エルツェン駅
都市国家エルツェン。
サイス湖の畔にあるこの国は、風光明媚な街として有名で、旅行先として人気が高い。
エルツェンは樹海と湖の間にあるわずかな隙間のような平地から湖を埋めたて、樹海を開拓し、雷船路を敷設して人と流通を確保し、僅か50年で一大貿易都市にまでなった。
エルツェンは元々帝国から追われた難民が集まっていた難民キャンプから始まったので、お金もコネも全くない状態からのスタートだった。
それがなぜ、経済学者も驚くような急成長を遂げたのか。
もしエルツェンの道を歩く人にその質問をすれば、10人中10人が、それはシュラーのお陰と言うだろう。
シュラーとは世界的な飲料メーカーで、会社と同じ名前のシュラーという商品は世界中で愛飲されている。
シュラッガーと呼ばれるシュラーしか飲まない人も出る程の人気で、国によっては一時販売中止になった事もあるほどだ。
そんな人気飲料シュラーの本社と最初の工場は実はこのエルツェンにある。
山からサイス湖に流れる綺麗な水を使って作られるシュラーは、エルツェン国民の誇りと言われている。
そして、エルツェン国民の誇りは他にもある。
その一つが、星熊祭と呼ばれる一年に一度開かれる祭りだ。
かつて、森の北西に熊協ランクのレベル4の熊、「流星熊」タッシュコートと呼ばれる熊がいた。
熊にしては珍しい縄張りを超えて移動するタイプで、定期的に樹海の外のサイス湖まで無数の手下の熊と共に突撃していた。
なぜタッシュコートはサイス湖に来ていたのかは未だ謎のままだが、ずっとサイス湖の女神に求婚しては振られてたんだよ。手下の熊も付き合わされて大変だったと思うぜ。と言うのは場末の酒場で昼間っから酒を飲んでいるおっさんの談である。
真意は定かではないが、ただ人間としてはたまったものではない。
何せ、エルツェンの場所はちょうどタッシュコートの通り道だったのだ。
それなら別の場所に移り住めばいいと言う者もいたが、当時は簡単な話ではなかった。
周りに同じような平地はなく、元々湖を船で渡ってきた人々なので樹海船も無くて、樹海を越えることもできない。
その為、せいぜい平地の端っこに穴を掘り、無事にやり過ごせるよう祈るくらいしかできなかった。
その結果、これまで多くの人が犠牲になっていた。
そんなタッシュコートを見事打ち倒し、難民キャンプの地からエルツェン建国を宣言した日を祝うのが星熊祭である。
星熊祭は朝から盛大に行われる。
街の至る所で酒と料理が振る舞われ、楽団が音楽を奏で、それに合わせて踊りの輪ができる。
出店は数えきれないほど出て、食欲を刺激する良い匂いで街は1日中満たされる。
夜には花火とランタンが上り、祭りはフィナーレを迎える。
夜の美しい光景は一生に一度は見たい景色として旅行雑誌にも多く取り上げられている。
その星熊祭は2週間後に控えていた。
今、街には星熊祭目当てに世界中から多くの人が集まって来ている。
もちろん、そこには祭りとは別の暗い理由を持つ者も紛れていた。
エルツェン駅ホームで、この駅ができた時からホームを見守っている「祝福の笛を吹く少年」像は、そんな人間の思惑なぞ知らず、船を降りる人々を等しく出迎えていた。
「エルツェンー!エルツェンー!終点でーす!」
ダウリンはリュックを背負って列船の出口からホームに降り立った。
エルツェン駅のホームは船から降りる人と、乗客を出迎える人、そしてこれから船に乗る人でごった返していた。
ホームは10番ほどあり、ホームの頭上にある巨大な時刻表はバタバタと忙しくなく回転していて、次の出発船がどのホームから何時に出るのかを案内をしていた。
ダウリンはとりあえず街に出るために、駅のロビーに向かおうとホームを歩くが、その間にも別の場所から来た船が到着して多くの人が降りてきていた。
駅のロビーへはガラス張りの少し重い手押しドアがあり、ダウリンがそれを手と体で開けると、駅のロビーの喧騒が大きく聞こえた。
ロビーはドーム型になっていて天井が高いこともあり、人々の喧騒が響いている。
柱や壁は伝統的な意匠が施されつつも、現代風の売店や大きな広告看板もあり、新旧が融合した独特の雰囲気があった。
ドームの上の方はステンドグラスになっていて、熊を倒して喜んでいる人々の肖像が鮮やかに浮かび上がっている。
「これは凄いな。」
普段あまり見ない人の多さに、ロビーの入口で立ち止まって辺りを見回しながら、ダウリンは思わず声をあげた。
すると、急に背中に何かがぶつかり、前の方へとつんのめる。
「いっ、て!」
振り返ると、アクセサリーをいっぱいつけた派手な服を着た若い男が立っていた。
見た目、少し柄が悪そうな雰囲気を纏っていた。
「おい、おっさん。こんなとこで突っ立ってんじゃねぇよ。」
「あ。す、すいません。」
ダウリンが慌てて道を開けると、男はダウリンを一瞥して舌打ちを一つすると、ロビーの中へ進んでいく。
ダウリンは人混みで男が見えなくなるのを待ってからほっとため息をつく。
いけない、いけない。
ここは人が多いからぼーっとしていると危ないな。
早く街に出ないと。
そう思ってダウリンがリュックを背負い直した時だった。
「すいません。もしかして、これ落としましたか?」
ふと声をかけられ、そちらの方を振り向くと、今度はまるでどこかの貴族か、お金持ちのお嬢様のような豪華なドレスに身を包んだ女性が声をかけてきた。
差し出された白く細い手はダウリンの使い古した財布を握っていた。
「あ、あれ!?」
ダウリンは予想外の物に目を丸くして、慌てて財布を入れていたズボンのポケットを探る。
しかし、そこにあるはずの財布は入っていなかった。
先ほどぶつかった時に落としてしまったようだ。
何やってんだ、俺は。
長生きしすぎて、いよいよ耄碌してきたか。
ダウリンは自分の情けなさに内心頭を抱えながらも、財布を拾ってくれた女性に何回もお辞儀をしながら、財布を受け取った。
「あ、ありがとうございます!本当に助かりました!」
「この街は人が多いようですから、気をつけてくださいね。」
「はい!気をつけます。すいません!」
「いえ。それでは失礼します。」
そう言って女性は優雅にダウリンに一礼すると、踵を返してロビーの人混みの中へと消えていった。
ダウリンはそれを見届けると財布を念入りにしまった。
「はぁ。財布を落とすなんて、気が緩んでるぞ、俺。気を引き締め直せ。」
ダウリンは自分にだけ聞こえるように小声で呟くと、最後に両手で頬を一回叩く。
よし。
ダウリンは歩き始め、すぐにロビーの人混みへと消えていった。




