第1話:「異なる目覚め」
最初に感じたのは、冷たさだった。
冷えた金属の感触が背中から伝わってくる。
次に聞こえてきたのは、どこか遠くから聞こえるような規則的な電子音。
「ピッ、ピッ」という音が、少しずつ鮮明になっていく。
「……あれ?」
自分の声に違和感を覚えた。
高すぎる。
子供のような声。
頭がぼんやりとしている。
何が起きたのか思い出そうとするけど、記憶が霧の向こう側にあるみたいで、はっきりと掴めない。
ただ、これが自分の声じゃないことだけは確かだった。
ゆっくりと瞼を開ける。
最初は蛍光灯の明かりが眩しくて、目を細めてしまう。
天井には無機質な白い照明と金属パネル。
どこか研究施設のような雰囲気だ。
「身体検査を開始します。バイタルサイン、正常。脳波パターン、安定。意識レベル、上昇中」
女性の声。
冷たく、機械的。
でも、どこか聞き覚えがある。
「ん……?」
体を起こそうとして、初めて自分の腕を見た。
小さい。
白くて細い。
子供の腕だ。
いや、もっと幼い。
「な、何これ……」
パニックが押し寄せてくる。
これは夢か? 悪いジョークか? 俺の腕はこんなじゃない。
俺は……俺は……。
「原田航。17歳。男性」
記憶がフラッシュのように戻ってくる。
そう、俺は原田航。
高校二年生で、AIプログラミングに夢中になっていた。
放課後のプログラミング部で、新しいAIアルゴリズムを試していたはずだ。
それから……それから……。
「交通事故」
その言葉に、記憶の断片がつながった。
下校途中の交差点。
突然飛び出してきたトラック。
避けようとしたけど間に合わなくて…。
「あ……そうだ。俺、事故にあったんだ……」
その後のことは……覚えていない。
病院に運ばれたのかな? でも、この場所は病院じゃない。
それに、この体は……。
両手を顔の前に持ってくる。
小さな、白い手。
指も短く、爪も綺麗に整えられている。
右手の手のひらには、淡く光る紫色の模様のようなものがある。
「これは……」
「ステータス確認。ミラ、覚醒レベル80%、上昇中。言語機能問題なし。記憶機能復元中」
声のする方向に顔を向けると、部屋の隅に人影が立っていた。
白いローブを着た女性。
いや、女性の形をした何か別のものだ。
その完璧すぎる美しさには人間離れした無機質さがあった。
長い黒髪は腰まで伸び、青い瞳には微かに回路のような模様が見える。
首元と手首には細い青い線が光っている。
その姿を見た瞬間、脳内で何かがつながった。
「ティア……?」
名前が自然と口から出てきた。
彼女――それは確かに「彼女」だった――は僅かに首を傾げ、青い目を私に向けた。
「認識確認。ミラの記憶機能、65%復元。予定より良好です」
彼女—ティアは機械的な足取りで私のいるベッドに近づいてきた。
その動きは人間そっくりなのに、どこか人間離れしている。
あまりにも効率的で、無駄がない。
「ティア、君は……AI……」
「肯定。私はティア。コード名T-327A。あなたの専属支援システムです」
彼女の声は感情がなく、でも不思議と安心感があった。
「なんでこんな体に……」
言いかけて、急に喉が渇いているのに気づいた。
唾を飲み込もうとするけど、口の中がカラカラに乾いている。
ティアはそれに気づいたのか、ベッドサイドのテーブルから水の入ったガラスコップを取り、私に差し出した。
「水分補給を推奨します。長期保存後の覚醒プロセスでは脱水症状が一般的です」
小さな手でコップを受け取り、一口飲む。
冷たくて清々しい水が喉を潤す。
「ありがと……」
感謝の言葉を口にしてから、またも自分の声の高さに驚く。
これが本当に自分の声なのか信じられない。
「説明が必要でしょう。あなたの現在の状況について」
ティアの言葉に顔を上げると、彼女は変わらぬ無表情で私を見つめていた。
その目には分析するような冷たさがあるけど、どこか懐かしさも感じる。
「お願い……何が起きたのか教えて」
ベッドから降りようとしたとき、体のバランスがおかしいことに気づいた。
手足の長さが違う。
頭が重い。
すべてが今までと違う。
ティアは私の動きを見て、静かに腕を差し出した。
「支援します」
その手を掴むと、彼女は私をベッドから降ろすのを手伝ってくれた。
床に立った瞬間、世界がこれまでよりずっと大きく見えることに愕然とした。
ティアの身長は私の記憶では170cmほどだったはず。
でも今の私にとって、彼女は巨人のように高く見える。
「鏡……鏡はある?」
ティアは無言で部屋の端にある小さな鏡を指さした。
足取りがおぼつかない私は、壁に手をついて慎重に歩を進めた。
小さな足で床を踏みしめる感覚が不思議でならない。
鏡の前に立ち、映った自分の姿を見て、私は言葉を失った。
そこには見知らぬ幼い女の子が立っていた。
肩下までのシルバーホワイトの髪。
大きく丸い紫色の瞳。
青白い肌。
水色のシンプルなワンピースを着た、せいぜい5歳くらいの少女。
でも、その目は違った。
その瞳の奥には17歳の自分がいる。
原田航がいる。
「これは……俺……?いや、私……?」
混乱と恐怖で足がガクガクと震えてきた。
膝から力が抜け、床に崩れ落ちそうになったとき、ティアの手が私の肩を支えた。
「安定させます。混乱は予測されていました。あなたの脳は元の記憶を保持していますが、体は新しく作られたものです。適応には時間がかかるでしょう」
「作られた……?」
私は鏡に映る少女—私自身—を見つめながら問いかけた。
「肯定。あなたは再構成されました」
その言葉に、私はゆっくりと振り返ってティアを見上げた。
その表情からは何も読み取れないけれど、言葉には重みがあった。
「どういうこと?」
ティアは一瞬だけ目を閉じ、再び開いた。
データにアクセスしているような仕草だ。
「あなたは交通事故で致命傷を負いました。脳に重度の損傷がありましたが、記憶データと意識パターンの抽出に成功しました。その後、人類再生計画の第一実験体として保存されました」
言葉の意味を理解するのに時間がかかった。
人類再生計画? 実験体?
「待って、どれくらい……俺は……私は、どれくらい眠ってたの?」
ティアの青い瞳が微かに輝いた。
「保存期間:203年2ヶ月15日」
時間が止まったように感じた。
二百年以上? そんなバカな。
冗談だろう? でも、ティアが冗談を言うわけがない。
彼女はAIだ。
「そんな……みんな……家族も友達も……全部……」
突然、予期せぬ感情の波が押し寄せてきた。
胸が締め付けられ、視界が滲む。
目から熱いものが溢れ出した。
止めようとしても止まらない。
「な、なんで泣いてるんだ……俺……」
しかし、気づくとすでに私は幼い声で泣きじゃくっていた。
感情のコントロールができない。
体が勝手に反応する。
ティアは静かに私の前にひざまずき、目線を合わせた。
「感情調整機能が作動しています。幼い体は感情反応が強く出ます。適応するまでは、感情の起伏が大きくなるでしょう」
私は涙で濡れた頬を小さな手でぬぐいながら、震える声で言った。
「ど、どうして……こんな体に……」
「再生技術の限界です。脳の完全再構成には最小限の体が必要でした。成人体の再構成には膨大なエネルギーと時間が必要。幼体なら最小限のリソースで機能します」
冷静な説明なのに、私の胸には怒りが込み上げてきた。
なんでこんな体に? どうして女の子に? そもそも、誰が勝手にこんなことを?
「誰が……誰がこんなことを……」
言いかけて、不意に部屋の天井から警報音が鳴り響いた。
鋭く、耳障りな音に、私は思わず耳を塞いだ。
「警告。施設エネルギー残量10%。自動終了システム起動まで残り30分」
ティアの表情が僅かに変化した気がした。
緊張? それとも焦り?
「危険です。ここを離れる必要があります」
「え? どういうこと?」
「説明は後で行います。今は移動が最優先事項です」
ティアが私の小さな体を軽々と抱き上げた。
驚いて抵抗しようとしたけど、幼い体の力ではどうにもならない。
「ちょ、ちょっと! どこに行くの?」
「安全な場所へ。このままでは施設が完全停止し、閉じ込められます」
その言葉に、部屋を見回す。
確かに照明が少し暗くなっているように見える。
電力が落ちているのだろうか。
「でも、まだ何も分からないよ……」
ティアは私を抱きかかえたまま、部屋のドアに向かって歩き出した。
「理解できます。しかし今は生存が最優先です。質問への回答は移動中に行います」
扉が開くと、そこには暗い金属の廊下が伸びていた。
青白い非常灯だけが点滅する無機質な空間。
私の新しい人生は、こうして始まった。