〝見える〟人 伍
巨大なパフェを食べ終わり、カフェを出た頃には既に日が傾いていた。
「あはは、僕、しばらくは甘いものいらないかも」
おなかを擦りながら、鹿子先輩が苦笑する。それは私も同じだ。甘いものは嫌いではないけど、さすがにあの量は、ちょっと。いやまぁ美味しかったけど……カロリーも怖いし……。
犬神先輩だけが「そうか?」と涼しげな顔をしている。鹿子先輩が言っていた甘いもの好きも、伊達じゃないみたいだ。それで普通体型、寧ろかなり筋肉質なんだから羨ましい。
そんな話をしながら駅のロータリーを歩いていると、夕焼け小焼けのチャイムが鳴り響いた。────五時だ。
「あぁ、もうそんな時間か」
スマホをチラリと見て、鹿子先輩が言った。
「今日のところはもう解散しようか。あんまり遅いと、家族も心配するでしょ?」
「それは……そうですけど」
高校生活初日から変なモノに絡まれた挙句、尚且つ帰りまで遅くなったともなれば、心配性の両親は卒倒するかもしれない。この体質になって以来、心配と迷惑を掛け続けているわけだし。
「バイトのことはすぐに決めなくてもいいからさ。ただ、前向きに考えといてくれると嬉しいな」
そう言い残して、鹿子先輩達はプラットホームへと消えて行った。二人を見送ったあと、私は自宅のある住宅街へと向かって歩き出す。
今日だけで色々あったなぁと思う。
先輩達は初めて出会った、私以外の〝見える〟人だし、鹿子先輩に至っては祓い屋家業の跡取りらしいし。一度、お父さんが似たような肩書きの人を連れてきたことがあったけど……、あの人は明らかに偽物だったからなぁ。本当に祓えるのなら、自分の背後に居るモノ達にも対処できてたはずだもの……。今考えると、あの人の背後のモノも相当やばい奴だったんだろう。あの人に対する憎悪と悪意が伝わってきて、あまりの恐怖に号泣したのをよく覚えてる。
その出来事以来、そっち方面に頼ることもやめてしまったし、これはもう解決できないんだと悟って変に騒ぎ立てることもしなくなった。だから多分、私の〝見える〟力に関して、家族はいまだに半信半疑なんじゃないかな、と思う。実際に私以外には見えていなかったんだから、そういう反応になるのも仕方ない。それに私は病気とオカルト、両方の面からアプローチをかけてくれただけでも優しい両親だと思ってるし、同時に感謝もしてるんだ。
それしても……鹿子先輩みたいな本物もちゃんと存在するって分かっただけで、今日は大きな収穫だったな。鹿子先輩はあぁいうのも祓えるんだろうか。
それにしても、なんで私の魂? オーラ? は、そんなに目立つんだろう。それまでは見えなかっただけで、生まれた時からそうだったのかな……それとも────。
〈……みィつけたア〉
すぐ後ろで、あの声がした。
直感的に今朝の奴だと悟った。逃げなくちゃ。でも、体が、ぴくりとも動かない。心臓がまるで警鐘のように激しく鳴っている、危険を告げている。
唯一動く瞳であたりを見渡す。おかしい。いつもならこの時間帯は、帰宅する人達でそれなりに賑わっているはずなのに……今日は人っ子一人見当たらない。どうしよう、これじゃ助けを求められない。
〈本当ハ見えてたノ、知ッてタよぉ?〉
その間にも、今朝の黒い影がゆっくりと近付いてきているのが分かった。
ここに居ちゃだめなのに、今すぐ逃げなきゃいけないのに、ちゃんと理解しているのに……意思に反して、体は全く動いてくれない。
〈残念、もウ逃げラレないネェ?〉
黒い影はケタケタと笑って、私に向かって伸ばしてきた。心底楽しそうな声だった。あぁ、だめだ、息ができない。
「ありゃあ、こりゃ確かに大物だぁ」
朦朧とする意識の中、この場に似つかわしくない、朗らかな声が聞こえた。と、同時に体がフッと軽くなる。ふらついた私を支えてくれたのは────鹿子先輩だった。
「久留生さん、大丈夫?」
「……して、こ……に?」
どうしてここに居るんですか、と聞きたかったのに、喉の奥から絞り出したような声しか出なかった。それでも鹿子先輩は察してくれたらしい。
「可愛い後輩のピンチだったからね」
そう言ってぱちんとウィンクする。なかなか様になっているけど、それは答えになっていないような。続けて問おうと口を開きかけた時、耳を劈くような慟哭が周囲に響き渡った。振り返る。
〈どウして邪魔すルのォォォォォ!?〉
叫びと共に、黒い影がブワッと膨れ上がった。凄まじい怒りの感情が流れ込んでくる。……気持ち悪い。吐きそうだ。
「感情移入しちゃだめ」
鹿子先輩の優しい声が耳を擽る。
「アレは君の感情じゃないでしょ? ほら、ゆっくり息を吐いて」
鹿子先輩に背中をさすられ、ふーっと大きく息を吐き出せば、確かに楽になった。そんな私達を守るかのように、犬神先輩が立ち塞ぐ。
「邪魔なのはテメェの方なんだわ」
そうやって鼻で笑う先輩の手には、金属バットが握られていた。
「来るよ、こーちゃん」
「分かってるっつーの」
ニヤリと笑った犬神先輩が駆け出す。そしてアスファルトを踏み込み、高く飛び上がった。え……三メートル近く飛んでない……?
驚く私を尻目に、犬神先輩は黒い影を目掛けて金属バットを振り下ろす。それは見事に命中し、黒い影は「痛いよぉ!」と悲痛に叫んだ。暴れ回る黒い影からの攻撃を華麗に避けて、犬神先輩はまたバットを振り下ろした。「なんで金属バット?」とか「ソレ、物理攻撃が効くんだ?」とか「犬神先輩の動き、人間離れしてませんか?」とか、色々ツッコミを入れたい出来事が目の前で繰り広げられている。思考がショートしそうだ。
「さて、こーちゃんが引き付けてくれてる間に、僕も準備しないとね」
鹿子先輩はそう言ったあとで、「これ持ってて」と私に何かを握らせた。受け取ってから確認してみると、一枚の紙切れだった。多分、お札なんだろう。鹿子先輩の腕に彫ってあった刺青に似ている文字がたくさん並んでいる。
「……よし、OK」
鹿子先輩の言葉に釣られて顔を上げる。見れば近くの電信柱に似たようなお札が貼られていた。
「こーちゃん、もういいよ!」
鹿子先輩の声掛けで犬神先輩は黒い影から離れる。そしてそのまま、懐から同じお札を取り出した。その直後、件のお札から半透明の太い鎖が現れて、黒い影を縛り上げてしまったのだ。な、何が起こってるの?
「へぇ、久留生さん、鎖も〝見える〟んだぁ。本当に面白いね、その瞳」
私の反応を見た鹿子先輩の手にもお札があった。電信柱、私、鹿子先輩、犬神先輩で四枚分────四方向のお札から出現した鎖は、逃れようと藻掻く黒い影をがっちり掴んで離さない。
「〝見える〟なら話が早いや。これは鹿子家に伝わる魔封じの術でね、こうやって四方向に札を置くことで陣を作り上げて、アイツらの動きを止めることができるんだ。普段は大物相手にしか使わないけどね」
悠長に現状説明をしながら、鹿子先輩は黒い影に近付いていく。
〈ワタシの邪魔ヲするな!〉
黒い影の叫び声などものともせず、影に触れられる位置まで歩いた鹿子先輩は「なるほどね」と顎に手を当てた。
「この子を食らうことで力の増加を狙ったってところかな?」
食らう……? え、食べるの!? 人間を!?
「それだけの力を持ってしても、まだ足りなかったんだね」
初耳だと戸惑う私を置いて、話は進んでいく。
「或いはなんで力を欲したのかももう忘れちゃったとか? どちらにせよ、生者への手出しは赦されないよ。だから」
鹿子先輩の手が黒い影に触れる。
「さようなら」
キィン、と金属を叩いたかのような音がした。
どうして私じゃだめだったの?
結婚してくれるって言ったじゃない。愛してるのはきみだけだよって、ずっと一緒にいようねって、約束したじゃない! なのに、どうして? どうして、あなたは私を裏切ったの?
憎い。私を裏切ったあの人も、私からあの人を奪ったあの女も、味方になってくれなかった友達も、私を恥晒しだと罵った両親も、陰口でしか盛り上がれない近所の奴らも、あの人と一緒になれなかったこの世界も、何も知らないで幸せそうな顔をして街中を歩いてる全ての人間も。何もかも、全部が憎い。憎い憎い憎い憎い!
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!
黒い影が弾けて消える。その瞬間、私の脳裏に流れ込んで来たのは、多分、この人の生前の記憶だったんだろうか。
「あぁいうのはね、自分でも何を恨んでいたのか、分からなくなっちゃってるんだ」
そう言って、鹿子先輩は私の胸元を指さした。見れば、さっき持たされたお札が黒く変色している。
「あまりに強い思いは呪いになって、いろんなものに影響を与えるようになる。最初は個人的だったあの人の恨みはいつしか呪いに変わって、他の浮遊霊や妖怪を喰らって、どんどん大きく育っていった。そして次に生者に目を付けて……あぁ、久留生さんだったのはたまたまだと思うよ。ほら、きみ、目立つからさ」
「下手をすれば、私も食べられてたかもしれないってことですか」
「運が悪ければ、ね。アイツらの中にはそうやって人を喰らうヤツが居る。内側に入り込んで、じわじわとその魂を吸い尽くすんだ。でも、それは何も久留生さんに限った話じゃない。被害に遭うのはそこを歩いてた通行人だったかもしれないし、きみのお友達や家族だった可能性もある。あそこまで呪いが育っちゃうと、本当に見境がなくなってるからね」
「……」
そう言われて思わず押し黙ると、鹿子先輩は「ふふっ」と微笑んだ。
「ここで立ち話もなんだしさ、送ってくよ。ね、こーちゃん」
「……おぅ」
犬神先輩は頷いて、金属バットを持ち直す。いつの間にか、周囲には活気が戻っていた。帰宅途中のサラリーマンであろうおじさんが、変なものを見る目でこちらを一瞥して通り過ぎて行く。
「こーちゃん、もうそのバットしまって。じゃないと、これからカチコミに行く人だと思われて通報されちゃう」
「あ? カチコミすんのにこんなもん使わねぇだろ?」
「もー! こーちゃんはそうかもしれないけど、一般的にはそうじゃないの! ヤンキーの喧嘩と言えばバット、みたいなところあるじゃん! ね、久留生さん」
「いや、それもだいぶ偏った知識だと思います……」
さっきまでの空気とは一変し、漫才みたいなやり取りが始まる。あまりの変わりように、あの出来事は全部白昼夢だったんじゃないか、とさえ思えてしまうけど。
「……現実なんだよね」
ボソリと呟いた声は先輩達には届かなかったらしい。茜色に染まる通学路で、二人の掛け合いが続いていた。