記憶喪失の幽霊 参
結局、その日はなんの収穫も得られなかった。
日も暮れかけて来たので今日のところは一旦家に帰り、続きの散策はまた明日にしようと考える。それをシヅに告げると、寂しそうな顔をした。
「……うち、来る?」
自然とそんな言葉が出た。シヅはびっくりしたように目を見開く。それから小さな声で呟いた。
〈いいのですか……?〉
私は頷いた。
このままシヅと一緒に居ても大丈夫だと踏んでの判断だった。これをきっかけに何か思い出すかもしれないと考えたのもある。けどそれ以上に、自分自身にシヅを重ねてしまったことの方が大きかった。
私は生者だし、シヅは幽霊だ。置かれている状況も環境も、まるで違う。でも、つい最近まで〝見える〟ことへの理解者がおらず、ずっと孤独感を抱えていた私と、今まで一人ぼっちで町中を彷徨い続けていたシヅ────どことなく似てるなって思ってしまったのだ。
一人ぼっちじゃない時間を知ったシヅを、このまま暗い夜の町へと帰すのは忍びなかった。孤独というのがどんなに寂しくて怖いことか、私は知っているから。
〈えへへ〉
シヅは照れ笑いを浮かべた。
〈本当はシヅ、ちょっぴり寂しかったので……お誘いが嬉しいのです!〉
私も笑う。私が一緒に居ることで、少しでもその寂しさを埋めることができたらいいな、なんて、ちょっと恥ずかしいことを考えて。
△△△
「あら、おかえり」
家の玄関を開けると、お母さんが出迎えてくれた。今日はお父さんと隣町に出かけるって聞いていたけど、どうやら予定よりも早めに帰宅したらしい。
「部屋に居ないからびっくりしたじゃない」
「ごめんね、散歩に行ってた」
「もう体調は平気なの?」
「うん、お陰様で」
「それならいいけど……無理しちゃダメよ」
「ありがとう」
そんなやり取りをしながら家にあがる。そっとシヅの様子を伺うと、困まり顔のまま視線を泳がせていた。お母さんには見えないように、私はシヅに手招きをする。
「大丈夫だよ、上がっておいで」
〈……お邪魔しますなのです〉
きちんと挨拶をして、シヅも玄関をくぐった。私にしか見えていないのに随分と律儀な幽霊だなと思ったら、なんだか面白くなってしまい、私は小さく笑みを零した。
「夕飯できてるよ」
先にリビングに行ったお母さんから、そんな声が飛んでくる。私はそれに返事をして、手洗いうがいを済ませると遅れてリビングへ向かった。
「おぅ、おかえり」
テレビで野球観戦をしていたお父さんがこちらを振り返る。その手元にはビール缶。既に飲んでいるらしい。
「どこ行ってたんだ?」
「散歩」
「病み上がりなんだから無理するなよ」
「うん、そうする」
〈ふふふ、ママさんとパパさん、おんなじことを言ってるのです。仲良しさんですね〉
こっそりと耳打ちをするようにシヅが笑った。これには思わず、私も苦笑いを返す。
この体質になって以来、よくアイツらの瘴気に充てられては体調を崩していたせいだろう。私はどうにも、虚弱体質だと思われてる節がある。アイツらの特性について、私自身が特に言及しなかったことも重なってか、みんなすっかり心配性になってしまった。
アルバイトの件だって、「本当に大丈夫?」とか「危ない宗教じゃないの?」とかって、過剰なくらいに心配してくれていたもんね。まぁ、こっちに関しては、先輩宅の家業の手伝いで巫女みたいなことをする、とだいぶぼやかして説明したせいでもある。だって包み隠さずに説明したら絶対に反対されるもん。いや、アルバイトって言えば聞こえはいいけど、やってることは餌とか囮みたいなものだし……、反対されて当たり前なんだけどね。
そうしている内にお姉ちゃんも帰って来て、家族四人で夕食を摂る。その間、シヅはカウンターに飾られている家族写真を見たり、私達の雑談を聞いて笑ったり、ソファーで眠っているうちの愛猫────ササミを愛でたりと、自由気ままに過ごしていた。
「二階で勉強してくるね」
ご飯を食べたあと、私はまだリビングに居る家族にそう声をかけて自室へと向かう。その後ろからシヅが追いかけて来た。
〈おねえさんのおうちはあったかいですね〉
「……そう?」
〈はい、とってもあったかなのです! シヅは誰かとお話できないので、他の誰かと誰かがお話してるのを聞くのが好きなのですよ。おねえさんのおうちはみんな仲良しさんで、楽しそうにお話してるから……シヅも一緒に楽しくなるのですよ。知ってますか? 楽しくなると、心もポカポカするのです!〉
……と、シヅが言った、なかなかに照れ臭い台詞の中には、切なさも見え隠れしていた。今まで〝見える〟人に出会えず、他人と話すことができなかったぶん、シヅは会話に飢えているんだろう。そう察してしまった。
「私、今夜は夜更かしする予定なんだ。だから話し相手になってよ」
思わずそんな提案をした。シヅはびっくりしたように私を見る。それからクスクスと笑った。
〈……おねえさんは優しいですね〉
「そういうのじゃないよ」
〈いえ、とっても優しいのですよ。シヅを助けても、おねえさんはなんの得にもならないのです。けど、こうして〝おとしもの〟探しやお話に付き合ってくれてること、シヅは感謝しているのですよ〉
改まってそんな風に言われては気恥ずかしい。何か言おうと口を開きかけた時、コンコン、と部屋の扉がノックされた。反射的に押し黙る。
「環?」
お姉ちゃんの声だ。「何?」と返事をすると同時に扉が開かれて、お姉ちゃんが顔を出した。
「ちょっとコンビニに行って来るけど、なんか買ってくる物ある?」
「そうだなぁ……アイス食べたいかも」
「オッケー、何個か適当に買ってくるね」
そんな短いやり取りをして、お姉ちゃんが部屋を出ていく────直前に、またこちらを振り返った。
「さっきさ」
「うん?」
「誰かと話してなかった?」
「……成海と電話してたの」
咄嗟に嘘をついた。お姉ちゃんは納得したのかしていないのか、「ふぅん」と曖昧な相槌を打つ。そのあとで「まぁいいや」と笑った。
「じゃあ行ってくるけど」
「ありがと。気を付けてね」
そう言って、お姉ちゃんは今後こそ部屋を出て行った。それを見送ったあと、私はため息を漏らす。電話してた、だなんて、分かりやすい嘘をついちゃったな。お姉ちゃんが追及して来なくて助かったけど、絶対怪しかったよね……。
〈おねえさんのおねえさんも優しいのです〉
私達のやり取りを見ていたシヅが呟く。
〈実はシヅも、本当はきょうだいが欲しかったのですよ〉
その言葉に「え?」と違和感を覚えた。ってことはつまり、シヅにはきょうだいが居なかったってことだよね?
「もしかして、シヅって一人っ子?」
思わぬところで手掛かりにもなり得そうな発言が聞けた。と、思ったのも束の間。
〈うーん……覚えてないのです〉
シヅは首を傾げてしまった。あれ? おかしいな……。
「でもさっき、きょうだいが欲しかったって言ったでしょ?」
〈むむ……? 本当だ、確かにそう言いましたのです! すごいです、無意識だったのです!〉
シヅは興奮気味だ。けど、無理もないと思う。全部忘れているはずの自分の口から、自分の出生に関わりそうな事柄が零れたんだから。
それにしても……無意識化で漏らした言葉ってことは、やっぱりシヅには潜在的な記憶があるのかも。こんなちっぽけなことで何かを思い出しかけるなら、見覚えのある景色や人物が見つかりさえすれば、案外簡単に記憶を取り戻せるかもしれない。よし、そうと決まれば。
「明日も町中を歩いてみよっか」
〈はい! お散歩楽しみなのです!〉
私の言葉に、シヅはやっぱり無邪気に頷いた。あはは……。本当に見つかるといいんだけど……。