死の風
「隊長。さっきから上の声、聞こえなくなりましたね。」
「あぁ。シーバが完全に死んだかもしれないな。ただ大丈夫だ。もう少しで上に上がれる。」
キンダリーを先頭に、イコリス達はさっき来た道を逆に辿り、着地したポイントまであと少しのところまで来ていた。
イコリスが担いでいる生存者は安心して寝たのか、さっきから静かだ。
潜樹服の浮遊機能のおかげで、担ぐ分には重さをほとんど感じないが、それでも勝手に動かれると歩きにくいので、じっとしているのはイコリスには有り難い。
あとは珍しいことに樹海魚がいないことも幸運だった。
樹海の底をこんなに軽快に歩けるのは初めてだ。
「隊長、ここは樹海魚がいなくてラッキーでしたね。いつもだったら、樹海魚の群れを振り払うのも大変っすからね。」
キンダリーが急に立ち止まった。
イコリスはキンダリーのすぐ後ろを歩いていたから、危うくぶつかりそうになったが、ギリギリ体を捻って回避する。
「ちょっと、隊長?どうしたんすか?」
イコリスがキンダリーに質問したのと、背後から咆哮のような声が聞こえたのは同時だった。
遠くから地鳴りのように響いてくる低い音に、イコリスは思わず後ろを振り返った。
「た、隊長?・・・今の・・・なんすかね?」
イコリスが、キンダリーの方を振り向くと、キンダリーは何かを探すように辺りをキョロキョロと見回していた。
すると今度は遠くゴォッという風の唸り声のような音が聞こえてくる。
しかもその音はこちらに近づいているのか、どんどん音が大きくなってきている気がした。
「イコリス。こっちに来い。」
さっきまで辺りを見回していたキンダリーがイコリスを呼んだ。
イコリスがキンダリーの側までいくと、倒木と岩の隙間にできた、ちょうど2人くらいが身を隠せるような穴を指で刺した。
「ここに座れ。」
「え?どういうことですか?」
「いいから。さっさとしろ。」
そう言って、キンダリーはイコリスが担いでいた生存者を奪うように担ぎ直すと膝を曲げて穴に座らせ、その隣にイコリスも強引に座らせた。
「お前とこいつの浮きを切って、ワイヤーでこいつとお前を繋げろ。」
イコリスはキンダリーの突然の命令に戸惑ったが、有無を言わさないキンダリーの圧を感じ、黙々と言われたことをやった。
まず生存者と自分の潜樹服の浮き機能を切る。
切った途端、急に重力がかかって体が重くなるの感じた。
腰のポーチからワイヤーを取り出すと自分の腰ベルトの金具にかけ、自分と生存者を巻き込むようにワイヤーをかけて生存者の腰ベルトの金具を通して、再度自分の金具にかける。
「隊長。終わりました。」
イコリスが隊長に声をかけると、さっきまでイコリスの後ろの岩に何やら作業していたキンダリーが、これもかけろとワイヤーの先端を渡してくる。
「これは?」
「いいから、かけろ。早く。」
イコリスは言われるままに、キンダリーから渡されたワイヤーも自分の腰ベルトにかけた。
「かけましたよ。」
「おう。」
そう言ってキンダリーはワイヤーの具合を確認すると、イコリス達の前に戻ってきた。
さっきよりも風の音が大きい。
「よし。これで大丈夫だな。いいか、イコリス。これがお前に教える最後の教訓だ。」
風の音が大きくなりキンダリーの声が聞き取り辛い。
最後ってなんだ?
「樹海に樹海魚がいなかったらすぐに上がれ。そして、困ったら団長を頼れ。」
「どういう事ですか?」
「樹海の端ならまだしもこんな深い場所で樹海魚がいないのは普通じゃない。つまり、普通じゃない化け物がいるってことだ。」
風の音が耳障りだ。
こんな風の中、隊長はいつもと変わらない感じで立っている。
その姿にイコリスはとてつもない不安を覚える。
「それじゃあ、さっき聞こえた音って。」
「イコリス。ダウリン団長ならお前のことをきっと助けてくれるだろう。だから、それまでここで耐え抜け。」
キンダリーの言葉に、イコリスは察した。
「隊長は!隊長はどうするんですか!?」
風が強い。
樹海の奥から葉っぱやら木屑やらいろんなものが飛んできた。
もう叫ばないと自分の声すら聞こえないほどになっている。
キンダリーは強風に抗いながら、イコリスの前に膝立ちになって肩を掴むと、イコリスのヘルメットに自分のヘルメットをぶつける。
「イコリス。この風は死の風と言うんだ。熊と共にやってくる。この風がきたら飛ばされないように近くの岩にワイヤーをくくりつけろ。わかったな。」
顔を近づけてもキンダリーの声は僅かにしか聞こえない。
獰猛な化け物のような風が吹き付け、イコリスはヘルメットが外れないように手で抑えるだけで精一杯だ。
「イコリス!みんなによろしく言ってくれ!」
「隊長!駄目です!」
「あと、リリに!彼女にすまないと伝えてくれ!」
「隊長!」
イコリスはもう叫ぶことしかできなかった。
隊長、まだあなたに教えてもらいことが沢山あるんです!
返さなきゃいけない恩が沢山あるんです!
キンダリーはイコリスの肩から手を離す。
その顔は笑っていた。
そして次の瞬間、キンダリーは死の風に巻き取られるように吹き飛ばされた。
一瞬の出来事だった。
もう目の前には誰もいない。
イコリスの照明は暗闇を照らすばかりだった。
そんな。おい。嘘だろ。
「隊長!隊長ぉぉぉぉ!」
イコリスの叫びは死の風の激しい風切り音に全てかき消された。




