招かれざる客
それからの2時間は怒涛のように過ぎていった。
ヒナトが店を開けた直後から、店内は開店を待ちかねていた客でごった返し、ヒナトが会計、ダウリンが袋詰めの作業とパンの品出しを行い、次々と客の注文を捌いていく。
ダウリンはヒナトが棚から出した大量のパンを紙袋に詰めながら、時折ヒナトの様子を伺っていたが、ヒナトは店長だけでなく街の人にも好かれていた。
近所の老夫婦がヒナトの様子をまるで孫のように心配し、それにヒナトは快活な笑顔で心配ないよと答えていた。
店に入ってきた時は無愛想だった客も、ヒナトの前では固い表情も自然と緩むのか、微笑みながら、ヒナトからパンを受け取っていた。
少し挙動不審な若い男性の客が、ヒナトからパンを受け取った時に顔が赤くなっているのも見た。
(この子はすごいな。誰もが彼女の前では、つい笑顔になってしまう。)
ダウリンは忙しくても笑顔を絶やさないヒナトを見ながら感心した。
お店は昼のピークが過ぎた後も、客足が絶えることはなく、ダウリンはヒナト達の助けになろうと色々と動き回っていた。
「おーい。今日最後のパンが焼けたぞ。」
「はい!取りにいきまーす。」
店長の声に、ダウリンは厨房に入る。
雷気式オーブンの前には、焼かれたパンがいくつも置いてあるトレイがあった。
焼きたての香ばしくて良い匂いが、厨房に充満している。
ダウリンは素早くトングでパンを店舗用のカゴに入れると、厨房から店内に戻った。
しかし、店内はそれまでの賑やかな雰囲気から一変していた。
店の隅にはそれまでパンを買おうとしていた客達が立っていて、居心地が悪そうな顔をして何かを見ている。
その視線の先、ヒナトがいる売り場のカウンターの前には、見るからに高級であろうスーツに身を包んだ若い男と、その男を警護をするかのように黒い服を着た巨体な男が2人いた。
明らかにこの店の雰囲気に合っていない。
そして若い男は前のめりにヒナトに話しかけていた。
「ヒナトさん。今度のお休みはいつですか?一緒に食事でもどうでしょうか。最近、うちの系列のホテルに元帝国の三つ星シェフをスカウトしまして。私も試食しましたが、非常に美味しかったんですよ。ヒナトさんもきっと気に入りますよ。」
「あ、あの、リュヒトさん。すいません。お気持ちはありがたいのですが、前にも言った通り、私のお休みは当分なくて。」
「そんな!休みがないなんて、ひどい話ですよ!普通の会社ならありえない。ヒナトさんはあの店長にいいように使われているだけなんですよ。」
「いえ!そんなことはないですよ。店長は何もない私を拾ってくれて。本当に感謝しているんです。」
若い男の勢いにヒナトは少し困っているようだ。
これまでの接客とは違い、身体も後ろに引いていて、当たり障りのない会話で男の話をなんとか受け流そうしているようだ。
ダウリンは手に持っていたパンが入ったカゴをカウンター裏の机に置きながら、2人の様子を伺う。
「ほんと、ヒナトさんは優しい人だ。でも、ここの店長はそんなヒナトさんの優しさに漬け込んで、やりたい放題しているんですよ。これだとヒナトさんは、まるでこの店の奴隷じゃないですか。」
「奴隷だなんて、そんな。私は十分満足して・・・」
「いいえ!ヒナトさんは一刻も早く他の仕事を見つけるべきなんです!そうだ。今度うちの会社でもパン屋を出そうという話が出ていて、新しい店長を探しているところなんですよ。そこの店長なんてどうですか、ヒナトさん。」
「い、いえ。私はここでのお仕事が気に入っているので・・・」
「店長と聞いて不安かもしれませんが、ヒナトさんなら大丈夫ですよ!僕も全面的にバックアップしますから!一緒にパン屋をやりましょうよ!」
「あの、そう言われましても・・・」
「はい。そこまで。」
若い男が1人で勝手に盛り上がっているところで、ダウリンがヒナトの前にそっと割り込んで立つ。
「すいません、お客さん。ここはパン屋なんですよ。女の子と話したかったら、そういうお店に行ってください。他のお客様の迷惑にもなるんで。」
「は?なんだ、君は?」
ダウリンの言葉に若い男はさっきまでの笑顔から急に険しい表情に変わった。
「ここの店員です。今日から雇われましてね。それよりあなたはパンを買うんですか、買わないんですか。」
「・・・君。私が誰だかわかって言っているのか?」
「はあ?いいえ、わかりません。何せこの街には今日来たばっかりなんで。けど、貴方が何者であっても今は関係ないと思いますけど。で、どうするんですか?まさか、そんな綺麗な成りをして、子分も引き連れておきながら、冷やかしですか?」
男はわかりやすく苛つき始める。
ヒナトを目の前にしていた時とは大違いである。
(しかし、随分と尊大な態度だな。どっかの貴族とかか?)
「君。名前はなんだ。」
「人に名前を聞く時には、まず自分から名乗るのがマナーってもんじゃないですか?」
「ふっ。・・・ふふふ。そうか、そうか。いや、悪かった。私の名前はリュヒト・ホムランツという。以後、お見知り置きを。」
髪をかき分け、ダウリンのことを睨みつけながらリュヒトは挨拶した。
「それで君は?」
ダウリンが名前を言おうとしたところで、急に左腕の服の生地が後ろに引っ張られた。
見えてはないが、後ろにいるヒナトだろう。
止めろと合図を送っているのがなんとなくわかった。
しかし相手が名を名乗った以上、礼儀としてこちらも名乗らない訳にはいかない。
「ダウリン・フージと言います。」
「ふむ。ダウリン・フージ。ダウリン・フージか。よし。名前は覚えたぞ。」
「それはどうも。で、パンのほうは」
「いいか。ダウリン・フージ。私が何者かを知って命乞いをしても、もう無駄だからな。お前が今日わたしに楯突いたことを一生後悔させてやる。」
リュヒトはダウリンを指差して警告すると、踵を返して店の外へ出て行った。
お付きの黒服の2人も慌てて主人の後を追って店の外に出る。
(なんだよ。結局パンは買わないのかよ。)
ダウリンがリュヒトの行動に呆れていると、店内から急に拍手と喝采が巻き起こった。
「おい!あんた!怖いもの知らずだな!いや、本当にいい気味だったよ!」
「俺たちの言いたいことを言ってくれて清々したよ!」
「最近あの御曹司は我儘が酷いからな。」
「ほんとだよ。この前も、会社を一つ潰したという噂だよ。」
それまで存在を消したかのように隅で黙っていた客達が、解放されたかのように次々に話し始める。
中にはダウリンに握手を求める人もいて、ダウリンは戸惑いながらも握手を交わした。
その後、客達はダウリンへの礼だと言って次々に大量のパンを買ってくれたので、日が傾く前に店のパンは全て売り切れてしまった。




