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ハチミツ狩りのクマキラー  作者: 花庭ソウ
第1章 赤い靴団
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プロローグ 絶望の朝焼けに思い出すのは

「クマキラーの出自は謎に包まれている。太古の大精霊教典に記されていないこの神は、いつの間にか熊狩りの神として人々の信仰の対象となった。クマキラーの姿はどの国でもほぼ変わらず、黒い髪と熊を威嚇するような険しい緑色の目をした男が、象徴的な大きな緑色の剣をもって描かれている。果たしてクマキラーとは何者なのだろうか?その姿通りの人なのか?それとも精霊なのか?はたまた人が作り上げた偶像なのか?その問いに明確な答えを出すことは難しいだろう。ただ、クマキラーを信仰する人は今や数千万人と言われ、この世界の数多いる神の1人として崇められていることは紛れもない事実である。」

―精霊学者 ルービス・フィルスキー 「大精霊の歴史」より―



東の空が白み始め、間もなく訪れる朝日の到来を告げていた。

夜の闇に塗りつぶされていた世界が徐々にその輪郭を露わにする。

地上はまだ暗い闇にのまれているが、その闇の中で葉や枝の形がうっすらと浮かび上がる。

森だ。1本1本が巨大な木の針葉樹の森が一面に広がっている。

空との境、樹平線が見えるほどに広がっているこの森は樹海と呼ばれ、その大きさは海の大きさとほぼ変わらないという。

樹海を形成する針葉樹は一定の高さで成長が止まることから、空から見ると濃緑色の海のように見える。

その海の上を一つの白い光と2つの赤い光が、朝を迎える東から、夜が終わる西へとゆっくりと移動している。

一定の速度で進むその光達の正体は、操縦席から漏れ出る光と両翼につけられた翼端灯の赤い光だ。

一隻の樹海船が、樹海の上を滑るように飛んでいた。



樹海船の操縦席には大柄な男が2人座っていた。


「機体、チェック。魔力炉、チェック。燃料、チェック。船長、異常なしです。後はこのまま真っ直ぐ7時間ほど行けば目的地です。」


右側の操縦席に座る男が左側の席に座る船長に声をかける。


「よし。ようやく山場は超えたな。お前も副船長の仕事がだいぶ板についたな。」

「ありがとうございます。」


船長が副船長の肩を叩き、副船長がそれに笑って答える。


「しかし、とんでもねぇ航路だったぜ。ありゃ命がいくつあっても足りやしねぇ。」


船長は先ほどまで自分達が通って来た航路を思い出して、苦い顔をする。


「ははは。そうっすね。こんな美味しい依頼じゃなければ、危なすぎて使えないっすよ。」


副船長も船長の言葉に同意する。


「ビルトに1人運ぶだけで5000万だからな。危ない橋を渡るのは覚悟してたが、ここまで来れば着いたも同然だ。明日にはビルトの街で女を侍らせて、美味い酒が飲めるぞ。」

「いいっすね!派手にやりましょうよ。」


船長の言葉に、副船長が笑う。


「そしたら、便所のついでに積荷の様子を見てくる。」


船長は副船長にそう声をかけると操縦席から降りて、船の中央部にある特別船室に向かった。


狭い操縦席のドアを開けて狭い廊下を2回曲がって長い廊下に出ると、廊下の中央あたりで見張りの部下が椅子に座っていた。

船長は見張りの部下に声をかけると、特別船室の扉の横にあるスイッチを押す。

空気が抜ける音がしながら特別船室と書かれたプレートを付けた重そうなドアが横にスライドしていく。


「クマキラー様クマキラー様どうぞお助けください。クマキラー様クマキラー様どうぞお助けください。クマキラー様クマキラー様どうぞお助けください。クマキラー様クマキラー様どうぞお助けください。クマキラー様クマキラー様どうぞお助けください。」


扉を開けると中から呪文のような声が聞こえた。

船長は思わず部下の方に顔を向けると、部下は肩をすくめ首を横に振った。

船長はやれやれと首を振りながら、部屋の中に入った。


この船の特別船室は貴重な物品や高貴な人間を運ぶ目的で作られている。

他の船室よりも広く、壁も頑丈な作りになっていて、万が一墜落した場合でも生存確率が上がるように非常用の装備もいくつか設置されてある。

特別船室の中には備え付けの机と椅子、そしてベッドがある。

そのベットの上に今は軍服を着た男が、両手に人形を握り締めながら、うずくまる形でぶつぶつと呪文のような言葉を唱えていた。


「山に入るくらいから、ずっとあんな調子で祈ってるんすよ。」


見張りの部下が船室を覗き込みながら船長に囁く。

船長は大きくため息を一つつくと、ベッドの方へと近づく。


「お客人。お祈り中のところ悪いな。」


船長が声をかけると、軍服の男は祈りを止めて恐る恐る顔をあげる。

男の顔は憔悴しているようで、目にはクマが見える。

山に入ったのが昨日の昼過ぎだったと思うから、ほぼ一日寝ずに祈りを捧げていた事になる。


肝が小さい野郎だ。積荷じゃなければ一発ぶん殴ってやりたいところだ。


船長はそう思いながら、言葉を続ける。


「この船はさっきレトロア公国領に入った。このまま行けば今日の昼過ぎにはビルトに着くだろう。」


船長の言葉に男の顔が少し緩んだ。


「ほ、本当ですか?レトロアに入ったということは、や、や、山は超えたということですか?」


男の弱々しい言葉に、船長はさらに苛つきを覚えたが、こいつを届ければ5000万に化けるんだと自分に言い聞かせて、作り笑顔をする。


「そうだ。もう安心だ。この先の航路で危険なところはない。」


精一杯作った男の笑顔に、軍服の男は安堵のため息をつく。


「よかったぁ。本当に良かった。一時はどうなることかと思いました。あ!これもクマキラー様のご加護のおかげです。ありがとうございます。ありがとうございます。」


そういうとまた男は手に握りしめている人形にお祈りをし始める。

船長はやってられんとばかりに天を仰ぐ。


「お客人、お祈りもほどほどにして、寝てくれないか?うちの部下がまいっちまうんだ。またビルトに近くなったら呼ぶから。到着後の金の段取りはその時にはなし」


船体が上に大きく揺れて、船長の体が一瞬浮いたかと思うと、そのまま床に叩きつけられる。

けたたましい警告音が艦内に鳴り響く。


敵襲警報?


船長はそう思うとすぐに立ち上がり、ベッドの上で情けない悲鳴をあげている男を無視して部屋を出ると、廊下に転がっていた部下に客人を部屋に閉じ込めておけ!と大声で指示を出しながら、急いで今来た通路を戻って操縦席に向かう。


「どうした!?何があった!?」


操縦席に飛び込んで操舵席につきながら副船長の方を見ると、副船長はさっきまで笑いあっていた男とはまるで別人のように顔面が蒼白になっていた。


「く、熊が。・・・白い熊が樹海から現れて・・・」


警報音の音がうるさくてよく聞き取れない。


「熊がどうしたってんだ!?ここら辺の熊くらいなら警報出さなくても、逃げ切れるだろうが!」


船長の言葉に、副船長は船長の方を見て、首を横に振った。

その顔には絶望の色が広がっていて、目には涙を溜めている。


数々の修羅場を乗り越えてきたが、副船長のこんな顔は初めて見た。

なんだ?何が起こっているんだ?

船長は少し戸惑いつつも、艦内放送のスイッチを入れる。


『各員に告ぐ!戦闘配置!各員に告ぐ!戦闘配置!熊が出たぞ。両舷および本体の銃火器の使用を許可する。配置についたら各員状況を報告しろ。』


船長は喋りながら、操縦席の窓から当たりを見回す。

ここから見る限り何も見えない。ただ樹海が広がるばかりだ。

操作パネルと計器類もチェックするが、熊の気配もない。


『こちら左舷、異常なし。』

『右舷、こちらも異常なし。』

『後方、異常なし。』


部下から次々と報告が入るが、今のところ異常はないようだ。

そしたら、さっきの衝撃は何だったんだ?

この辺りに座礁しそうな丘や山はないはずだ。

デカい樹海魚に餌と間違われて、突き上げられたか?


「おい!もう一度聞くぞ!さっきは何があった!落ち着いて説明しろ!」


船長が警報音を止めて副船長を怒鳴ると、副船長は少し気を取り戻したのか、絞るような声で話し始めた。


「あ、あの。さっき船長が出ていった後に、でかくて白い熊が突然目の前に現れたんです。そしたらとんでもない衝撃がきて。」

「でかくて白い熊だと?そんな熊、この辺りにはいないはずだぞ!見間違いじゃないのか!?」


船長の問いに副船長は首を素早く横に振る。


「その白い熊はどれくらいでかい奴だったんだ!?」


船長はさらに副船長を問い詰める。


「そ・・それはその。この窓いっぱいに」


副船長が説明をしようと前の見て、声を止める。


「どうした!? おい!」


船長は言葉を止めた副船長を詰める。

さっき止めたはずの警報音が再び鳴り始める。

その音で、船長も副船長の見ている方向に顔を向ける。


白?

先ほどまで朝方の樹海が見えた操縦席の窓には、白い何かが窓一面に写っていた。


『船長!熊がぁ!白い熊が出た!』

『なんだよ!?あれ!!』


部下からも悲鳴のような報告が入ってくる。

船長が窓を覗き込むと、目の前の白いものは壁と見間違えるほどの、何やら大きい体のようなものであることがわかった。

さらに視線を上に向けると、雲に届きそうなはるか高い所に熊の顔らしきものがあった。


「は・・・、ははは。」


船長は乾いたような笑い声を出す。

あまりに現実離れした目の前の光景に実感が全く湧かなかった。

あんな馬鹿でかい熊なんて見たことがない。そもそも巨大すぎて本当に熊なのかすらわからない。


今度こそ駄目かもしれねぇなぁ。


船長は頭の片隅でぼんやりと思ったが、すぐに気を取り直し、艦内放送のスイッチを入れる。


『銃は打つな!今から急速反転をする!全員何かに捕まれ!反転したら煙幕弾を打て!」


部下の返事を待たずに船長は操縦席の操作盤にある緊急信号と書かれたボタンを2回押すと、その隣にある緊急と書かれたカバーを親指で外し、その中にある赤いボタンを押し込む。

そして、操縦桿を握ると手前に引く。

船の駆動音が高く激しくなリ、機体がふっと持ち上がる感覚がした。

その感覚を待ってから、船長は操縦桿を左に回す。

機体が左側へと傾き、それと共に操縦席の景色が白から徐々に空と樹海へ移り変わっていく。


命の危機に直面したのは、これが初めてではない。

闇の運び屋をやっていれば、それこそ両手じゃ余るくらいに生死の境に遭遇する。

その度に、次の瞬間には死体になって転がっているだろうなと思ってきた。

しかし、自分はここまで生き延びてきた。

なんなら自分にはそういった命の危機を回避する強運があるとすら思っている。

大丈夫だ。今度もきっと生き延びることができるさ。


船長はそう強く信じながら、汗がひどい手で操縦桿を握りしめる。

船が急旋回で反転すると、操縦席の目の前には、また樹海と赤く焼けた空が広がっていた。

船長は機体の出力を全開まで上げる。

そして煙幕弾を打つように指示しようと、船内放送のスイッチ押す。


何だ?暗くなったぞ?


次の瞬間、何かが機体にぶつかる音と激しい衝撃とが襲ってきて、船長は座席に叩きつけられた。




金属の軋む音と不快な警報音が耳に聞こえてくる。

一瞬気を失っていたようである。

船長がゆっくりと目を開けると、操縦卓がボコボコになっていて、操舵席の窓ガラスは無くなっていた。

そして、窓の先には何やら手のようなものが見える。

船長はそれが熊の手であることを直感で理解した。

どうやら、この船はあの白くて巨大な熊に捕まえられたようだ。


「くっ・・・そぉ・・・」


身体中のあちこちが痛い。

頭から血が出ているようで温かい液体が頬を伝って流れていくのがわかる。

身体を動かすのが酷く億劫だ。

口の中は鉄の味しかしないし、自分の呼吸音だけがやけに大きく聞こえる。

下半身は感覚がないが、操作卓が普段より近いところを見ると、どうなっているかなんて容易に想像がつく。

目線だけで隣を見ると副船長は顔を向こう側に向けて、座席にだらりと座っている。

さっきの衝撃で息絶えたかもしれない。


船長は座席の背もたれに全身を預け、操縦席の窓を見る。

手の隙間から見える空を見ると、ずいぶん高い位置にまで持ち上げられているようだ。

さらに隙間からは空だけでなく、熊の顔も見えた。


熊といいながらも、およそ他の動物と似ても似つかないその顔は少し笑っているように見えた。


熊のくせに、やけに神々しいじゃねぇか。

もっと熊らしく残忍な顔しやがれ。

殺される間際にそう思っている自分がおかしくなって、船長は少し笑った。


すると、右側の後方から金属を潰すような、激しく甲高い音がした。

その音に合わせるように機体が振動する。

どうやら、この白い熊は翼をもいでいるらしい。

けたたましい金属音が聞こえ、その後軽い衝撃が襲う。

きっと右の翼が引きちぎれたのだろう。

それと共に断末魔のような叫び声が聞こえる。

きっと右翼の機銃台にいた部下だろう。


くそ!あいつはまだ若いんだよ。


今度は左側から金属を引きちぎる音がし始める。

しばらくはその音と共に機関銃の発射音が聞こえていたが、大きな爆発音を最後にその音は聞こえなくなった。


くそ!くそ!くそ!あいつは次に故郷に帰ったら待ってる彼女と結婚するんだよ。


後方からさらに爆発音が聞こえ、船体が激しく揺れる。

どうやら熊は尾翼も握り潰したようだ。


船長は朦朧とする頭で熊の顔をじっと見ていた。

最初は神々しいと思っていた熊の顔は、次第に虫の手足をもぎ取る無垢な子供のように見えた。


あいつにとってこの船は虫ってわけか。


金属が潰れる音が操縦席の外から聞こえてくる。


そうだよな。手足をもいだら最後は当然頭だよな。

船長は自分の最期を悟り、目を閉じた。




――― 「あなたは死ぬ時、誰の事を思い出すかしらね。」 ―――




ふと、あいつの言葉が聞こえた。


あいつが無性に行きたがっていた街のカフェ。

小さい椅子と丸いテーブル。

高いわりに薄いコーヒー。

フルーツが乗ったクリームのケーキ。

子供のようにはしゃぐあいつ。

ケーキを頬張った幸せそうな顔。

食後にどちらから言い出したかわからない、他愛もない会話。


「ふっ。ふふ。ははっ・・・。」


自分でも意外だった答えに船長は穏やかな表情で笑った。

まさか、己の最期に思い出すのが、別れた恋人のことだったとは。


「・・・僕は・・・君のことを思い出したよ・・・・。」


まったく君には完敗だ。

最初から勝てるものなんて一つもなかったんだ。

何だよ。当然でしょって顔するなよ。

あの時、俺がもっと素直になっていれば、俺たちどうなっていただろう。

わからない。わからないか。

そうだよな。虫がいい話だ。すまん。

でもいいんだ。もう全てどうでもいい。

ただ、俺の無味乾燥とした人生に、君が少しでも彩りを添えてくれた事に感謝している。

ほんとうにありがとう。

ありがとう。ありがとう。ありがとう。


「・・・エルノーラ。」


激しい金属音と共に目の前が暗くなった。




樹海に塔のようにそびえ立つ、神々しいまでに巨大な白い熊。

熊は満足したのか、それまで手にしていた金属の塊を樹海へ放り投げる。

金属の塊はそのまま樹海の奥深くへ落ちていった。

熊は空に向かって一度咆哮をする。

そして、まるで熱した鉄板の上に置いた砂糖菓子のように、徐々に樹海に溶け込んでいく。


白い熊が完全に樹海に溶け込むと、先ほどの出来事がなかったかのように、樹海はまた静寂に包まれた。


東の空がさらに赤く燃え上がる。

西の空は闇の色から紺色へと変化していく。

日が昇る。


昨日を生き残った者たちの朝が始まる。


はじめまして。花庭ソウと言います。

これから自分のペースでゆっくり投稿していこうと思いますので、地道にお付き合いいただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

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