夢の中の不思議な喫茶店 壱
「それで? 昨日は犬神先輩に会えたの?」
翌日のお昼休み。
今日も今日とて寝坊をかました成海は、今日も今日とてお弁当を抱え、私のクラスへとやってきた。
「会えた……と言うか」
一瞬、言い淀む。昨日のこと、成海にはなんて説明しよう。もう「気になる先輩と会話できたよ」じゃ片付けられない関係だよね。だって、私を自宅まで送り届けてくれたついでだからって、うちの両親にまで会って行ったくらいだもの。まぁ実際は、アルバイトの説明をしてくれただけだけど。
「と言うか?」
成海は不思議そうに首を傾げた。
「鹿子先輩も一緒に、三人でパフェを食べに行ったよ」
「はぁ!?」
悩んだ結果、一部分だけ告げると、ガタン、と机と椅子を揺らして成海が立ち上がった。なんだか昨日も見た光景だ。それなりに大きな声だったものの、クラスメイト達は成海を元気な子、もしくは騒々しい子として既に認識しているのか────特に気にする様子もなく、それぞれの友人達と談笑しつつ、昼食を食べている。
「待って、どういうこと!?」
「で、鹿子先輩の家でアルバイトすることになった」
「待って待って、どういうこと!?」
混乱しているらしい。「理解が追いつかない!」と頭を抱える成海を眺めつつ、ここまで大きくリアクションしてくれると見てて面白いよな、なんて考える。ちょっとだけ、鹿子先輩の気持ちが分かってしまったかもしれない。
「え? 鹿子先輩と犬神先輩と環の三人でパフェを食べて?」
「うん」
「鹿子先輩のおうちでバイトすることになった、と?」
「……うん」
「いや改めて言われても意味分かんないから! なんでそうなったの!?」
それは私だって知りたいくらいだ。そのくらい、昨日は本当に怒涛の一日だった。
登校途中に変なモノに目をつけられて、困っているところを救われて。初めて私以外の〝見える〟人に会えたと思っていたら、なんと実家が祓い屋を営んでいる先輩まで現れて。その人の元でアルバイトとは名ばかりの、アレらをおびき寄せる囮役をすることになった────と、今こうやって言葉にしてみても、急展開すぎて頭が痛くなりそうだ。
まぁ……成海には私が〝見える〟ことすら言えずにいるせいで、その殆どを説明できないんだけど。
成海は怖い話全般が苦手だから、なかなか相談しづらいんだよね。なんて、都合のいい言い訳をしてるけど、本音を言えば「気持ちが悪い」とか「嘘つき」だって拒絶されることに怯えているだけだ。
友達を失うのが嫌で、私はいつまでも成海に嘘をつき続けている。
「って言うかあたしも呼べし! 何その天国みたいな光景! 美形二人に囲まれてパフェとかめちゃくちゃ羨ましいんですけど!」
ようやく椅子に座った成海は、それでも興奮が冷めない様子で、バタバタと足をばたつかせる。別に囲まれてはいないんだけどな。
「でもマジ、どういう経緯でそうなったの? なんでパフェ? 鹿子先輩か犬神先輩、どっちかが甘党ってこと? てか、アルバイトって何するの?」
矢継ぎ早な質問にどう答えようかと迷っていると、
「なぁに、僕達の話?」
「うわぁ!?」
突然聞こえた声に、成海が叫び声をあげた。ついでに言えば私もびくりと肩を揺らしてしまった。振り返る。
「やぁ、久留生さん」
背後に鹿子先輩が立っていた。最高に不機嫌そうな犬神先輩も一緒だ。
突然の人気者の登場に、成海だけではなくクラス中が、ついでに言えば廊下を歩いていた他クラスの子達さえも色めき立っている。と同時に、「なんであの子?」という、やっかみに似た視線も感じた。うわ……これが原因で絡まれたりしたら、一体どうしてくれるんだ……。
「えっと、何かご用でしょうか……?」
せめて放課後にしませんか、と目で訴えかけてみるけど、鹿子先輩はニッコリ笑うだけだ。この状況に気付いていて、と言うかこうなるのを見越した上で、敢えて話しかけてきたんだろう。だって、笑顔がそう物語っている。
なんでわざわざお昼休みを利用してまで、一年生の教室なんかに。そもそも私、クラスまで教えてないし!
「あ、久留生さんのお友達?」
私の質問には答えず、鹿子先輩は成海へと目を向けた。
「ひぇっ、顔面が良い……!」
とろけそうな声で成海はそう言ったあと、「そ、そうです、晴野 成海です!」と挙動不審に挨拶をする。
「そっか、じゃあ晴野さん。ちょっと久留生さんを借りてもいいかな?」
王子様スマイルのまま、鹿子先輩が告げる。
「ちょっとアルバイトのことで相談したくてさ」
「ふぁぁ名前を呼ばれ……!? え、アルバイト?」
嬉しそうな顔から一転、あれ本当だったんだ、とでも言いたそうな表情を向ける成海に、私は苦笑いするしかない。
「そうなんだよぉ。あのね、僕の家ってちょっと珍しいペットを飼ってるんだけどね。まぁその子が結構なじゃじゃ馬でさ、なかなか人に懐かないし暴れるしで困ってたの。そしたらその子、何故か久留生さんには尻尾を振って付いていくんだもん。だからお世話するのを手伝って貰えると助かるよなぁって思って、僕からお願いしたんだぁ」
鹿子先輩はまるで息をするように嘘を吐く。なんだペットって。そんな言い訳、初耳なんですけど!
「まぁそういうことだから、行こうか久留生さん」
有無を言わさない鹿子先輩の声に、私は「はい」と頷いて立ち上がった。あぁ、視線が痛い。
△△△
先輩達に連れて来られたのは、屋上へと続く階段の踊り場だった。屋上はずっと閉鎖されているから、ここなら人気もないと思ったんだろう。実際、教室棟からも離れているせいか、人通りはまったく無かった。
「さっきの話、嘘なのにも程がありませんか」
ペットってどういうことですか、と言うと「えー?」と鹿子先輩は首を傾げる。
「一応オブラートには包んでるけどさ、全部本当のことでしょ? ほら、アイツらは人の理が通らないじゃじゃ馬なのに久留生さんには喜んで憑いていくし、実際に僕の手助けになるアルバイトだし?」
「……」
そう言われたらそうかもしれない、と思ってしまった。相変わらずの口の上手さに、もはや恐怖すら覚える。
「いやぁ、こうも人気だとさすがに困っちゃうよねぇ」
鹿子先輩はそう言って頭を掻くけど、どうしてなのか、さほど困ったようには見えなかった。その一方で犬神先輩は「だから俺は嫌だっつったろーが」と、心底面倒臭そうな顔で吐き捨てていた。
「こーちゃんってああいう空気、苦手だよねぇ。見目の良さも人望も、全部武器になるのに」
そんなことをサラッと言えるあたり、鹿子先輩は自身に対する周囲の評価を良く知っているらしい。教室を出る時、クラスの子達に小さく手を振っていたのはそのためだったのか、と納得した。顔立ちも整っているし、いつもいろんな人に微笑みかけているなら、王子様みたいだって言われて人気が出るのも頷ける。本性はあれだけど。
「失礼なことを考えてない?」
「そんなことないですよ」
鹿子先輩の言葉を否定をしつつ、私は「それより要件を教えてください」と話を逸らす。お昼休みに伝えに来るくらいだし、重大な話、だよね?
「今週末。依頼が入ったよ」
鹿子先輩が笑った。……うん? え? それだけ?
「えっと……それを伝えにわざわざ?」
それならあんなに目立つ方法じゃなくても良かったんじゃ。いや、私にとっては初仕事になるわけだし、大事なことなのは分かるけど。
「そうだよ! って言うのはまぁ、半分冗談で」
鹿子先輩は今度こそ、本当に困ったように眉を下げた。
「見て貰ったから分かると思うんだけど、僕らって何故か人気なんだよねぇ。それでほら、久留生さんがアルバイトするにあたって、僕らが一緒に居るところを見られた時、ちょっとめんど……世話好きな人が出てくるんじゃないかって思ったんだ」
今、面倒って言いかけたな。確かにあれだけ人気があれば、中にはそういう人も居るかもしれないけど。
「だからまぁ、あれは予防線かな。鹿子家でアルバイトしてるって言っておけば、多分、大胆に行動する人は居なくなると思うよ。なんか僕んち、怖い家だって噂があるみたいだから」
「……あぁ、なるほど」
そこまで言われると、妙に納得してしまった。そう言えば成海は「犬神先輩はバックに怖い人達がついているって噂がある」みたいなことを教えてくれたっけ。あれって鹿子家のことだったのか。
大方、タイプがまったく違う二人が何故かいつも一緒に居ることで生まれた噂なんだろうけど、なんて言うか鹿子先輩って「実は極道の若頭なんだって」とか「強面のお兄さん達から『若』って呼ばれてたらしいよ」とかって言われても、あぁそれっぽいもんねと思っちゃう程度には、噂に違和感が無いんだよなぁ。犬神先輩は舎弟や補佐あたりをやってそう。うーん、かなりそれっぽい。
「じゃあ、土曜日の午前九時に駅前集合で」
詳しい話は当日にね、と鹿子先輩が笑う。それに頷いたあとで、犬神先輩がこちらを見ていることに気がついた。
「どうしました?」
「別に。ただ……」
私の問いについっと目を逸らした犬神先輩は、一旦言葉を切る。そして。
「もし変な奴に絡まれたら俺に言え」
そうぶっきらぼうに付け加えた。もしかして、心配してくれてるのかな。こんな風に気を配ってくれるあたり、犬神先輩の方がよっぽど王子様みたいだと思う。
「二度と適当なこと言えねぇようにすっからよ」
……前言撤回。やっぱり、犬神先輩も怖いかもしれない。