根源の悪夢
それから2週間後———
空の青と樹海の緑が合わさる境界線を白の点が列をなして滑っていく。
クナリ発エルツェン行きの列船は定刻通りに運行していた。
列船は先頭の雷船の後ろに1等客船、2等客船、3等客船と続き、最後に一般船が2艘連なる、6艘編成である。
その3等客船、2階席の一角にダウリンの姿があった。
3等客船は、1階と2階のそれぞれの階で、横に3席ずつ3ブロックに分けられた列が20列程ある作りになっている。
席はガラガラで、1列に3人程が座っている程度だ。
ダウリンは進行方向に向かって左側の窓側の席に座っていた。
ダウリンの座るブロックには他に乗客はいない。
どうやらダウリンは寝ているようだが、その表情は少し曇り、眉間には僅かに皺が寄っている。
息づかいも少し粗い。
———おぉ。堂林、お前は藤宮家の宝だ。
———お前はちっこいんだからもっと食え。そんなんじゃ熊どころか兎にも勝てねぇぞ。
———先の先を持って熊を討つ。それが熊切方の勤めだ。
———お前は凄い子じゃ!初陣であの働き!お主は鬼神の生まれ変わりじゃ!
———堂林様、謝らないでください。悲しくて泣いているんじゃないんです。逆です。嬉しいんです。
———はぁ!?誰が反対なぞするか!馬鹿者!早速祝言の準備じゃ!あと酒だ!酒持ってこい!
———父から話は聞いておる。これは国主ではなく、父の友である儂からの祝いの品じゃ。
———お主が藤宮家を守るよう、この国の民を最後まで守るのが儂の役目だ。
———あらあら。旦那様が花嫁姿に見惚れとるわ。
———堂林様、そんなじっと見ないで下さい。こっちまで恥ずかしくなってしまいます。
———ほんと。こんな幸せな日はないよ。この平和がずっと続いてくれればそれでいいの。
———熊です!それも大群で!こっちに向かっています!
———堂林、お前は嫁と残れ。殿とこの国のことは頼んだぞ。
———末っ子が何言ってんだ。俺達はお前の兄貴だぞ。弟を先に行かせる訳ないだろうが。
———お前は民の船を守り、生き延びろ!これが儂からの最後の命令だ!必ずやり遂げよ!
———熊どもよぉ!我れらは決して負けぬ!最後の一兵までお前達の喉を掻き切って見せようぞ!行くぞ!
———おおおぉぉぉ!
———あぁ。城が。俺らの城が。
———堂林様!奥様の船が!
———生きて・・・堂林・・・私の分まで・・・
———うぁぁぁぁぁ!
———可哀想に。何もかも失って。死ぬことすらも許されないとは。
———おい!しっかりしろ!無駄死には許さんぞ!生きろ!
———ようこそ。今や世界で一つだけの討伐部隊へ。
———笑っちまうだろ。もう熊に戦える人類はこれだけしかいないんだ。
———熊からは決して逃げきれない。なら、やる事は一つだろうが。違うか?
———お願いします!あなたのその力なら!あの熊を倒せるかもしれないんです!
———本当にこの戦いで人間はお終いだ。そんなの皆わかってる。これは人類最後の悪あがきなんだよ。
———我ら!最後までドーリン隊長と共に!
———隊長!この戦いが終わったら飲みましょう!絶対です!絶対やりますよ!潰れるまで飲ませますから!
———第二部隊壊滅!回り込まれるぞ!
———隊長!ここはいいから先に!
———行ってください!隊長!
———っ!危ない!
———隊長・・・なんて顔してるんですか。そんな腑抜けた顔なんて見たくないです・・・私はいいから・・・早くあいつを・・・
———隊長!泣いている暇なんてないんです!あんたは俺たちの最後の希望なんですよ!
———前を見てください!俺達があいつの元まで絶対に届けますから!
———隊長!行けぇ!行ってくれぇぇぇ!
———へぇ、今回も期待していなかったんだけどね、なかなか興味深い結果だよ。
———まさかここまでの高みまで登ってくるとはね。だけど、まだ足りないや。これだと僕はまだ生きてしまう。
———そうだ。いい事を思いついた。君という隠し味が入ったら、今度の世界はどう変わるんだろうね。俄然興味が湧いてきたよ。
———それじゃあまたね。今度は死なせてくれよ。
ポーンという音が聞こえた。
「本日はエルツェンシップラインをご利用いただき誠にありがとうございます。当船は順調に運行をしており、終点エルツェン駅への到着は定刻通り11時となっております。エルツェンの天気は晴れ。気温は20度です。」
目を開けると頬から涙が流れていた。
汗もかいていたのか、着ている服が少し気持ち悪い。
またあの夢か。
夢の余韻はすぐに闇の中へと吸い込まれてしまったが、身体の中の僅かな残滓がスタンピードの事だと教えてくれる。
もう何千、いや何万回も見た。
しかし、いつになっても夢の中の自分はあの頃と変わらず無知で無力で、現実に起きた事をなぞるだけだ。
一度でいいから、熊とあいつをぶっ倒して仲間を守りきれる。そんなハッピーエンドな結末を見せてくれたっていだろうに。
ダウリンは一つ大きく深呼吸をすると、船窓を眺める。
樹海の平原の奥、遠くの方に湖が見えてきた。
エルツェンか。懐かしいな。
前に訪れた時はまだ建国していなかった。
あそこは対岸の湖畔に元々あった小国の民達が、帝国からの侵略により国を追われ、湖を渡って集まった難民キャンプ地だった。
今は湖畔都市とも呼ばれ風光明媚な場所だが、元々は西に広がる樹海の熊の縄張りで、仕方なく湖と樹海の境目のわずかな隙間である今の場所に、安息の地を求めるしかなかったのだ。
ダウリンは遠くに煌めく湖面の輝きを見る。
ん?そう言えば建国前ってことはもしかして、思っている以上に年月経っているのか?
まだ、30年くらいしか経ってないと思ってたけど。
ダウリンは前の座席のポケットにある、旅行雑誌を引き抜く。
そこにはエルツェン建国70周年記念特集の文字があった。
え?
おいおいおいおい、マジで。
えー?もうそんな経ってるの。
やだ、怖い。
月日の流れ早すぎる。
ダウリンは座席に頭を持たれて船の天井を見上げる。
樹海はいつもと変わらず昔のままだから。
時々、人の時間の短さを忘れてしまう。
不意にそんな自分を自覚すると、心の奥の暗いもう1人の自分が囁きかける。
———お前はもう人じゃないんだよ。時の流れから弾き出された悲しい熊なのさ。
ダウリンはその内なる言葉を目を閉じで受け流しながら、ただ船の振動を感じていた。




