2 『フレア』
「いやあ、今日もお客さんいっぱい来たなあ」
背伸びをしながらタケウチさんが言う。タケウチさんは椅子の背もたれをめちゃくちゃに倒し、往年の女子フィギュアスケート選手のような体勢になった。「そうですね」と僕はシャッターを下ろして言った。
「繁忙期とはいえうちにまでこんなに人が来るなんて、こりゃ駅前のほうはもっと忙しくなってんだろうなあ」
「かもしれませんね」
「ほんと二人じゃギリギリだよ」
タケウチさんは姿勢を戻し、煙草に火をつけた。
「まあ人を増やしたとこで、どこに座るんだって話だけどな」
二人して小さく笑った。
うちはタケウチさんと僕の二名という、よく言えば少数精鋭、悪く言えば人手不足の状態だ。店は駅から絶妙に遠く、かといって人の通りがないわけでもない場所にこぢんまりと佇んでいる。なぜこんな場所に店を構えたのか僕にはわからない。まあ社長には社長なりの考えがあるのだろうけど。客は軒並み大手の不動産屋に取られ、ここまでやってくる物好きはあまりいない。今は繁忙期で忙しいけど年間を通してなら暇なときもある。社長は滅多に店には来ず、しかしたまに来たかと思うと変なことを言って僕やタケウチさんを困惑させる、よくわからない人だった。よくわからない人、だなんて自分の恩人にひどい言い草だった。
恩人。そう、社長は僕の恩人だ。社長が拾ってくれなかったら僕は今も路頭に迷っていただろう。社長にはいくら頭を下げても下げたりない。
入社して間もない頃、社長がこう言ってくれた。
『いいっていいって。俺はね、サトちゃんのそういう真面目なとこが気に入ったんだよ。サトちゃんが昔何をしたとか、そんなの関係ない。だってサトちゃんはしっかり罪を償ったんだから、堂々としてたらいいんだよ』
だがタケウチさんは僕の過去を知らない。僕がかつて何をした人間なのかは社長と僕だけの秘密だ。タケウチさんと目が合った。
「ん? 何だよ」
「いえ、何も」
たまに思う。もしこの気のいい先輩が僕の過去を知ったらどうするだろうかと。
軽蔑されるだろう。これまでのような関係ではいられなくなるだろう。誰もが社長のように言ってくれるわけじゃない。それを僕は嫌というほど知っている。
それは社長が優しくてタケウチさんが優しくないという話ではない。そして社長が間違っていてタケウチさんが正しいという話でもない。
片付けが終わり後は帰るだけという空気になった。別に残業をしてもいいのだが、今日は何だか疲れている。疲れているからあんな夢を見てしまったのだ。
「お先に失礼します」
「なあ、今日ちょっと飲んでかね?」
今日は早く帰りたい。帰って寝たいし何よりカノコの顔が見たい。今日もお弁当美味しかったよ、ありがとうと伝えたい。ここ最近残業が多くて遅く帰ってるからカノコとろくに話していない。でもそれは先輩の誘いを断るにはあまり強い理由じゃない。さてどうするかと考えてたら「なんてな」とタケウチさんが笑った。「今日は疲れてるだろ。早く帰りな。そんで嫁さんとイチャイチャしな」
「はい」
本当にこの人はいい先輩だ。こんな先輩と働けて僕は幸せ者だ。
「嫁さんかあ。やっぱさ、結婚っていいもん?」
タケウチさんが二本目の煙草を吸う。
僕は「最高ですよ」と言った。