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18 『On Your Side』


「希美ちゃん、あそこに住んでたんだね」

「ええ。まあ半年前からですけど」

「そうなんだ」

「私、それまでは遠くの親戚の家でお世話になってまして。高校入学を機にこっちへ戻ってきたんです」

「へえ」

「親が戻ってきてほしそうにしてたからっていうのもあるんですけどね」

希美ちゃんは落ち着いた声で言った。

「兄のことを思い出してしまうので、あまり戻ってきたくはなかったんですが」

「そっか」

「でも今は、戻ってきてよかったって思ってます」

「どうして?」

「兄の死と、ちゃんと向き合うきっかけができたからです」


 僕たちは歩いていた。冷たい風が吹いていた。頬がぴりぴりと痺れる。道には枯れ葉が落ちていた。踏むと小気味いい音がした。


 寒そうに肩を震わせていたので、僕は上着を脱いで希美ちゃんに渡した。『いえ、大丈夫です』と希美ちゃんは言ったが、僕が『いいから』と押し付けると『ありがとうございます』と上着を羽織った。


『あったかいです』

『ならよかった』


 僕たちは歩き続ける。でも特に目的地があるわけじゃない。あてもなく歩いているだけだ。曲がりたければ曲がる。信号を渡りたければ渡る。そんな感じだった。だからどこへ行こうとしてるのかまったくわからない。僕たちはどこへ行こうとしているんだろう。


 小さな公園があった。僕たちは何となく入った。雑草だらけでくたびれていた。遊具は一応ブランコなどがあったが、子どもの存在も痕跡もまるでない。どれも淡い夕焼けに照らされて寂しそうに見えた。


 ベンチに座る。塗装が剥げた、ぼろぼろのベンチだった。尻にごつごつした感触が伝わる。でも歩き疲れた体にはどんなベンチでもありがたかった。


「結構歩いたね」

「そうですね」

「ごめん、こんなに歩かせちゃって」

「いえ、私こそ」

 僕は立ち上がり「飲み物買ってくるよ。何がいい?」と公園の外の自販機を指差す。

「そんな、おかまいなく」

「気にしないで。お茶でいい?」


 希美ちゃんがうなずいたので、僕は公園の外へ出た。途中希美ちゃんと目が合って何とも言えない間が生まれた。自販機にお金を入れてボタンを押す。飲み物を渡したらそのタイミングで切り出そう。すべてを終わらせよう。そして終わらせたあとは……。ペットボトルが落ちた。僕はもう一度ボタンを押し、二本目も落とした。


「はい」

「ありがとうございます」

 お茶を渡すと希美ちゃんはリズムよく飲んだ。喉が渇いてたんだろう。お茶がどんどん減っていく。それを見ながら僕もお茶を飲んだ。


「そんなに見られると恥ずかしいんですけど」

「あ、ごめん、いい飲みっぷりだなって」

「何ですかそれ」

 希美ちゃんが小さく笑った。


 空には雲がきれぎれにかかっている。そのあいだに夕陽が沈もうとしていた。でもまだそんなに暗くはなかった。空気が冷えてきた。ここにもそう長くはいられないだろう。だから早く切り出そう。だけどどうしたら、と僕がうだうだしていたら、

「驚きました。まさか佐藤さんがうちに来るなんて」

 と希美ちゃんが言った。


「ごめん、いきなりで」

「ほんとですよ。しかも家の前でお母さんが暴れてるし」


 母親の狂乱的な姿を思い出す。愛する息子を殺した犯人が十年経ってのこのこ現れたのだ。これで『あらいらっしゃい』だなんて言うほうが狂っている。だからあの対応はむしろ正しい。


「何とかなったからよかったですけど、もし刺されてたらどうするつもりだったんですか?」

「どうもしないよ。僕はそれだけのことをしたんだから」


 加害者の命運は被害者もしくは被害者の大切な人によって決められるべきだ。法律がどうとかは関係ない。僕は心の審判を受けに来たのだ。僕はその判決に従うまでだ。


「僕がしたことを、ちゃんと謝りに来たんだ。それで、この罪をどう償えばいいのか確かめに来たんだ」

 その結果殺してやると言われた。希美ちゃんは僕に何と言うだろう。


「佐藤さん」と希美ちゃんは僕に体を向けた。「もしかして死ぬつもりなんですか?」

「それを決めるのは君だ」

「じゃあもし私が死ねと言ったら、佐藤さんは死ぬんですか?」

「うん」

「そんなの、ずるいです」

「そうだね。ずるいと思う。でも僕は希美ちゃんに決めてほしい。僕は君が望む通りにする」


 何でもする。この命は君のものだ。煮るなり焼くなり好きにしてほしい。


「嫌です。私は佐藤さんに死んでほしくありません」

「何で? 僕が憎いんじゃないの?」

「憎いです。憎いですよ」希美ちゃんは雑巾を絞るように言った。「家族を殺した人間を憎く思わないわけないじゃないですか。あなたのせいで私たちがどれだけ悲しい思いをしたか考えたことありますか?」


 僕がいなければ真鍋家は平和だったのだ。兄妹の仲もよく、家族みんなで今も笑い合っていたはずなのだ。それをぶち壊したのが僕だ。


 けど希美ちゃんは僕に死んでほしくないと言った。


「それでも私は、佐藤さんに生きていてほしいんです」

「じゃあどうやって罪を償えばいいの? 僕の罪は死ぬことでしか償えない」

「それは違います」


 はっきりと否定された。


「死ぬことは償いになりません。それは罪から逃げてるだけです」

「じゃあ僕はどうすれば」

「生きてください。生きて罪を償ってください」


 希美ちゃんが僕の手を取った。その手は冷たかったが温かく感じた。


「私はあなたを一生赦しません。だから生きてください。生きて、私の生きる目的になってください。それが私への償いです」


 希美ちゃんは微笑んだ。それと同時に視界がにじんだ。涙だった。涙が溢れてきた。涙は頬を伝って落ちていった。僕の頭を希美ちゃんが抱いた。


 僕は生きていていいのだろうか。僕はずっと自分を死ななければいけない人間だと思っていた。罪を償う方法は死ぬ以外にないのだと思っていた。


 僕は希美ちゃんの胸のなかで泣いた。みっともなく、子どものように。


 生きることで償える罪も、あるのかもしれない。それを信じてみたいと思った。


 僕はやっと泣くことができた。


〈了〉

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