9 『Wildflower』
雨が降り始めた。石畳に小さな水玉模様が生まれた。でも雨は激しくは降らなかった。傘を持ってなかったから助かった。少し体が熱かったから妙な心地よさがあった。
ここまでだいぶ距離があった。ちょっとした山登りだった。
大小様々なお墓が建てられている。石畳は傾いてたり隙間があったりと歩きにくい。何度か転びそうになった。カラスがぐちゃぐちゃになったみかんをついばんでいた。
ノリオが眠ってる場所はどこだろう。お墓に掘られた名前を見ていく。出所してから四年、彼を殺してから十年、ようやくここに来れた。リョウがお墓の場所を知っててよかった。
僕以外に人はいなかった。風で墓地の周りの木々の、葉と葉がこすれる音がする。ここに眠る人たちの声のようだった。
みんなそれぞれの理由でここにいる。病死、事故死、あるいは自殺。
けど殺されてここにいる人はあまりいないんじゃないだろうか。それともそうでもないのだろうか。僕にはわからない。帰れ、と言われてる気がした。
マナベ家のお墓を見つけた。確認するとノリオの名前があった。お墓は隣に比べると小ぢんまりとしていた。
「久しぶり」
お墓は汚れていた。周りも草だらけだった。花立には茶色の棒が何本か刺さっていた。僕はそれを抜いて持ってきた花と入れ替えた。花があるだけで全体の印象が変わった。
水道のわきに桶と柄杓があったので水をくんでお墓にかけた。ノリオをトイレの個室に押しこんで、バケツの水を上からかけたことを思い出した。僕にこのお墓に小便をかけたというマモルくんのことをあれこれ言える資格はないだろう。まさかノリオも、死んでも僕に水をかけられるとは思わなかっただろう。その僕に花まで添えられたら呪い殺してやろうという気にもなるのかもしれない。僕もいつか殺されるんだろうか。ヒロトやヤスのようにノリオが生き返ったと錯乱したようなことを言い、どうにかなってしまうんだろうか。
僕には罪がある。人を殺したという罪だ。もちろん罰は受けた。法律で決まってるところの罰は。その結果僕は幸せを手に入れた。
「ごめん」
僕は頭を下げた。今さらこんなことをしても何も変わらないけど、謝らずにはいられなかった。服がしっとりと冷たくなるくらい、僕は頭を下げ続けた。墓地を出る。命日になったらまた来ようと思った。
数時間かけて家に帰るとカノコがタオルを持ってきて頭を拭いてくれた。自分で拭けるよと僕はその申し出をいったん断ったが、だーめ、とカノコがやけに嬉しそうに言うものだからそれ以上断る気になれなかった。
「ご機嫌だね。何かあったの?」
顔中にタオルを走らされながら僕は訊く。カノコは不気味に笑った。ちょっと怖い。そして拭き終わったカノコは僕の目を見て、
「子どもができたよ」
と言った。
「え?」
「あっくんと私の、子どもができたよ」