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SS_ニュージアナの1日

155航路沿いで唯一の給石所「ニュージアナ」。

その3代目店主ミア・テホは、店内にある売り場カウンターの椅子に座って大きくため息をつく。

朝の給石ラッシュが終わり、これからは落ち着く時間帯だ。

時間帯といっても朝の忙しさが過ぎれば、あとは閉店の夜まで客はまばらとなる。


祖父が店を起こし、父が今の形に作り上げたこの店は、娘の代になって随分と寂れてしまった。

昔はもう少し北の方にあった鉱山のお陰で、鉱石を運ぶ船がひっきりなしに155航路を通っていて、この店も随分儲かっていた。

その時はダイナーも経営していて、歌手や芸人を呼んだディナーショーも良くやっていたそうだ。

ニリア・キッチが駆け出しの頃に俺の店で歌ったというのが、亡き父の自慢だった。

そんなダイナーも随分前にやめてしまい、ダイナーがあった場所は今は倉庫になっている。

唯一ニリアが歌ったという入り口横にある窓際のステージだけは、年老いた母ジアナが座る定位置として今も使われている。


母は昔から船が好きで、若い頃はどこかの熊狩団の整備士だったらしい。

体を壊して店の手伝いができなくなってからは、いつも窓の外を見て、お店による船や航路を通り過ぎる船を眺めている。

今もカウンターからステージの方を見ると、母がぼーっと外を眺めているのが見える。


「母ちゃん、最後の船の補給終わったよ。」


そう言いながら、店に入ってきたのは息子のテリだ。

テリは汚れたつなぎの作業着の上半身を脱ぐと手袋を外し、売り場カウンターの横にある冷蔵庫から緑色の液体が入った瓶を取り出して、瓶の栓をカウンターの机の端で器用に抜くと一気に飲む。


「かぁー!うめぇ!仕事の後はやっぱシュラーだな。」

「こら!テリ!商品を飲むんじゃないって、何度言ったらわかるんだい!」

「いいじゃん。一本くらい。ケチババア。」

「何とでもいいな。あんたの給料から引いとくからね。」


ミアはそう言って、カウンターの売上台帳にシュラーと書き込む。

ニュージアナは外の駐船場で燃料を補給する給石スタンドと、軽食や食料品などを売る店舗と2つに別れている。スタンドは夫のテジが、店舗はミアが担当している。

テリはさっきまで父の手伝いでスタンドの方にいたのだ。


テリは飲みかけのシュラーの瓶を持ちながら、机と椅子を3セットほど並べている小さな休憩所の隅にある長椅子に寝転ぶ。

それを見ながら、ミホはまた大きなため息をつく。

テリが熊狩団に入るといきなり言い出し、父親と喧嘩をして家を飛び出してから2年。

手紙も雷通もよこさず、とにかく無事でいることだけ心配していたら、半年前に前触れもなくふらっと息子は戻ってきた。

満足に食べられていなかったようで、戻ってきた時は随分と痩せていて心配したが、半年も経つと体も戻り、ついでに戻らなくてもいい態度もかつての息子に戻っていた。

ただ、2年でそれなりに成長はしたのか、反抗していた父とも和解をして、今は仕事の手伝いをしてくれるようになった。

スタンドの仕事は肉体労働なので、息子が手伝ってくれるのは正直かなrありがたい。ただ時折、この先どうするんだい?という言葉がミホの喉元まで上がり、それをグッと堪える事がある。


家族を捨てでも叶えたいと思っていた夢を諦め、暗い顔で帰ってきたのだから、息子も2年の間に色々とあったのだろうと思う。

こちらから改めて聞くことはしないが、今みたいに暇な時間にぼうっと虚げな顔をしている息子はどこか悲しそうに見える。

もうしばらくは心を癒す事が必要なのかもしれない。


はぁ。やだやだ。

まったく嫌になるわ。

毎日毎日頑張って働いても店はずっと右肩下がりに傾いたままだし、息子は心に傷を負って帰ってくるし。

本当にここ最近は暗い事しかないわ。

大精霊様、たまにはいいことの一つくらい私にくれたって良くないですか?


ミアはそんな事を思いながら、売り場の椅子に座り直す。

ここからはまた退屈な時間の始まりだ。

いつもの暇つぶしに、机の上に置いてある読みかけのお気に入りの小説を手に取り、読み始めた時だ。


「あれ。まぁ。」


母のジアナが驚いたような高い声をあげる。

母がこんな声をあげることは滅多にない。

ミアは少し驚いて母の方を見る。

母は窓の外を見つめていて、その視線の先を追うと一隻の赤い船が駐船場に入ってくるのが見えた。


「おいおい。マジかよ・・・。」


母と売り場を挟んで反対側の休憩所にいるテリも長椅子から起き上がり、窓の外の赤い船を見ていた。


「あんた、あの船知ってるの?」


ミホがカウンターからテリに向かって声をかける。


「え?母ちゃんスタンドやってて知らないの?あの船。超有名じゃん。」

「私は知らないけど。」

「マジかよ。」


テリは頭を抱えてミホを引いた顔で見る。


「あれは「赤い靴」っていう熊狩団の船だよ。他の熊狩団が諦めるような難易度が高いミッションしかこなさない少数精鋭の団でさ。何度も全滅したと思われては復活してるから巷では不死鳥団とも呼ばれてて。実は団長が死神なんじゃないかとも言われてるんだ。」


解説してくれるテリの会話の速度がどんどん早くなっていく。

その様子から、息子がその「赤い靴」のファンであることがわかった。


「でも、随分不吉なこと言われているんだねぇ。」

「わかってないな、母ちゃん。そこがまたカッコイイんだよ。」


ミホの正直な感想に、テリは即座に反論する。


「熊狩団の中には「赤い靴」に入ることを目標にしている奴も沢山いるんだ。2年前に1名だけ団員募集があったんだけど、その選抜試験には100人以上参加してさ。それこそ名の知れた熊狩団のエースとか、ウルフレースのランキング上位の選手とかもいて。もうすんごい競争率だったんだよ。」

テリが珍しく興奮気味に喋る姿を見て、ミホはスタンドに来る船にいつも興奮していた小さい頃のテリを思い出した。


「へぇ。そんなにすごい団なんだね。だけどお前、随分詳しいじゃない。」

「あ。それは、その、ほら。新聞とか雑誌を読んでたからさ。」


急にテリの歯切れが悪くなる。

おや?と思ったのも束の間、息子の急な挙動不審な動きから母親の勘が働き、テリが家を飛び出した本当の理由を察した。


「なんで、赤色なのかねぇ。」


ミホが1人納得していると、船を見ていた、母のジアナが不思議そうな顔で呟いた。

昔あの船を見た事があるのだろうか?

それとも、やっぱりちょっとボケてきているのかなとミホは思いつつ、もう一度船の方を見ると船は止まり、船から3人の船員がタラップに降りて、こちらに向かってくるのが窓越しに見えた。


『ミホ。5番、ハイが満タンだ。』


夫のテジからシーバで連絡が入る。


『はいよ。』


ミホは答えを返すと、売り場の壁にある給石量のカウンターを確認する。

5番と書かれたパネルの横にあるカウンターは0になっていて、一番右端の高品質石のハイのメモリが下に回転し、1、2と数字を刻み始めた。

ミホはそこまで確認すると、机にあるメモにハイ満タンとペンで書き、カウンターの横に貼り付ける。

最近は船の燃料である魔砂の値段も上がっていて、少量だけ入れる客が多い。

輸送艦や商船の客からは、輸送費が高くついて商売あがったりだという愚痴もよく聞く。

そんなご時世の中、あれほど大きい船にも関わらず、グレードが一番高い高級魔砂を満タンというのだから、ずいぶん羽ぶりがいい話である。

うちの店にとっては最近来た客の中では一番の上客であることは間違いない。

テリの話は置いておいても、次も使ってもらえるように、失礼の無いように接客しなくては。

ミホはカウンターの端にある小さい鏡で自分の髪が乱れてないかチェックして、客が来るのを待つ。


カランカラン。


ドアにつけたドアベルが高い音を出して、客が店に入った事を知らせる。


「いらっしゃいませー。」


ミホは明るい声で挨拶をしながら、入ってきた客を見る。

客は女性1人と男性が2人だった。

テリの話を聞いたせいか、威圧感がありそうな屈強な大男達が来るかと思っていたが、ミホの予想に反して3人とも若くて細身だ。

そして、3人とも普段この店に来る客とは違う、どこか独特な雰囲気を纏っていた。


「すいません、こちらで料金を払うと聞いたんですが。」


一番先頭の黒い短髪の男性がミホに声をかける。

ミホは随分綺麗な顔立ちの男性だと思ったが、その声が女性の声であることに驚いた。

目の前の客は男性ではなく女性のようだ。作業服を着ているところを見ると整備士だろうか。

端麗な顔立ちやシュッとした立ち姿は、街の劇場で俳優をやればたちまち人気者になりそうだ。


「あの、すいません。」


もう一度、声をかけられてミホは我に返る。

見惚れていた自分が少し恥ずかしくなった。


「あ。は、はい。お支払ですよね。満タンなんで量がわかるまでちょっとお待ちください。それまで、そこの休憩所でお待ちになってください。」

「わかりました。」


そういうと、3人は休憩所の方に向かう。

そういえば、テリはどうしたんだろうと思って休憩所の方を見ると、テリは休憩所の隅の長椅子に座り、新聞を顔を隠すように広げていた。

何やってんだい、あの子は。


「あー!クロッケあるー!」


黒髪の女性とは別の、緑色の髪の女性がカウンターの隣にある軽食のメニューを見ながら声を上げる。


「ええ?ミンチフライに串餅、腸詰に揚げ芋もある。うわー!なんだここは!天国!?天国なの!?」


彼女はガニ股になり、頭を抱えて叫びながら、メニューを食い入るように見る。

最初はお淑やかでお嬢様のような印象を持っていたが、見た目に反してかなり愛嬌のある子のようだ。


「ランナ。君、さっき朝ごはん食べたばっかりでしょ。」


もう1人の男性が呆れたように声をかける。

赤い髪の男性は柔和な雰囲気もあり優しそうな印象を受けたが、彼は喋り方も想像通りだ。


「えー。でもこれは別腹っていうか、別世界だよね。こういうスタンドにある軽食ってさ、例えお腹いっぱいだったとしても、無性に食べたくなるんだよね。もうね、これは本能みたいなもんなの。ヤミロ君わかる?」

「わからないよ。僕は朝ごはん食べてもうお腹いっぱいだから。」

「はっ!可哀想な奴め。この軽食の素晴らしさがわからないとは。地獄の業火に焼かれろ。」

「そこまでいう!?」

ヤミロと呼ばれた赤い髪の男性が、ランナという緑髪の女性に突っ込む。

この2人は随分と仲が良さそうに見える。


「ランナ先輩、買うならみんなの分も買いません?ジョーリンさんに言って、夕飯に出してもらいましょう。」


2人の会話に、黒髪の女性が間に割って入った。


「レネちゃん、それいい考え!じゃあクロッケ10個にしよっか。名物だって書いてあるし。」

「そうしましょう。」

「すいませーん!!」


ランナと仲間から呼ばれている女性がミホに声をかける。


「はいはい。」

「この特製クロッケ10個くださいー。」

「クロッケ10個ですね。少々お待ちくださいね。」

ミホは裏の厨房に回ると、朝に油で揚げておいたクロッケ10個を金ハサミで木の薄い皮にのせ、クロッケを包みと紙紐で縛って、紙袋に入れる。

カウンターに戻ると、先ほどヤミロと呼ばれていた男性が待っていた。


「お代はどうします?魔砂と一緒にしますか?」

「はい。それでお願いします。あと、これは別会計でお願いします。」


そういうと、ヤミロは土産物コーナーに置いてあった人形をカウンターに置いた。

ミホは慣れた手つきで、人形の裏にある値札を見て、レジを打つ。


「えーっと、500ローナですね。」

「じゃあ、これで。」


そういうとヤミロはカウンターに500ローナ硬貨を一枚置いた。


「はい。ちょうど頂きます。」


ミホは硬貨を取る代わりに、人形とクロッケが入った紙袋をカウンターに置く。


「あの、それでちょっと、お伺いしたいんですが。」


ヤミロは右手に人形、左手に紙袋を持ちながら、ミホに質問する。


「はい?なんでしょう。」

「これってクマキラーの像ですよね。」

「はい。そうですね。」

「クマキラー像といえば、髭を蓄え太い緑色の剣を持っている筋骨隆々の男性の像が一般的だと思うんですが、ここのクマキラー像はそれとは違い、若い男性で持っているものは太い剣ではなく細長い刀なんですが、これはこの地方特有のものなんでしょうか。」


ヤミロの早口で唐突な質問にミホは面食らう。

そんな質問をされた事はこの店で働いていて初めてだ。


「え。えと、ちょっとそこまでは私も・・・」

「そうですか・・・」

ミホの答えにヤミロは少し残念そうだ。

それに少し申し訳ない気持ちになった。


「それはねぇ。うちの旦那が作ったものが元になってるんだよ。」

不意に母のジニアが、定位置の座席から声をかける。


「ほう!なるほど!そのお話、詳しくお聞きする事はできますか?」

「いいさ。ちょっと兄さんこっち来な。」

「ありがとうございます。」


ヤミロは嬉しそうにジニアの元に話を聞きに行った。

母が客に声をかける事自体、初めてだったのでミホは驚いた。

ここのカウンターから話しかけても全く反応しないから、ここからの声は聞こえていないものだと思っていたが、今の会話はジニアにはしっかり聞こえていたようだ。

聞こえないからと、カウンターで母の愚痴を言ったこともあるが、もしかしたらそれも聞こえていたのかもしれないと思うと、ミアは少し寒気を覚えた。


「あーあ。オタクの悪い癖でたな、あれ。」


声をする方に目を向けると、先ほどレネと呼ばれていた美男子な女性とクロッケを頼んだランナが休憩所の椅子に座っていた。


「ヤミロ先輩好きですからね。そういうの。遠征行くたびにクマキラーの人形を滞在先で買ってきて、いっぱいあるって聞きましたけど。」

「うん。マジで引くほどあるよ。」

「そうなんだ。ランナ先輩が引くって事は相当ですね。」

「前にさ、ナーシャと一緒にヤミロ君に寝起きドッキリしかけようぜって、ヤミロ君の部屋に突入した時があったんだけどさ。もう壁の棚一面にクマキラーの像が並んでて、おまけに他にも変な民族衣装やら謎の仮面とかも飾ってあってさ。マジで怖かったよね。」

「あぁ、あの時の。」


レネは思い当たりがあるようで、苦笑する。


「でも、RBに乗ってても結構揺れるじゃないですか。よく飾れますよね。すぐに倒れちゃいそうなもんだけど。」

「それがあいつさー、ニルクとRBに相談して像が倒れない特注の棚を作ってもらったみたいで。」

「あぁ、そういうことか。」

「もうさ、あんなおじさんの像を並べたがるって変態だよね。色んな意味で。」

「よくないですよ、ランナ先輩。人の好きはそれぞれだから。」

「でもさ、100歩譲って民族衣装とか謎の仮面はいいよ。クマキラー像はいらないじゃん。特に私達には。」

「それはまぁ、そうですけどね。でも、好きなものってすぐに変えられないですし、それが人形だったらやっぱり飾りたくなると思うんですよね。いつでも見ていたい、みたいな。」

「え。レネちゃんわかるの?変態の気持ち。」

「こら。だから、ヤミロ先輩は変態じゃないですって。私だって整備士ですからね。お気に入りのメーカーの工具は一通り揃えたいし、綺麗に磨いて飾りたくなりますよ。私も昔は家のガレージの壁にお気に入りの工具飾ってましたよ。」

「へぇー。そうなんだ。」

「ランナ先輩はないんですか?そういうの。」

「んー。何かを揃えるってのはないかなぁ。むしろ何でもいいから面白いものとかビビッと来たものを買う感じだねー。」


2人の他愛もない会話に聞き耳を立てながら、エリートの熊狩団に入っているようには見えないわね、とミホは思った。

格好はいかにも熊狩団ですという姿だが、その雰囲気は、まるでカフェで話している若い女性達と変わらない。

さっきの話はテリが大袈裟に言っているだけかしらね。

ミホはそう思いつ、テリの方に視線を向けると、テリは相変わらず休憩所の隅で新聞紙を広げていたが、顔面にくっつくくらい大きく広げ、目から上、顔の半分だけを新聞紙の上から出して2人の様子を伺っていた。


あれじゃ、怪しいってことをアピールしているようなものだろうに。


明らかに不自然な行動をする息子の姿に、ミホはやれやれと頭を振る。

テリの様子も気になるが、それよりも母の様子の方が気になる。

ミホはカウンターを出ると、母の席の方へ向かった。


「それで、今のお店を旦那と初めて、この像を置き始めたのよ。」

「なるほど。そうだったんですね。いやー、ご苦労なされたんですね。」


母の元へ行くと、ステージ上の座椅子に座っている母に、ステージ下で立つヤミロが少しかがむような形で目線の高さを揃えつつ、話をしていた。

久しぶりの話相手が見つかったのか、はたまた若い男性だからだろうか。

いつもより母は陽気そうだ。


「それなりにね。でも、若い頃はがむしゃらだったから、苦労だなんて思う暇もなかったねぇ。余裕はなかったけどさ。体も健康だし、子供も可愛かったし、随分楽しかったよ。」

「そうですか。」

「あんたも身体には気をつけなさいな。熊狩団は早死にするって昔から言われてるからね。」

「おぉ。そんな前から言われているんですか。」

「そうよ。私が若い時に船に乗ってた時は、肉と酒しか口に入れないって言ってた奴が沢山いたわ。そのせいで、ほんと船の中が臭くてしょうがなかったわ。」


そう言って母がカラカラと笑う。

母が店を始める前の話をするなんて珍しい。

ミホも初めて聞く話に、お母さんは本当に船に乗っていたんだと少し驚いた。


もっと聞きたい気持ちもあったが、これ以上お客様に話し相手になってもらうのは気が引ける。

ミホは楽しげな話の間を狙って、ヤミロに話しかけた。


「すいません、母の話し相手になって頂いて。母がお客さんに声をかけることって滅多にないんですけど。」


ヤミロは笑顔で手を横に振る。


「いえいえ。人生の先輩方のお話を聞けるのは大変貴重ですから。僕も楽しいですよ。」

「あら。あなたは随分と謙虚な方ね。」


母はヤミロの言葉に満更でもない顔をした。


「いやー。そんな。」

「ほんと。こんないい男なかなかいないけどねぇ。女の子がほっとかないでしょうに。」


母が変な方向に話を持って行こうとするのを察して、ミホは慌てて止める。


「もう!お母さん!それくらいにして。お客さんも困るでしょ。」

「ミホ。あんたは少し黙っておいで。それでどうなんだい?」

「いやー、それがなかなか。きっと、お婆様のように評価して頂ける人が今まで現れなかったと思うんですよね、きっと。僕もあと60年早くお婆様と会っていればよかったなと思いますよ。」

「あらぁ。ほほほ。お上手だこと。」


男性の返答に満足したのか、母はご機嫌だ。

こんな母の笑顔は久しく見たことがない。

ヤミロという客はわざとなのか天然なのかわからないが、年配との会話が得意なようだ。


ただ本当にこのまま年老いた母の話相手になってもらうのはどうにも気持ちが落ち着かない。

どうやって母の話を終わらせようか、とミホが悩んでいるとシーバから夫の声が聞こえた。


『おい、テリ。いつまで休んでるんだ。戻ってこい。』


ミホがテリの方を見ると、テリは相変わらず新聞紙から頭半分だけ出して、ランナとレネの様子を伺っている。


『おい、テリ。聞こえてんのか。』


夫が少し苛立ちの混じった声でよぶ。


『どうしたんだい?』


ミホは母とヤミロの側を一旦離れながら、シーバに応答する。


『テリは店にいるのか?』

『いるよ。シーバは切ってるかも。』

『そしたらテリに早く戻ってこいって言ってくれ。もう一隻船が入りそうだ。』

『わかったよ。』


ミホは休憩所の奥にいるテリに向かって声をかける。


「テリ!父ちゃんが呼んでるよ!早く戻りな!」


わざと少し大きめな声を出したら、テリは飛び上がって驚いていた。

なんで声をかけるんだとテリは怒ったような顔をしていたが、そんなことミホにとっては知ったことではない。

ミホが顎で外を差すと、テリは渋々という態度で新聞紙を長椅子に置いて、客の女性達の側を通って、店の外に向かう。


「あー!」


すると、不意に客の1人であるランナという客がテリを指差して声を上げる。

その声に驚いて、みんながランナの方を向く。


「テリ・テホじゃん!」


ランナはまるで久しぶりの友達にあったかのようにテリの名前を言って、立ち上がり、テリの側まで行く。


「え。ランナ先輩。知り合いですか?」


レネは椅子に座ったまま、少し戸惑いの表情でランナに質問する。


「ほら。前に話したじゃん。2年前くらいの選抜試験でさ、私が担当したメンバーで面白いやつがいたって。」

「あー、確かあれですよね。一次試験で一度も動かなかった人がいたっていう。」

「そう!それがこの子!不動のテリ!」


ランナはレネにテリを紹介すると、テリの方へ向く。


「久しぶりー!元気してた?」


ランナはテリの肩を何度か叩く。

テリは口を開けて驚いた顔をしながら、ランナの方に顔を向ける。


「お?どうした?元気じゃなかったの?」

「いや!あ、あの。げ、元気です。ランナさん、お、俺のこと、覚えててくれたんですか。」


戸惑いつつも、なんとか発したテリの声は、ミホが普段聞く息子の声とは全く違う、よそ行きのか細い声だった。


「当たり前じゃん!ウルフ未経験なのに1次試験受けてさー、最後まで動かせなったのに、なぜか生き残った強運の持ち主だよ?覚えてるに決まってるじゃん!」


どうやら息子は家を飛び出て、とんでもなく無謀な挑戦をしたようだ。

そういった後先考えずに突き進むところは誰かに似ているかもしれない。


「あ、あの。ありがとうございます。でも、あの時はほんとご迷惑を・・・」

「でもさぁ、なんで2次来なかったんだよー。」

「ほんとすみませ・・・え?2次って・・・なんですか?」


テリが不思議そうな顔をして、ランナを見る。


「何ですかって、2次は2次だよ。2次試験。」

「それって、どういうことですか?もしかして俺、受かってたんですか?」

「えぇ!?そうだよ!テリ、まさか合格発表見てなかったの!?」


ランナが両手で顔を押さえて、悲鳴のような声を上げる。


「ははは。まじすか。あ、いや。試験終わった後、無茶苦茶恥ずかしくなって。絶対落ちてると思って、その日のうちに街を出ちゃったんすよ。」

「なんだよぉーそれぇー!」


ランナは近くの椅子に勢いよく腰を下ろして、体重を背もたれに預けながら、両手をあげてお手上げのポーズを取る。


「未経験なのに応募してきて、試験受ける度胸があって、んでもって、試験が始まったら一回も動かずに他の人が自滅して、最後の1人に残っちゃうんだよ。そんな面白い奴、合格に決まってるじゃん!」

「ランナ先輩、随分推してましたもんね。面白い子がいたって言ってて。」

「まじで、みんなに言って回ってた。」

「そ、・・・そうですか。」


息子は俯いたまま答える。

どんな表情をしているのか見えないが、母親のミホにはどういう顔をしているか容易にわかった。


「まぁね。2次試験はキンダリーっていう厳しいおっさんが試験官だからさー。落とされてた可能性はあるけど。ウルフを使う試験じゃないから、もしかしたら結構いいところまでいくんじゃないかと思ってたんだよね。」

「・・・」


テリの肩が僅かに震えていた。


「でも、ここってテリの実家だったんだね。いいとこじゃん。」

「・・・は、はい。あ、あの俺、外の手伝いに行かなきゃいけないんで、これで。」


テリはランナに深々と頭を下げると、店を飛び出して行った。


勝手な思い込みと早とちりで、せっかくの幸運を逃すという性質も、もしかしたら私のせいかもしれない。

駐船場に走っていく息子の背中は泣いていた。




『ミホ。5番終わったぞ。』

『わかったよ。』

夫の連絡を受けて、ミホはカウンターに入ると、壁にある計器盤のうち、5番と書かれた横のメーターをチェックした。

メーターの量と今日の単価を計算して、そこにクロッケ10個の値段を乗せる。


「お客さん、お待たせしました。補給終わりましたんで。」

「はい。」


ミホの呼びかけに、あの後でまた雑談をしていたランナとレネが立ち上がって、カウンターに来る。


「えっと、ハイが982リートルに、クロッケ10個で、17万6760ローナになります。」

「じゃあこれで。」


レネが、1万ローナ札を18枚カウンターに出す。


「じゃあ、3240ローナのお返しですね。」


ミホはレジに金額を入力して、お釣りを出すと、レネに返す。

すると、レネの後ろにいたランナに声をかけられた。


「あの、すいません。もしかして、テリ君のお母さんですか?」

「はい。テリの母です。すいません、何か息子がお世話になったようで。」

「いえいえ。お世話ってほどでも。それで、テリ君にこれを渡して欲しいんですけど。」


そう言ってランナは右手に握っているものを、カウンターの上に置いた。

それは赤い長靴とRBという文字がデザインされた金属製のバッジだった。


「あの、これは?」


ミホはバッジを手に取りながら質問する。


「うちの団のバッジです。テリ君がこのさき熊狩団の入団を目指すかわからないですけど、もしどこかに入りたいと思ったら、これを持って行って、赤い靴団の1次試験に合格したって言えば、少しは入りやすくなると思うんで。」


どうやら、ランナはテリをだいぶ買ってくれているようだ。


「ありがとうございます。でも、こんな大事なもの、頂いてもいいんですか?」

「いいんですよ。あ、でも、もしもテリ君が熊狩団に入るって夢を諦めてたら、その時は気にしないで捨てちゃってください。」


そう言って、ランナは微笑んだ。

その微笑みにつられて、ミホはふと頭に浮かんだことを口にしていた。


「あの、そのすみません。少し聞きたいのですが、息子はそちらの試験を受ける時、どんな様子だったんでしょうか。それまで熊狩団とはほとんど縁もなかったものですから。」


話をしながら、テリに悪いなとミホは少し思った。

ランナのやりとりを聞いて、自分の知らないテリの様子を知りたくなってしまったのだ。


「それがもう、すごく緊張してましたよ。もう見るからに身体が固まってて。志望動機を言う時も何回も噛んでました。」

「あぁ。昔っから、そうなんですよ。」


テリが緊張している姿がミホには容易に想像ついた。


「でも、眼だけは違ったんですよ。」


ランナは昔のことを思い出すように少し遠くを見て微笑む。


「眼、ですか。」

「はい。誰よりも真剣な眼をしてました。ウルフの試験の時も、最初は操作できずに焦ってましたけど、もう駄目だと悟ってか、テリ君は操作することは諦めたんですよね。で、その後試験をリタイアするのかなと思ったんですけど、そうじゃなくて。今度はウルフに跨ったまま腕を組んで、じっと前だけ見てたんですよ。彼はウルフを操作できないからって諦めるんじゃなくて、他の受験生が共倒れするという一縷の希望に賭けたんですよ。それって中々できることじゃないです。さらには、そのわずかな希望を掴み取りましたからね。」


テリの様子を聞いて、ミホはなんだか胸に込み上げてくるものを感じ、それを抑えるのに必死だった。


「そうですか。」

「まぁ、その後は諦めちゃったみたいですけどね。彼は自分の良さがまだまだわかってないってことですね。この世界って、なんだかんだ、かっこ悪くても恥ずかしくても最終的には諦めの悪い奴が勝つと思うんですよね。そう思いません?」

「そうですね。それはそうだと思います。」

「ですよね!だから、テリ君があの1次試験の時みたいに諦めの悪い奴だったら、きっと他の熊狩団でもやっていけると思うんですよ。」


ランナの温かい言葉にミホは本当に感謝の気持ちで一杯だった。


「ありがとうございます。これは必ずテリに渡しておきます。」


ミホは両手でバッジを握り締め、ランナとレネに深々とお辞儀をした。


「お願いします。よーし。ほらー!ヤミロくーん!行っくぞー!」


ランナは今度は母と話しているヤミロに声をかける。

ヤミロはランナの声に軽く手を挙げて答える。


「あぁ。わかったよ。」

「あら、もう行っちゃうのかい?」

「ええ。残念ながら時間のようです。」

「寂しいねぇ。あ、そしたらちょっとだけ待って頂戴。」


そう言って、母が引き出しから紙とペンを取り出し、何やら書き始めた。


「お母さん!お客様を待たせてどうするの!」


ミホがカウンターから出て声をかけるが、母はうるさいねぇとぼやきながら書き続ける。


「すいません、ほんと。年をとって我儘に拍車がかかってしまって。」


ミホはヤミロ達に頭を下げる。


「いえいえ。いいんですよ。」


ヤミロは手を振りながら屈託のない笑顔で答える。


「はい、できたよ。」


そう言って、母は綺麗な字で何やら3行ほど書かれた紙をヤミロに手渡す。


「これをさ。あんたのとこの団長さんに渡しておくれ。」

「ちょっとお母さん、何言ってるの?」


ミホが母に問うが、母は聞こえないふりをしてヤミロを見る。

一方、紙を手渡されたヤミロは書かれている文章を読むと、一つ頷木、気をつけの姿勢をとり、右腕は胸の前辺りに水平に上げて、手を握り拳にする。

たしか熊狩団で使われる敬礼か何かのポーズだ。


「先輩からの伝文、確かに頂戴いたしました。これは迅速かつ確実に我らが団長に届けます。」

「そうしておくれ。」


そう言うと母は満足したように、湯呑みのお茶をすする。


「それでは失礼します。」


そう言ってヤミロは母にお辞儀をすると、ランナ達と共に店を出て行った。


客の3人が店を出ると、店舗はまたいつもように人気がない、がらんどうとした空間に戻った。

ミホにはヤミロの最後の行動が理解できなかったが、それでもお客様を待たせちゃだめだと母に注意した。

はいはいわかったよ、とだけ母はいうと、またいつものように窓を眺めた。

ミホはため息を一つつくと、またカウンターに戻る。


何か不思議な客だったなとぼんやりと思い、ミホもカウンターから少しだけ見える赤い船を眺める。

赤い船は駐船場から移動して、航路に戻ろうとしていた。

すると、赤い船から汽笛が鳴った。


ボ、ボ、ボー。ボ、ボ、ボ、ボー。


変な汽笛だなとミホは思った。

スタンドに長年いるが、こんな汽笛は聞いたことがない。

まるで誰かに向けた合図のようである。


ふと、母の方を見た。

赤い船をじっと見つめる母の横顔は笑顔だった。

しかし、その目からは大粒の涙が溢れていた。


子供の頃。

親に内緒で昔のアルバムを見ていた時に、他の写真の裏にまるで隠すように重ねて入っていた一枚の写真。

その写真には、若い女性が船の甲板から樹海の景色を眺めている姿が写っていた。

なぜかまずいものを見てしまったと子供心に思い、慌ててアルバムをしまった事をミホは不意に思い出した。

なぜなら、あの写真に映っていた女性の横顔と、今の母の横顔が重なったからだ。


あの写真は父親が撮ったのだろうか。

いや、父親が写真機を持ったのは私が生まれてからだと聞いたことがある。

そうだとしたら船からはとっくに降りているはずだ。

それなら、あの写真は誰が撮ったのだろうか。

なぜ隠すように大事にしまっていたのだろうか。


ミホは遠ざかる赤い船をもう一度見る。

母は昔のことは喋りたがらないが、いつだったか、お酒に酔った時に、どこかの熊狩団で整備士をしていて、父と出会ったと聞いたことがあった。

もしかしたら、あの船には母がいた熊狩団の人が乗っているのかもしれない。

そして、母が毎日船を眺めていたのは、もしかしたら今日の日のためだったのかもしれない。

静かに涙を流しながら船を見送っている母の姿をもう一度見ながら、ミホはなんとなくそんな事を思った。




夕方。

窓の外が暗くなる中、モップで店の床を掃除しているミホは、窓ガラスに映る恰幅の良い中年女性の姿を見て、私も随分と歳を重ねたわねと、またため息をついた。

床を拭き上げた時にはすっかり日は沈み、暗い闇の中、スタンドを照らす警告灯のオレンジ色の光と、照明が切れかけている「ニュージアナ」の看板の灯りだけが窓から見える。

ミホは最後に今日の売り上げを計算すると、お金をいつものバッグにしまい、レジに鍵をかける。

いくら平和になって治安が良くなったとはいえ、強盗に入られない保証はないし、店を出るところを狙って売上金額を奪う盗賊もいないとも限らない。

だから家に帰る時は必ず夫のテジと2人で帰るようにしている。

いつもはミホがレジを閉める頃には、夫が店の入り口に船をつけて急かすように待っているが、今日は夫の方が片付けに時間がかかっているようだ。

ミホは夫を待つ間、入り口近くの椅子に腰掛け、今日のことをなんとなく振り返っていた。


今日も客の入りはいつも通りで、あの赤い船が来たことを除けば、普段と変わらない1日だった。


母は赤い船が去った後「今日はもう疲れたから帰る」と珍しく言いだしたので、夫に店を頼んで30分ほど離れた家へと連れて帰った。

ついでに家事をいくつかこなしてから、店に戻る前にそっと母の部屋を覗くと、母はあの昔のアルバムを広げ、懐かしそうに微笑んでいた。


それから店に戻ると、ちょうどテリが休憩室で休んでいたので、ランナからの伝言を伝えてバッジを渡した。

テリはバッジを受け取ると、その場で泣き出してしまった。

子供の頃のようにボロボロと大粒の涙をこぼす息子を見て、つられて自分の視界もぼやけて、慌てて眼を擦る。

歳を取ると涙もろくなっていやになる。


いい歳して大泣きしている息子に声をかけるのも野暮なので、ミホは何も言わずそっと店を出た。

そして店の外を普段より念入りに時間をかけて掃除してから再び店に戻ると、テリは休憩所の奥の長椅子に座り、大事そうにバッジを握りしめながら外を眺めていた。


日が暮れる頃合いになって、いつものように早めに店を閉める準備をしていたら、テリから、母ちゃんと声をかけられた。


「俺、また家を出るよ。」


テリの表情は真剣だった。

ただ、なんとなくそんな事を言われる気がしていたから、それは私じゃなくて、父ちゃんに言ってきなと背中を押してあげた。


何かいい事ないかしらって思ったけど、どうやら今日は私ではなく、2人にいいことが訪れたようだ。

あの赤い船は、2人にとってはさながら幸運の船だったのかもしれない。


神様もたまにはいいことするじゃない。

ミホはそう思って、少し微笑んだ。


ふと、窓ガラスから船のヘッドライトの強い光が差し込む。

どうやらテジも帰る準備ができたようだ。


ミホは立ち上がって、カウンター横の照明のスイッチに手をかける。


ただ一つ納得いかないのは、ミホにはいいことが直接なかったということだ。

神様、今日はありがとう。

次はお願いだから、私にいいことを起こして下さいね。


そんなことを思いながら、ミホは店の照明を落とした。

こんにちは。今年もよろしくお願いします。

今年最初の投稿はSSです。

Ep20とEp21の間の出来事になります。

この後からいよいよ第二章の始まりです。

投稿スピードは相変わらず遅いですが、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

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