータによれば、最寄りのアクセスポイントは都市中心部の『行政センター』にあります」
「じゃあ、そこに向かいましょう」
マンションを後にし、都市の中心部へと向かう。
道中、いくつかの建物を通り抜けながら進んだ。
ショッピングモール、学校、病院……すべてが時間の重みで歪んでいた。
「ミラちゃん、旧世界の記憶はどう? こういう場所を見ると思い出す?」
リーナの優しい問いかけに、少し考えてから答えた。
「うん、でも……不思議な感じ。懐かしいのに、異質。私の記憶の中の世界と、今目の前にある廃墟が重なって……」
それは奇妙な感覚だった。
この光景が、かつて私が生きていた世界の姿だと知りながらも、あまりにも違いすぎて実感がわかない。
「行政センターに到着しました」
ティアの声に顔を上げると、大きな白い建物が見えた。
他の建物よりも保存状態が良く、堅固な造りのようだった。
正面入口は崩れ落ちていたが、側面には入れそうな隙間があった。
「中に入ります。注意してください」
ティアの警告に従い、慎重に建物内部へと足を踏み入れた。
広々としたロビーには、崩れた天井の破片が散乱していた。
壁には旧世界の文字で書かれた標識が残っていて、私には読めるが、リーナには理解できないようだった。
「何が書いてあるの?」
「『多摩行政センター』『総合窓口』『防災センター』……当時の公共施設だったことがわかるね」
壁に残された地図を見ながら、ティアが次の指示を出した。
「地図によれば、地下へのアクセスは『防災センター』を経由します」
案内に従って建物内を進む。
廊下は暗く、所々で天井が崩れていた。
リーナが小さな緑の光の球を作り出し、私たちの前方を照らしてくれた。
「防災センターに到着しました」
厳重そうなドアの前に立つが、長い年月でロックシステムは機能していないようだった。
ティアが力を込めて押すと、軋む音と共にドアが開いた。
中は管制室のような場所で、古いコンピュータの端末や、大きな表示パネルが並んでいた。
すべては電源が入らず、無機質に佇んでいる。
「地下へのアクセスポイントはどこ?」
「このコンソールの下部にあるはずです」
ティアは中央のコンソールに近づき、下部のパネルを調べ始めた。
しばらくすると、床の一部が動き始めた。
隠し扉が開き、下へと続く階段が現れた。
「すごい!」
リーナが感嘆の声を上げる。
この200年以上経った今でも機能するメカニズムに驚きだ。
「単純な機械式の非常用アクセスです。電力がなくても作動するよう設計されています」
階段は暗く、湿気を帯びていた。
リーナの光球が先導する中、私たちは慎重に下り始めた。
幼い体では大きな階段を一段ずつ降りるのが少し大変だった。
「気をつけて」
リーナが私の手を取ってくれた。
彼女の温もりが、この冷たく湿った空間で心強かった。
階段を下り切ると、長い通路が続いていた。
壁は金属パネルで覆われ、場所によっては崩れていたが、基本的な構造は保たれていた。
「ここが地下通路……」
リーナが小声で言った。
彼女の声には少し緊張が滲んでいた。
当然だろう。
何百年も前の異世界の遺構の中にいるのだから。
「中央電子図書館までの距離は約2キロメートルです」
ティアの言葉に、長い道のりだと思った。
しかし、地下通路は地上の廃墟をさまようよりはるかに安全そうだった。
通路を進むにつれ、壁に設置された非常用の標識が時折光を反射した。
旧世界の技術で作られた反射材は、今なお機能していたのだ。
「この通路、何のために……?」
「複数の重要施設を接続する非常時用の移動経路です。有事の際に安全に移動できるよう設計されていました」
そう話しながら歩いていると、突然、ティアが立ち止まった。
「警告。前方に生体反応を検知」
その言葉に、三人の足が止まる。
通路の先には複数の人影が見えた。
彼らも私たちに気づいたようで、すぐに動きが見えた。




