旧友からの相談
ダウリンは受話器を持つ左肘を机に置いた。
「よう。カル。調子はどうだい?」
『調子だって?最悪だよ。シュクナが帰ってきたせいで、サボってた書類仕事を山ほどさせられてるよ。』
「ははは。それはお前が悪いな。」
『まったく、あいつは真面目すぎるんだよ。少しぐらい遅れても問題ないだろうに。』
「何言ってんだ。シュクナさんがいなかったら、遅れるどころか仕事やらないだろう。」
『まぁ、それはそうなんだが。で、ダウよ。お前おせーよ。どんだけ時間かかってんだ。どうせシャワーでも浴びてたんだろ。』
「ご名答。」
『はぁ。こっちは忙しいっていうのに。まったく、海でバカンスとは優雅なもんだぜ。』
カルシータの声は心底羨ましそうだ。
「そう言うなら、お前も休みを取ればいいじゃないか。お前の立場なら、一言伝えれば休ませてくれるだろう?」
『あほ。俺の立場だから休めないんだよ。この時期は遠征やら演習やらで、ただでさえ忙しいってのに、新しい仕事も押し付けられてな。これでまた、しばらくは休めん。』
「最近は帝国の周りもきな臭い事が多いって聞くからな。お前の部隊は特に大変だろうなとは思ってたけど」
『そうなんだよ。白帝城の奴らが巡回や監視を強化しろって言い出してきて、上もそれをほいほい聞くから、余計に仕事が増えちまった。そのくせに予算は増やさんとか言いやがって、本当にやってられんってわけよ。』
カルシータのため息が聞こえる。
きっと受話器の向こう側で頭を抱えていることだろう。
カルシータの苦悩もわかるが、このまま話し続けるとカルシータの愚痴に延々と付き合うことになりそうなので、ダウリンは話題を強引に変えた。
「お疲れさん。お前が忙しいのはわかったよ。それで?お前の用件はなんだ?急ぎの用か?」
『あぁ。そうだったな。』
カルシータは本題を思い出してくれたようだ。
『ダウ。休暇中に悪いんだが、実はお前のところに急ぎで依頼があるんだ。』
カルシータの声色がそれまでの砕けたものから少し硬くなったような気がした。
「依頼?」
『その話をする前に確認したいんだが、お前の団は、この後、仕事の予定は入っているか?』
「いや。今は予定はないな。2週間くらい休んだら、インガールあたりまで行って討伐依頼でも斡旋してもらおうと思っていたところだ。」
『・・・そうか。わかった。』
カルシータが少し息を吐く。
緊張している?
ダウリンはカルシータの様子に少し首を傾げる。
『お前に依頼したいのは沈没した船の捜索依頼だ。』
カルシータの声が改まったものになる。
『昨日の朝方。ヤッフェンを出てビルトに向かった商船からの緊急信号を、うちの国境警備隊が受信した。緊急信号は2回打たれていたが、その後に信号は出ていない。』
「ん?カル、ちょっと待て。ヤッフェンからビルトって、そんな航路あったか?」
『公式にはない。南ジンギス山脈が間にあるからな。』
帝国の南西地域で一番大きい貿易都市ヤッフェン。
そこから、ほぼ真西に500キーロほど行ったところにレトロア公国の首都ビルトがある。
帝国とレトロア公国は友好条約を結んでいる同盟国で貿易も盛んだが、直通航路はない。
その理由は、ヤッフェンとビルトの間には標高6000メトル級を超える山々が連なる南ジンギス山脈があるからだ。
樹海の上を滑る樹海船でも、切り立った険しい山々は越えられない。
「公式には。ということは。」
『ああ。非公式のルートなら存在する。お前も名前くらい知ってるだろう?「ビアークイル計画」。あれの遺物だ。』
カルシータから出たその単語に、ダウリンは思わず苦い顔をする。
「なるほどね。」
『どうも当時は、あの計画から派生する形でいろんなものが動いていたらしい。その一つが新航路計画で、もっと新たな航路を開拓しようと立ち上げて、あちこちで調査やら工事をしていたようだ。まぁ、調査の結果は散々だったようで、航路のほとんどが安全基準から大きく外れ、こんな航路、怖くて使えんという話で計画自体が中止となったんだがな。その新航路計画で立案された航路の一つに、ヤッフェンからビルトへの航路がある。沈没した船はおそらくこの航路を使ったんだろう。』
「新航路計画か。そんな事もやっていたのか。」
『当時は景気も良かったから、結構無茶な事を言っても予算が通ったらしいな。あとな、これには面白い話があって、この計画と航路の情報は軍と政府関係者しか知らないことになっている。』
「へぇ。それは面白い。つまり内部に情報を横流しした奴がいたってことか。」
『そういう可能性はあるな。とはいえ、航路開拓となればそれなりに人手が必要だし、民間企業も入ってくる。どこからか話が漏れたとしても不思議じゃない。それに昔に放棄された航路だ。今さら、その航路を使って商売しようが何しようが、正直俺達には一切関係ない話ではある。』
「まぁ、確かに。」
『ただな。この話に続きがあってな。』
カルシータの声が小声になる。
『この緊急信号を受けてから、急に軍の急進派の動きが慌しくなった。』
カルシータの言葉の意味するところをダウリンはすぐに理解した。
軍の急進派というのは、一刻も早く武力で世界中の熊を駆逐し、人類の永続的な平和を勝ち取ろうと宣言している帝国軍の一派である。
但し、その宣言はあくまで建前。
本当のところは、倒した熊の縄張りを帝国領土にして帝国領を拡大しようと考えている連中の集まりである。
そして、カルシータはこの急進派と敵対している穏健派の幹部である。
『緊急信号はレトロア公国内から発信されたものだが、帝国から出発した民間の船だ。レトロアから情報提供を依頼されたら、同盟国の契約上もそうだし国際樹海法からも、普通は依頼を断る事はできないはずだ。』
「そうだな。断ったら違法になる。」
『ただ、どうやらあいつらは国際局に手を回して、レトロアへの情報提供を断ったらしい。その理由は密航船なので、救助の必要がないという理由だ。』
「うーん。理屈としては通るかもしれないが、苦しい言い訳だな。」
仮にその船が密航船だった場合、仲間内に緊急信号を打つことは合っても、軍などが受信できる公開帯域で緊急信号を打つ事はしない。
そもそも、航行記録が残るような街の港には絶対停泊しないはずだ。
『俺もそう思う。さらにおまけに、急進派の奴らは今ビルドに船を用意し始めている。』
「へぇ。緊急信号を受信したのが昨日の朝だろ?随分と動きが速いな。」
『あぁ。帝国内なら不思議じゃないが、同盟国と言えど他国だ。一報を受けてから動き出すのに普通は早くて1週間はかかる。』
「という事は、予め準備していたか。どのみち、急進派はその商船がヤッフェンからビルトに向かうことはわかっていたようだな。しかも、そこまで用意周到だと、沈没した船には急進派にとって大事な物が積まれていた可能性もありそうだな。」
『恐らくそうだろう。』
「ふむ。話の筋道が見えてきたぞ。それで、急進派の弱みを握っておきたいお前は、急進派の船より早く俺達にその積荷を回収してほしい。そう言う依頼だな?」
『まぁ、そういうことだ。話が早くて助かるよ。』
ダウリンの予想にカルシータは苦笑する。
その笑い声は昔のままであるが、彼は今や帝国軍第三師団副師団長兼、第三師団特殊部隊長である。
彼の下にはシュクナをはじめ、約8000人の部下がいる。
何のコネもない田舎出身の三等兵が何故こんな速さで出世できたのか?
それはきっと、こういった派閥争いや権力争いといった軍内部の陰湿で醜く、そして見えない戦場でカルシータが勝ち続けてきた結果なのだろう。
普段話していると忘れてしまうが、彼も帝国軍の立派な幹部なのだ。