第14話:「旅の決意」
「奥に行くぞ」
洞窟内に響く声に、思わず息を止めた。
足音が近づいてくる。
リーナの手を握る私の小さな指に力が入る。
ティアは無言で身構え、いつでも動けるように準備していた。
しかし、彼女のエネルギー残量は少なく、本格的な戦闘は避けたい。
「足跡はここまでだ」
男性の声が洞窟内に響く。
彼らはすでに曲がり角の手前まで来ているようだ。
あと数歩で私たちは発見されてしまう。
「リーナ……」
小さな声で囁くと、彼女は私に微かに頷いた。
彼女の手が緑色の光を帯び始める。
「光った! 何かいるぞ!」
追手が叫び、急いで曲がり角を回ろうとする音が聞こえた。
その瞬間、リーナが前に飛び出した。
「グリーンミスト!」
彼女が詠唱すると同時に、濃い緑色の霧が洞窟内に充満し始めた。
視界が一気に悪くなり、何も見えなくなる。
「何だ、これは!?」
「魔法だ! 気をつけろ!」
混乱する声が聞こえる中、リーナが私の手を引いた。
「今のうちに! 後ろに続いて!」
緑の霧の中、リーナに導かれるまま進む。
ティアも静かに私たちの後に続いた。
どうやらリーナには自分の魔法の霧の中でも見えているようだ。
洞窟内を進むと、思いがけず横穴が現れた。
狭い通路だが、子供の私なら問題なく通れる。
大人のリーナとティアはかがみこんで進まなければならない。
「ここを通れば、別の出口に出られるはず……」
リーナは自信なさげに言ったが、他に選択肢はない。
後ろからは追手の怒号と足音が迫ってくる。
狭い横穴を必死に進む。
暗くて湿った通路は、途中で何度か曲がり、さらに狭くなっていく。
心臓が早鐘を打ち、恐怖で体が小刻みに震える。
これも幼い体の反応なのだろうか。
「もう少しだよ」
リーナの励ましの声に支えられ、這うようにして前に進む。
やがて前方から薄明かりが見えてきた。
出口だ。
三人で急いで通路を抜けると、そこは洞窟の裏側、山の斜面に開いた小さな出口だった。
外はまだ雨が降っていたが、以前よりは弱まっている。
「急いで、この辺りから離れましょう」
リーナの言葉に頷き、山の斜面を下り始めた。
滑りやすい斜面を慎重に降りていく。
幼い体では足場の確保が難しく、何度か転びそうになった。
「支援します」
ティアが私を抱え上げてくれた。
彼女の動きは以前より遅いが、それでも人間よりはるかに安定している。
山の斜面を降り、再び森の中へと入っていく。
追手の声はもう聞こえない。
ひとまず引き離せたようだ。
「リーナ、あの魔法……」
彼女は少し照れたように笑った。
「覚醒してから使えるようになったの。グリーンミスト……植物から出る霧のような魔法。私にしか見通せないけど」
素晴らしい能力だ。
リーナの魔法の才能は、覚醒してさらに広がったようだ。
「有効な逃走手段でした」
ティアも珍しく称賛の言葉を口にした。
雨の中を歩き続け、森の奥へと進んでいく。
方向感覚を失わないよう、ティアが時折方角を確認してくれる。
リーナの叔父の村を目指すつもりだったが、追手の存在で予定は狂ってしまった。
「このまま行くと、どこに出るの?」
リーナの質問に、ティアが答えた。
「この方角に既知の集落はありません。より深い森林地帯になります」
つまり、人里離れた場所へと向かっているということだ。
それは追手から逃れるには良いが、生存という面では厳しい。
食料や水、安全な寝場所の確保が難しくなる。
「でも、もう少し行けば、リーナの叔父さんの村に通じる別の道があるよね?」
「否定します。現在の進路は村から遠ざかる方向です」
その言葉に、リーナもため息をついた。
「仕方ないわ。まずは安全な場所を見つけましょう」
雨の中を数時間歩き続けた。
幼い体は限界に近づいていた。
足がもつれ、何度もつまずく。
ティアに抱えられても、寒さと疲労で体が震えている。
「休憩が必要です。ミラの体温が低下しています」
ティアの警告に、リーナも心配そうに私を見つめた。
「近くに休める場所はないかしら……」
森の中を見回すが、雨宿りできるような場所は見当たらない。
しかし、ティアが突然立ち止まった。
「異常を検知しました。前方50メートルに人工構造物があります」
「人工構造物? 家?」
「詳細不明。調査が必要です」
慎重に前進すると、木々の間に何かが見えてきた。
それは古びた小屋……いや、小屋というには大きすぎる。
石造りの廃墟のようだった。
「これは……」
リーナが驚いた様子で建物を見つめる。
「森の中に、こんな建物があったなんて……」
壁の一部が崩れ、屋根も所々抜けている建物だが、十分に雨宿りはできそうだ。
三人で慎重に近づき、内部を確認する。
「安全です。生命反応なし」
ティアの確認を受けて、建物の中に入った。
内部は予想以上に広く、かつては何らかの施設だったようだ。
床には厚い埃が積もり、壁には古い文様が刻まれている。
「ここ、何だったんだろう……」
私の問いに、ティアが周囲を分析し始めた。
「建築様式から推測すると、旧世界の建物です。おそらく学術施設か研究所と思われます」
旧世界の建物……。
ここが200年以上前、私が生きていた時代の建物だというのか。
不思議な感慨に包まれる。
リーナは濡れた衣服と荷物を広げ始めた。
「ここなら雨宿りできるわ。少し休みましょう」
建物の奥には暖炉らしきものがあった。
リーナが乾いた木材を集め、魔法で火を灯す。
温かな光が広がり、少しずつ体が温まっていく。
「着替えて、これ食べて」
リーナが乾いた服と食料を渡してくれた。
ティアは建物の周囲を警戒しながら、時折データを収集しているようだった。
「この建物のことで何かわかった?」
食事を終えて尋ねると、ティアは私たちの方を向いた。
「この建物の特徴と位置情報を分析した結果、ある仮説が立ちました」
「仮説?」
「これは『森林研究所』と呼ばれた施設の分館である可能性が94.6%です」
ティアの言葉に、興味が湧いてきた。
「分館? じゃあ本館もあるの?」
「肯定。本館は『中央科学研究所』。そして、それに付随する『中央電子図書館』が存在します」
図書館……。
旧世界の知識が眠る場所。
私の心に小さな希望が灯った。
「その図書館、まだ残ってるの?」
「データによれば、地下構造であるため、完全な破壊を免れた可能性が高いです」
リーナも興味深そうに聞いていた。
「そこに行けば、旧世界のことがわかるの?」
「肯定。また、システム端末が機能していれば、私のデータベースの拡充も可能です」
それは大きな発見だ。
もし旧世界の図書館にアクセスできれば、この世界についての理解が深まるだけでなく、私自身の状況—なぜ幼女の体に転生したのか、なぜ魔素適合度が異常に高いのかなど—の手がかりが得られるかもしれない。
「ティア、その図書館はどこにあるの?」
「現在地から北東に約80キロメートル。山脈を越え、盆地に位置しています」
80キロメートル……。
かなりの距離だ。
しかも、山脈を越えなければならない。
幼い体では大変な旅になるだろう。
「でも、魔術師協会も探してるはずよね?」
リーナの懸念は的確だ。
協会が旧世界の遺物に関心を持っているなら、すでに図書館を調査しているかもしれない。
「可能性はあります。しかし、私のデータによれば、図書館の位置情報は一般に知られていません。また、アクセスには特殊な認証システムが必要です」
「でも、ティアならアクセスできるの?」
「肯定。私は旧世界のシステムとの互換性を持っています」
希望が広がる。
もしそこに行けば、多くの謎が解けるかもしれない。
「行ってみたい」
自然とその言葉が口から出た。
リーナは少し心配そうな表情を見せた。
「でも、そんな遠くまで……危険じゃない?」
確かにリスクは大きい。
魔術師協会から逃れるだけでなく、未知の土地を旅し、魔獣の危険もある。
しかし、このまま逃げ続けるだけでは状況は改善しない。
「でも、このまま逃げ回るだけじゃ解決しないよ。私の体のこと、魔素適合度のこと……何か手がかりが必要なんだ」
私の言葉に、リーナはじっと私を見つめていた。
彼女も何か考えていることがある様子だ。
「リーナも……何か知りたいことがあるでしょ?」
彼女は少し驚いた表情になり、そして小さく頷いた。
「うん……私の魔法が覚醒したこと、あの力がどこから来たのか……」
彼女の声には、迷いと好奇心が混ざっていた。
「旧世界の知識があれば、魔法の本質を理解できるかもしれません」
ティアの言葉に、リーナの目が輝きを増した。
「それに……」
リーナは少し恥ずかしそうに続けた。
「ミラちゃんとティアさんと一緒にいたいの。あなたたちは、私にとって大切な……」
言葉が途切れたが、その意味は伝わってきた。
私も同じ気持ちだった。
この短い間に、二人は私にとってかけがえのない存在になっていた。
「リーナ……」
思わず彼女に抱きついてしまう。
幼い体の自然な反応だ。
リーナも優しく私を抱きしめ返してくれた。
「じゃあ、決まりね。私たち、古代図書館に行くの」
ティアも静かに頷いた。
「最適な選択です。図書館には私のシステム修復に必要な設備がある可能性もあります」
そうだ。
ティアのエネルギー問題も解決できるかもしれない。
三人にとって、行く価値は十分にある。
その夜、私たちは廃墟の中で休息を取ることにした。
リーナが魔法で暖かさを維持してくれる中、順番に見張りをすることにした。
まず最初はティアが見張り、次にリーナ、最後に私。
私は幼い体ながらも、自分の役割を果たしたかった。
「ミラちゃん、ちゃんと眠れる?」
リーナが優しく尋ねてきた。
彼女の隣に横になりながら、小さく頷く。
「うん、大丈夫。ティアが見張ってくれてるし」
信頼できる仲間がいるという安心感。
それは、この不安定な状況の中でも大きな支えになる。
「あのね、リーナ……」
「ん?」
「私、この体になって色々大変だけど……リーナとティアに出会えて本当に良かった」
素直な気持ちを伝えると、リーナは優しく微笑んだ。
「私もよ。あなたたちに出会えて、私の人生は変わった。今まで村の薬師見習いとして、ただ平凡に生きてくるつもりだったけど……」
彼女は少し照れたように続けた。
「冒険なんて考えたこともなかったわ。でも今は、自分の力を試したい。もっと知りたい、成長したいって思うの」
その言葉に、共感の念が湧いてくる。
私も、この状況を受け入れ、前に進んでいきたいと思い始めていた。
「おやすみ、リーナ」
「おやすみ、ミラちゃん」
静かな夜の中、心地よい疲労感に包まれながら、私はすぐに眠りについた。
* * *
「ミラ、起きてください」
ティアの声で目が覚めた。
外はすでに明るくなっている。
雨も上がり、朝日が建物の隙間から差し込んでいた。
「朝……?」
「肯定。現在時刻は7時23分です」
眠りが深かったのか、自分の見張り当番を逃してしまったようだ。
「ごめん、見張り……」
「問題ありません。あなたの休息が優先でした」
リーナも起きて、朝食の準備をしていた。
簡素な食事だが、空腹の体には十分だった。
「そういえば、ティア。古代図書館までの道のりはどんな感じ?」
食事をしながら尋ねると、ティアが地図のようなものを頭の中で思い描いているかのように目を閉じた。
「現在地から北東へ進み、最初に『緑の谷』と呼ばれる低地を通過。その後、『霧の山脈』を越え、『古王都の盆地』に到達します。図書館はその盆地の北端に位置しています」
「霧の山脈?」
リーナが首をかしげた。
「あそこは魔獣が多いって聞くわ……」
「肯定。霧の山脈は魔素濃度が高く、変異した魔獣の生息地です。しかし、古代の山岳道路が残っている可能性があります」
険しい道のりになりそうだ。
しかし、それでも行く価値はある。
「ティア、古代図書館には何があるの? データベース以外に」
「旧世界の科学技術に関する情報、歴史記録、および生体学に関する研究データ。特に、人間強化プログラムの情報が含まれている可能性があります」
「人間強化プログラム?」
「肯定。旧世界末期、人類は様々な環境に適応するための技術を開発していました。その一環として、人間の身体能力や脳機能を強化する研究が行われていました」
それは私の状況と関係があるのかもしれない。
もしかしたら、私が高い魔素適合度を持つ理由は、そのプログラムと関連しているのだろうか。
「ミラちゃんの身体の秘密が分かるかもしれないわね」
リーナの言葉に頷く。
そして、別の可能性も思い浮かんだ。
「もしかしたら、リーナの魔法の覚醒についても、何か手がかりがあるかも。魔法と魔素の関係とか……」
彼女の目が期待に輝いた。
「そうね……行ってみる価値はありそう」
食事を終え、荷物をまとめる。
幸い、雨で濡れた衣類も暖炉のおかげで乾いていた。
「出発しましょう」
リーナの言葉に頷き、廃墟を後にする。
しかし、出発する前に、廃墟の中を最後にもう一度見回した。
「ねえ、ティア。この建物、何か使えるものってない?」
「調査します」
ティアが建物内を詳細に調べ始めた。
彼女は壁の一部に注目し、何かを探るように手を当てた。
「発見。隠しコンパートメントです」
壁の一部が動き、小さな収納スペースが現れた。
その中には、金属製の円筒形の物体があった。
「これは?」
「旧世界のデータストレージ装置です。内容は不明ですが、古代図書館の端末で読み取れる可能性があります」
貴重な発見だ。
リーナが慎重にそれを荷物に加えた。
「他にも見つかるかも。探してみましょう」
三人で建物内を念入りに調査した結果、いくつかの有用なアイテムが見つかった。
金属製の容器、耐久性のある布地、そして不思議な結晶のようなもの。
ティアによれば、これは初期の魔素結晶の研究サンプルかもしれないという。
「十分です。これ以上の滞在は危険を増大させるだけです」
ティアの言葉に従い、私たちは最後の準備を整えて出発した。
森の中を歩きながら、新しい目的地に向かう決意が心に芽生えていた。
未知の旅路には危険が待ち受けているだろう。
しかし、ティアとリーナがいる。
三人なら、どんな困難も乗り越えられるはずだ。
「古代図書館……旧世界の知識の宝庫……」
その言葉を呟きながら、私は二人と共に深い森の中へと歩を進めた。
私たちの新たな旅が、今始まったのだ。




