顔が思い出せない男
「おい、リダレア。何でさっき渡した財布をあのおっさんに返したんだよ。」
「文句言うのはこっちの方よ、ジディ。目立つような事をするなって言われたでしょ。手癖でスリをするのやめてくれる?」
先程、駅でダウリンにぶつかった男と財布を渡した女が、高級艇の後部座席に並んで座っていた。
2人が乗る黒塗りの高級艇はエルツェンの道を軽快に滑っている。
「だってよー。目の前にチンタラしてるカモがいるんだぜ。そんなの、とりあえず狩っとくかって思うじゃん。」
「それで下手に顔を覚えられたらどうすんのよ。私達がこの街にいる事は機密事項なのに。」
「大丈夫だよ。あんなとぼけたおっさん。俺達の顔どころか、昨日の夕飯だって覚えてねーよ。それにいざとなったらお前の術でさ、記憶をぱぱっと操作すればいいじゃん。」
「簡単に言わないで。それに私はあんたの尻拭いの道具じゃないの。」
「そんなイライラするなよ。そしたら、これ。半分あげるからよ。」
そう言ってジディが、片手に握った札束をリダレアの前に出す。
「何これ?もしかして。」
「狩った獲物はすぐに隠す。常識っしょ。」
ジディが自慢気にウィンクする。
リダレアはその仕草にげんなりした表情を浮かべる。
「あんたが財布盗んでるのを見て、すぐに財布を弾き飛ばしたはずなのに。とんだ早業ね。」
「だろ。凄くね?」
「はぁ。あーすごい、すごい。」
「いや、そんな。褒めんなよ。」
リダレアは一瞬コイツを魔術で吹き飛ばしてやろうかと思ったが、魔術の乱用はするなという家の掟を思い出してなんとか踏み止まる。
「全く。それにしても、あのおじさんも気の毒ね。こんな奴に目をつけられたばっかりに。」
「あのおっさん、今頃どっかで金がない事に気がついて泣いてるんじゃね。けけけ。」
それはそうでしょう、とリダレアは呆れながら車窓を見る。
意気揚々と新しい街に来て、全財産失ったら誰だって絶望する。
これまでも絶望した人達を何人か見てきた事はあるが、皆、目は虚で顔面は蒼白で体は小刻みに震えていた。
きっと、あの男も同じような感じで
え?
リダレアは思わず座席の背もたれから体を離して、前屈みになった。
なんで?
あの男の顔が思い出せない?
リダレアは違和感を感じて、さっきの駅の出来事を順に思い出す。
ジディが駅のロビーであの男にぶつかって、その時にあの男から財布を盗んだ。
それを後ろから見ていて、片手の印だけで作れる簡易的な突風の魔術を組成し、財布を持ったジディの手に当てて、財布を落とす。
それから財布を拾い、あの男に声をかける。
リダレアは財布を渡す時に確実に男の目を見て喋った。
そうしないと、魔術をかけられないからだ。
ジディに言われるまでもなく、リダレアは直前の記憶が曖昧になる魔術をその時にかけた。
話した言葉の端々に詠唱を込めて。
リダレアは記憶力が良く、顔を覚えるのも得意だと自負している。
一度だけ会った人と数年後に会って、声をかけたら覚えているなんて信じられないと驚かれた事は何度もある。
しかし今はどうだろうか。
1時間も経ってないのに、あの男の顔が思い出せない。
こんな事は今まで一度もなかった。
「嘘でしょ?」
リダレアから自然と声が出ていた。
「ん?どうしたんだよ。急に。」
「うるさい。黙ってて。」
ジディの質問を一蹴して、リダレアは頭を抱えながらあの男の顔を必死に思い出そうとする。
しかし、何度一から確認しても、財布を渡して会話した男の顔はまるで分厚い霞がかかったかのように、顔の特徴すらも思い出せなかった。
どういうこと?
魔術返しをされた?
いや、そもそも魔術返しは相応の準備とかなりの魔力がいる。
何の準備も無しに即興でできる人間なんていない。
でも、自分はあの男の顔が思い出せない。
術をかけたつもりが、まんまと自分が術にかかっていた。
悔しいけどこれは事実だ。
リダレアは男に財布を返した事を後悔した。
あの財布さえあれば、居所を掴めたかもしれなかったのに。
「おいおい。お前さっきから様子が変だぞ。なんだ?もしかして、あのおっさんの事、気になっちゃった?」
ジディの冗談にリダレアはフッと笑った。
「そうね。興味は湧いてきたわ。」
「え?まじ?」
口を開けて驚いているジディの顔をリダレアは鼻で笑い、また窓の外を眺める。
顔を思い出せないのが、どういう仕組みかはわからない。
ただ、あの男は魔術師である事は間違いない。
この時代の魔術師は大概が帝国の息がかかった人間だ。
帝国に関係ない魔術師となると、存在を疑う程にその数は極めて少ない。
しかし、そんな流浪の魔術師は自分の知らない魔術の知識をきっと持っているに違いない。
これはチャンスだわ。
今まで研究してきた魔術とは違う、新しい発見があるかもしれない。
その為には、あの男にもう一度会わないと。
あの男が、壁にぶつかっている今の自分を変えるきっかけになるかもしれない。
リダレアは久しぶりに高揚感を感じた。
そして、あの男をどうやって見つけるかをリダレアは考え始めた。
だから、ジディが珍しくリダレアの事を横目でキョロキョロと見ていることに、リダレアが気づくことはなかった。




