〝見える〟人 参
校門前での出来事からおよそ三十分後。私は知り合ったばかりの先輩二人と駅前のカフェにやって来ていた。
「ほら、これが期間限定のスーパージャンボイチゴパフェ! これ、三人で一緒に食べよ!」
メニューを指差す鹿子先輩の瞳はキラキラと輝いている。対する犬神先輩は心底どうでも良いという顔で窓の外を眺めていた。
「久留生さんは何飲む?」
鹿子先輩がメニューを傾けて見せてくれる。初めて入るお店だけど、結構ドリンクの種類があるんだな……。
「えっと、ホットコーヒーで」
「おっけー、じゃあ僕もコーヒーにしよう。こーちゃんはオレンジジュースでいい?」
メニューを閉じたあとで鹿子先輩が犬神先輩を見やる。
「勝手に決めんな」
犬神先輩は相変わらず不機嫌そうだ。
「えー、でもここ来るといっつもオレンジジュースじゃん」
「うるせぇな、今日は違う物が飲みてぇ気分なんだよ」
「もしかして後輩の女の子の前だからって、かっこつけようとしてる?」
ぴくり、と犬神先輩の肩が揺れた。それから少しだけ間を置いて「んなわけなぇだろ」との返事。途端、鹿子先輩の瞳がまるで新しいおもちゃを見つけた子供のように、楽しそうな弧を描く。
「……ふぅん、ならいいけど。そうだ、ねぇ聞いてよ久留生さん」
パッとこちらを向いた鹿子先輩は本当に楽しそうだった。
「こーちゃんって普段ヤンキーぶってるくせしてめちゃくちゃ甘党でね、コーヒーは苦くて飲めんって言うんだよ」
「おま……っ、渚!」
犬神先輩が焦ったような顔をする。けど、鹿子先輩はそれをスルーして「あとね」と続けた。
「商店街にある和菓子屋さん分かる? あそこの生クリームどら焼きがお気に入りで週に一回は食べてるし、好きな食べ物はタピオカとかパンケーキとか、可愛い食べ物ばっかり好きだし。あんな怖い顔してるのに意外でしょー?」
「……頼むからもう黙ってくれ」
犬神先輩はそれだけ言うとテーブルに突っ伏してしまった。でも、どうやら怒っているわけではなさそうだ。ピアスをつけた両耳が真っ赤に染まっているのがテーブルを挟んだこちらからでもよく分かるから。
照れてる、のかな。確かに、見た目とは裏腹に、少し可愛い人なのかもしれない。
それを見た鹿子先輩は満足そうな顔で笑っている。成海が言っていた二人はとても仲が良いという話は本当のようだ。この二人ならではの空気感があるような気がする。……なんだか微笑ましい。
「さて」
スーパージャンボカフェを一つとコーヒーを二つ、オレンジジュースを一つ注文したあとで私達は改めて向き直る。
「もう一度確認しておくと……久留生さんは〝見える〟んだね、色々と」
鹿子先輩の言葉に頷いたあと、私は簡単な身の上話をした。いつからだったか、右目だけ違う世界が移るようになったこと。この体質に困っていること。あれらについて、なんの知識もないこと。ときどき体調を崩すこと。
話している間、先輩達は茶化すことなく真剣に聞いてくれた。けど、私が〝見える〟のは右目のみということは、先輩達にとっても衝撃だったらしい。「本当に?」と何度も確認されてしまった。勿論、本当なので頷いたけど。
「────それで今朝、変なのに憑き纏われているところを犬神先輩に助けて貰って。先輩、あの時はありがとうございました」
ひと通り話し終えたところで犬神先輩に頭を下げると、「別に」というぶっきらぼうな返事と共に、そっぽを向かれてしまった。でもこの十数分のやりとりで、多分先輩なりの照れ隠しなんだろうということは理解できている。
「犬神先輩はああいうのを祓える人なんですか? それに鹿子先輩も……私、分からないことばかりで」
「あぁうん、そうだよね」
鹿子先輩は「どこから説明しようかなぁ」と呟いた。
「僕の実家なんだけどね、代々続く祓い屋なんだ」
「祓い屋……」
「そうそう。よく漫画とかに出てくるでしょ? 幽霊なんかと会話したり除霊したりする、あれね。ずっと昔は占いみたいなこともやってたらしいけど、まぁそれはどうでもいっか。で、僕はそこの次期当主」
自分自身を指さして、鹿子先輩は言う。
「さっきのあれも除霊ってことですか? そういうのって、厳かな儀式を執り行ったり、呪文を唱えたりするイメージがあったんですが……」
鹿子先輩は力技で捩じ伏せていたような。さっきの出来事を思い出しながらもそんな意見を述べると、鹿子先輩は「んー」と苦笑する。
「そういうのは信仰してる宗教にもよるんじゃないかな。僕の場合……と言うより、鹿子家は独特の方法でやってるねぇ」
そう言って、鹿子先輩はワイシャツの袖を捲った。刺青だろうか、白い腕には何やらびっちりと文字が書かれている。漢字とはまた違う、見たことがない字だ。一体どこの言葉なんだろう。読めない……。
「可愛くないでしょー?」
鹿子先輩は唇を尖らせるとワイシャツの袖を戻した。
「これのせいで僕、夏でも長袖なの! プールの授業もいつも見学! 困っちゃうよねぇ。でもこんなの見せたら、みんにドン引きされちゃうからさぁ」
「……確かに、男子高生がするにしては、ちょっと……いや、だいぶいかつい刺青ですね」
「でしょー? せめてもっとお洒落なデザインなら誤魔化せるのにねぇ。まぁ、まじないだから仕方ないんだけどさぁ」
「まじない、ですか?」
「要するに、久留生さんが言うところの呪文だね。うちは代々、腕に直接呪文を彫ることで、わざわざ唱える手間を省いてる感じかな。腕には、アイツらの動きを封じたり祓ったりする呪文が書かれてるんだよ。大物にもなるとこれだけじゃ心許ないから、もっと複雑なまじないを施すんだけど……さっきみたいな小物ならこれだけで十分なんだ」
すごい。タチが悪いと思っていたあの生き物でさえ、鹿子先輩からしたら小物扱いなんだ。
「でね! 僕って一族の中でもとりわけ霊力が強いらしくてさ、所謂幽霊とか妖怪以外にも生きてる人間の魂の色……僕はオーラって呼んでるんだけど、そういうのも見えちゃうんだよね」
そこまで言うと、鹿子先輩はじっと私を見つめる。優しい人なのに違いはないし、失礼だとも思うけど……私は先輩の、なんでも見据えていそうなこの瞳が、ちょっぴり苦手だ。なんて言うか、怖い。
「久留生さんを見た時、僕自身と似たようなオーラを纏っていたから、〝見える〟人かもしれないって思ったんだ」
思わず目を逸らしたものの、鹿子先輩特には気にしていないらしい。オーラの説明を続けてくれる。
「なるほど……?」
そう呟いてみたけど、実のところ頭の中はいっぱいいっぱいだ。この体質になって以来、私以外の見える人にすら会ったことがなかったのに、まさか祓うことができる人に会えるなんて。
────あれ? 鹿子先輩がすごい人だってことは分かったけど……なら、犬神先輩は?
私の視線に気が付いたのが、今まで黙っていた犬神先輩が「あー……」と声をあげる。
「別に俺自体には特別な力はねぇよ。見えてはいるが……一応。なんつーの、俺は渚の幼馴染兼用心棒みてぇなもんなんだわ。そいつ、肉体的にはクソほど弱ぇから」
「もう、こーちゃん! 口悪すぎ!」
鹿子先輩がぷくぅと頬を膨らます。それに対して「事実だろうが」と犬神先輩。
「つーか、お前こそ野郎のくせに後輩の前でいちいちカマトトぶんな。腹立つし可愛かねぇんだよ」
「えー、ひどーい」
「……えっと、でも犬神先輩も今朝、祓ってましたよね?」
話題がまたおかしな方向に向いてしまった。このままでは話が進まなそうなので、若干強引に話題を戻すことにする。
「あぁ、あれはコイツの力の一部」
どうやら無事に成功したらしい。そう言った犬神先輩は右腕を掲げてみせた。いかついデザインのそれはごく普通のブレスレットに見える。
「これにもその、まじないとやらがついているとかで、なんの力もねぇ俺でも追っ払うくらいならできんの。ま、渚の腕の奴とは違って、一時的に追い払う程度の弱っちい奴だし、実際に祓ってるわけじゃねぇから、気休め程度らしいけどな」
「じゃあもしかして、今朝のはまたやってくるかもしれないってことですか?」
「そうかもしれねぇけど、そこまではよく分からん」
「な、なるほど……それでその、用心棒って言うのは……?」
「そうだね、それは僕から」
ひと呼吸置いて、鹿子先輩がこう話し始めた。