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ネジかくし

作者: 壊れた靴

 机を買った。自分で組み立てる必要のある、小さく安価な物だ。ほんのささいな模様替えだが、気分転換くらいにはなるだろう。

 それほど時間をかけず、机の組み立てを終えることが出来た。残る工程は、ネジの頭を隠すために木目模様の丸いシールを貼ることだけだ。

 私としてはネジの頭が見えたところでそれほど気にならないが、せっかく用意されたものを使わないのも申し訳ないな、とシールを台紙から剥がしてはネジの上に貼っていく。

 頭の出たネジも残り一つとなった時、手にした台紙からシールが消えた。どこかに落ちたかな、と近くの床を見回すが、見つからない。まぁ別にいいか、と机に視線を戻すと、残る一つだったネジが抜け、穴だけが残っている。組み立てていた時には気付かなかったが、緩かったのだろうか。ともかく、こちらは放置するわけにはいかない。

 近くの床を見回したり、着ている衣服を確認したりしても見つからない。どこかに転がっていってしまったのだろうか。立ち上がり、床を睨みながら部屋を歩き回る。

 作業していたのとは反対となる部屋の隅に、ようやくネジを見つけた。何故かネジの軸に巻き付くように木目模様のシールがくっついていた。拾い上げようと手を伸ばす。

「触らないで」

 少年のような声が聞こえた。顔を上げ、部屋を見回しても当然誰もいない。

「このネジは僕の物だ」

 どうもネジの方から声が聞こえるように感じる。

 再度ネジに目を向けると、軸に巻き付いていたはずのシールが、ネジの前に垂直に立っている。

 私が思っていた以上に、今の私は疲れているのかもしれない。見間違いか何かだと気にしないように努めて、ネジに手を伸ばす。

 シールはふわりと浮き上がり、風に舞うようにネジの軸に巻き付くと、ネジごとコロコロと転がっていった。

「そのネジ、必要なんだけど」

「僕もこのネジが必要なんだ」

 思わず声をかけてしまった私に、またもネジの前に立ったシールが答えた。いかんいかん、一人暮らしの女が幻聴と会話するなど、かなり末期的ではないか。

 きっと、机に使われた有機溶剤でも吸い込んでしまったためだろう。あるいは然るべき場所での診療を検討する必要があるのかもしれないが。

 そんな私の思いを無視するように、幻聴は続いた。

「僕はネジかくし、君たち人間が言うところの妖怪だか妖精だか、まぁそんなものさ」

 中々愉快なことを言う幻聴だ。恐らく正常な状態でないとは言え、私にこんなユーモアがあったとは。

 こうなったら、溶剤の影響が抜けるまで付き合ってやるのも面白いかもしれない。

「そのネジがないと困るんだけど」

「そうだろうさ。そういうネジでないと隠す価値もないのだからね」

 自称ネジかくしは、もっともらしいことを言う。

「なんでそんなことをするの?」

「なんでって、ネジかくしだからさ。そうするのが存在意義ってものだろう。ネジを回さないネジ回しがあるかい?」

 見た目の割に、妙に理屈っぽい奴だな。

「ネジを食べるためとか、そういうわけじゃないの?」

 ネジかくしは「ハッ」とこちらを小馬鹿にするような声を上げた。腹立たしい。

「そんなわけないだろう。いかにも人間らしい野蛮な発想だね」

 こちらを嘲るようなネジかくしに苛立ちが募る。何かやり返さねば。

「ところで、ネジ、隠せてないよね? そもそも私に気付かれて良かったの?」

 ネジかくしからの答えは、すぐには返ってこなかった。うなだれるように折れ曲がったシールを見るに、痛いところを突いたようだ。

「それは、まだ、僕は立派なネジかくしではないから。僕だけで隠すのは、今日が初めてで、だから仕方ないというか」

 歯切れ悪く言い訳をするネジかくしに溜飲が下がる。少年のような声から想像される通り、半人前のネジかくしらしい。さっきまでの態度は虚勢に過ぎないのだろう。

「ごめんごめん。分かったよ」

 何となく謝ってしまった。まぁ、これくらいの余裕は見せておこうか。

「僕だけで、ということは他にもネジかくしがいるの?」

「そうだよ。今までは先輩と一緒にネジを隠していたんだ」

 どうやら上下関係のようなものもあるらしい。先輩と経験を積ませるとは、手厚い体制ではないか。

「先輩は凄いんだ。ネジ回しにまで宿ることが出来るんだから。そんな先輩が付いてくれる僕もつまりは逸材だということさ」

 ネジかくしは自慢げに言った。シールがピンと伸びている。賞賛したいのが先輩なんだか自分なんだか分かったものではない。

「どういうこと? 君みたいなシールが、ネジかくしじゃないの?」

「そうじゃないさ。僕らは物に宿って動くんだ。僕はまだこんな物にしか宿ることが出来ないけれど」

 声とシールは、言葉の途中から恥じ入るように小さくなっていった。

 なるほど、確かにシールそのものであれば、ネジを隠す機会も一度きりで終わってしまうだろう。

「もっと凄いネジかくしになると、床や壁にだって宿ることが出来るんだ」

 そこまでいくと、何か別の妖怪ではないだろうか。

「凄いは凄いけど、それならネジを入れる箱とかの方がいいんじゃない?」

「人間らしい安直さだね。そんな、使われるか使われないかも分からないネジには価値はないよ」

 小馬鹿にするようなネジかくしの口調も、精一杯の虚勢だと思うとさほど腹は立たなかった。

「さっきも言ってたけど、隠す価値のあるネジって何?」

「役目を与えられたばかりのネジが最高さ。その後は繋がれた物と一体になってどんどん価値は下がっていくし、何の役目もないネジは最低だね」

「つまり、私のそのネジみたいなのが最高ってことか。一体になるっていうのはどういうこと?」

「さっき組み立てた机を見てみなよ」

 言われた通り机を見る。しっかりと締められ、頭さえシールに隠されたネジは、確かに机と一体になっていると言える。意識しなければネジがあることさえ忘れてしまうだろう。

「ネジとしての存在は失われて、机の一部になってしまうということ?」

 返事はなかった。ネジかくしの立っていた床を見る。ネジは消え、木目模様の丸いシールだけが床に倒れていた。

 ようやく溶剤の影響が抜けたのだろう。別れの挨拶くらいはしたかったような気もする。

 シールを床から拾い上げると、既に粘着力は完全に失われていた。思わず苦笑してから、ネジかくしの抜け殻を捨てる。

 机の梱包を確認してみると、幸運にも予備のネジが付属されていた。

 改めて机の組み立てを終え、一箇所だけ残った、シールに隠されていないネジの頭を眺める。

 繋がれた物と一体になってどんどん価値は下がっていく、か。

 私の漠然とした不安や願望が聞かせた言葉かもしれないが、妙に耳に残る。

 心は決まった。

 私は完成したばかりの机に向かい、退職願を書き始めた。

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