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1  『心の鎧』


 これは夢だ。人を殺す夢だ。


 僕は十四歳で、これから殺す相手も十四歳だった。


 僕以外に四人いた。その四人はこれから殺す相手の手足を押さえていた。


 これから殺される彼は頭を振り、少しでも僕の狙いを外そうとしていた。しかしそれは無駄な抵抗だった。金属バットは体のどこに当たろうが致命的なダメージを与えるからだ。


 彼が叫んでいる。泣きわめきながら、声にならない声で、何かを叫んでいる。


 それは祈りだった。彼は、殺さないでくださいと僕に祈っていたのだ。青あざと内出血でぱんぱんに膨れた顔で、必死に。


 僕の意思一つで彼の運命が決まる。それはまるで僕を神になったような心地にさせた。


 四人のうちの一人が、早くやれよと言った。わかってるよ、と僕は応えた。僕は今どんな顔をしてるんだろう。


 バットを振り上げる。それは僕の両手にぴったりとくっついている。両手の延長にあるような自然な感覚だった。


──駄目だ、振り下ろしてはいけない。

 両手に力を込める。

──駄目だ、振り下ろしてはいけない。

 息を吸って吐いた。

──駄目だ、振り下ろしてはいけない。

 彼の目を見た。

──駄目だ、振り下ろしてはいけない。

 見ただけだった。

──振り下ろした。


 全身に鈍い振動が響いた。


      ●


「おうい。サトー」

 目の前で手を振られていた。僕は驚いた。椅子が大きな音を立てた。手も驚いたのかさっと視界から消えた。消えた先を向くとタケウチさんが何とも言えない表情をしていた。


「す、すまん。まさかそんなに驚くとは」

「いえ、ありがとうございます。起こしてくださって」


 声が重かった。いや声だけでなく体も重かった。何時間も寝ていたようだった。でも時計を見ると十分も経っていなかった。姿勢を直す。背骨が鳴って気持ちいいというより痛かった。意識がどろどろしている。起きてるのにまだどこかが眠ってる感じだ。


 ソースの匂いがする。匂いは横のタケウチさんのコンビニ弁当から漂っていた。メンチカツにかけられたものだった。鼻がくすぐったい。自分の弁当を食べたのに、食欲をそそられる匂いだった。


 水筒からお茶を飲む。お茶は少し温くなっていたが、ぼうっとした頭に気持ちよく沁み込んでいく。


「取れそうなくらい頭がくがくさせてたぞお前。眠いのか?」

 メンチカツと米を咀嚼しながらタケウチさんが言う。タケウチさんはものを食べるときクチャクチャと音を立てる癖がある。知り合った頃はいつか指摘しようと思ったものだが慣れとは恐ろしいもので、もう全然気にならなくなった。


「眠いってわけじゃないんですけどね」

 卓の上の弁当箱を布で包む。タケウチさんはいつもコンビニ弁当だが僕は違う。カノコが作ってくれた弁当は今日も美味しかった。


「まあ最近お前めちゃくちゃ頑張ってるもんな。もうちょっと寝てろよ。お客さん来たら俺が対応するよ」

「はい」


 僕は嬉しさを声に乗せてうなずく。お言葉に甘えて目を閉じる。世界は咀嚼音とソースの匂いと尻に伝わる椅子の感触の三つだけになる。いや店の前をたまに通る車の音の四つか。


 でも目を閉じたら意識がどんどん冴えてくる。目がごろごろと動いてるのがわかる。目をどの位置に持ってきても落ち着かない。時間を浪費してるだけのような気がする。先輩のせっかくの厚意を無駄にしてるようで心苦しい。そわそわしてきた。あんな夢を見たせいだろうか。数年前までは眠るとよくあの夢を見た。


 いや、あれは夢というより記憶だ。


 あれから時間が経ったんだなと思う。


 人は物事を忘れる生き物だが、正確には忘れるわけではないらしい。記憶は脳の深いところに収納されてくだけで、なくなるわけではないらしい。ただ昔の記憶になればなるほど取り出しづらくなるだけらしい。過去を忘れることはできない。過去は常に自分のなかにある。


 僕は覚えている。人を殴る感触を。人を蹴る感触を。人を殺す感触を。あれから十年経ってもまだ。


 鈴の音がした。扉が開いたのだ。タケウチさんが休憩室を出て、いらっしゃいませ、と言った。


 いつまでもこうしてるわけにはいかない。目を閉じてるから色々なことを考えてしまうのだ。忙しさのなかに身を置いていればそんなことはしないはずだ。さあ仕事だ。仕事をしよう。今日も明日も明後日も一生懸命に働こう。


 僕は目を開けた。そして弁当箱を片付けて、流しで顔を洗った。冷たい水が気持ちよかった。


「よし」

 タオルで顔を拭く。また鈴の音がした。僕は笑顔を作ると休憩室を出た。


 僕は生きている。まだこうして、のうのうと生きている。


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