記憶喪失の幽霊 弐
私は女の子────便宜上シヅと呼ぶことにしたその幽霊と一緒に、町中を歩いてみることにした。
〈おねえさん、なんで耳に電話を当ててるのですか?〉
「こうしないと一人で喋ってる人みたいになるでしょ」
〈なるほどなのです。おねえさん、頭いいのです〉
スマホを耳に当て、いかにも電話をしていますというスタイルを装って、私はシヅと会話する。
それにしても……たとえ記憶を失っても、言語や名称は忘れないものなんだな、と思う。そのうえ今、スマホを見て電話だって認識したし。ってことはシヅはそこまで古い世代の幽霊じゃないのかも? 手掛かりと呼ぶには小さすぎる情報だけど。
「シヅはどのくらい前からここに居るの?」
〈うーん……忘れちゃいました! でも、たくさん夜を見たのです。ずっと一人ぼっちで寂しかったのですよ〉
「目が覚めたのはこの町の中?」
〈そうなのです。一番初めに起きた時は、おねえさんと会ったあの神社に居たのです〉
「なんで翡翠神社に居たの?」
〈お散歩の途中だったのですよ。シヅはいつも〝おとしもの〟を探して、あちこちお散歩してるのです〉
「町の外には行ったことある?」
〈分からないのです。けど、歩いているとバチッとなって、それ以上進めなくなるところがあるのです〉
「バチッとなるところ?」
〈見えない壁なのですよ。他の人は通れるのに、シヅだけ弾かれてしまうのです〉
色々質問をしてみても、記憶をなくしているせいか、得られる情報は少ない。唯一分かったことと言えば。
〈誰かと約束したのです。けど、誰と、どんな約束をしたのか……全部忘れてしまったのです。とてもとても大事な約束だったはずなのですが、記憶と一緒にどこかに落としてしまいました……うぅ、シヅは〝おとしもの〟だらけなのです〉
なんていう、またしても手掛かりとしては弱い情報だけだった。でももしかしたら、その〝誰かと交わした約束〟が未練となって、この世界に留まり続けているのかもしれない。
この仮説が合っているのなら、約束を果たしてあげることでシヅは成仏するんじゃないかな、と思う。でも、肝心な約束の内容が分からないとなると、今できるのは町中を散策することくらいだった。
シヅは〝おとしもの〟探しと称して、既にあちこち移動しているみたいだし、今更同じ道を辿ってもどうしようもない気もするんだけど。
〈次はどこに行くのですか?〉
記憶を刺激するための散策なのに、純粋にお散歩として楽しんでいるのか、シヅはワクワクとした面持ちで私に着いてくる。随分と楽観的だ。
まぁ、〝見える〟人に会ったのは私が初めてだって言ってたし、たくさん話したくなる気持ちも分かる。孤独は寂しいもんね。
〈あ!〉
商店街を探索中、突然シヅが大きな声をあげた。そして制止する私を振り切って駆け出して行く。
「ちょ、ちょっと待って!」
慌てて追い掛けると、シヅは和菓子屋の前で立ち尽くしていた。看板には和菓子屋 月夜の文字。コウ先輩が好きらしい、生クリームどら焼きが売っているお店だ。
「いきなりどうしたの?」
〈……シヅ、ここ知ってます〉
ポツリと呟かれる言葉に期待が高まる。
「もしかして何か思い出した?」
私の問いにシヅはキラキラと目を輝かせて。
〈ここのイチゴ大福、とっても美味しそうなのです!〉
声を弾ませながらそう答えた。……思わず頭を抱える。
「もう! 今は〝おとしもの〟探しの途中でしょ!」
〈ごめんなさいなのです。でも、でも……! ここのイチゴ大福、コロッとしてて可愛くて、キラキラしてて、とても美味しそうなのですよ! シヅはいつも、いいなぁって思いながら見ていたのです……〉
しょんぼりしてしまった。……そっか、シヅは他の人には認識されないから、買い物もできないのか。だからと言って私が買ってきたとしても、実体が無いシヅにはイチゴ大福は触れないもんね。
結局、私はシヅを慰めることしかできなかった。一丁前に「手伝う」なんて言っちゃったけど、実際にはできないことだらけで、改めて自分の無力さを痛感する。
やっぱり、私一人じゃどうにもならないのかな。先輩達は仕事中だろうし、体調を崩してアルバイトに穴を開けちゃったばかりだし、そもそも私が勝手に始めたことだしで、頼らないようにしようと思っていたけど……。こうも力不足だと、相談した方がいいんじゃないかって思えてくる。
そのためにはシヅのことも説明しなくちゃか……。うぅ、気が進まないなぁ。だった。
△△△
『うーん、僕は聞いたことがないかな』
幽霊は記憶喪失になるのかという質問に、電話の向こうのナギ先輩はサラリとそう答えた。
『亡くなったこと自体に気付かない幽霊や、自らの死を自覚しつつもまだ自我があることに混乱してる幽霊なら見たことがあるけど、まるまる記憶を無くしてるって事例には会ったことがないよ』
「そうなんですか……」
これで過去に前例があったなら、シヅの記憶探しの参考になるかなと思ったんだけど、あてが外れてしまった。やっぱり地道に町内を回って、記憶を刺激していくしかないのかな。
『……どうしてそんなことを?』
ナギ先輩の声色がワントーン下がる。……そりゃ聞かれるよね。元々相談するつもりで電話したんだ。ここは怒られるのを承知で本当のことを言おう。先輩はもう何かを察して、既に怒っているような気がするけど。
「えっと、実はですね」
私は大まかに今日の出来事を話して聞かせる。勿論、今もシヅが傍にいることも隠さずに伝えた。
「────ってことになってまして」
『ふーん、そっかぁ。幽霊とコンタクトを取ったんだぁ』『は? お前バカなの?』
スピーカーホンになっているのか、ナギ先輩の妙に間延びした声と一緒に、コウ先輩の呆れ返った声も聞こえた。
「ぐ……っ! で、でも、あんな悪意のない、純粋に困ってますって感じの目で見つめられたら、どうしても無視できなかったんです!」
『ンなこと言って、それがソイツの狙いだったらどうするんだよ』
ぐうの音も出ないほどの正論だ。
『まぁまぁ、そうやって正論を投げて虐めないの』
フォローと見せかけて、ナギ先輩も鈍い攻撃を打ってくる。いや、これは確実に私が悪い。もし、これでシヅが悪霊だったとしたら、今頃大変なことになっていたと思う。先輩達にだって迷惑をかけていただろう。
『でもねぇ、タマちゃん』
ナギ先輩は諭すように続けた。
『お人好しなのもいいけど、程々にしないと。それが過ぎれば単なるバカだよ』
優しい言い方をされると、それはそれで刺さるものがある。
「……反省してます」
『よろしい』
電話口でナギ先輩が笑った。
『まぁ今回は無害な幽霊っぽいみたいだから良かったけど、本当に気をつけてよね。ただでさえキミ、目立つんだから』
そう言ったあとで先輩は『ところでその幽霊ちゃんは今、どうしてるの?』と訊ねられる。私はシヅに目を向けた。
そもそもの発端となった彼女は、こちらの心労などまったく意に介していない様子だ。商店街のアーチ看板に止まる鳩に対し、笑顔で手を振っている。……気が抜けるなぁもう。
とりあえずありのままを伝えると、『ふっ』とどちらかが吹き出したのが分かった。
『本当に無害そうで安心したよ』
タマちゃんにも変化なさそうだしね、とナギ先輩は続けた。それは私も懸念していた点だけど、今のところシヅから瘴気のようなモノは感じない。多分、私への影響の方は心配しなくても大丈夫だと思う。それよりも、記憶に関する情報がほとんど無いことの方が心配だ。
シヅの言い分によると町の外には出られないみたいだし、この町と何かしらの関わりがあるとは思う。けど、ここの住人だったのか、或いは旅行で立ち寄っただけなのかは定かじゃない。スマホを知っている年代の生まれって言うのもあくまで私の予想でしかないうえ、それが合っていたところで亡くなった年代を正確に割り出すのも難しい。要するに、手詰まりだった。
「今もただ、町中を歩いてるだけで……正直なところ、手掛かりすら見つかる気がしないと言うか」
『それが遠回りだけど一番だろうね。まぁ、僕なら彼女を在るべきところへ帰せるかもしれないけど』
ナギ先輩が言い淀む。
『今回の案件、聞いていたよりも被害が大きくてさぁ、ちょっと時間かかりそうなんだよねぇ。予定では今日中には片付いて、明日の夕方には帰るはずだったんだけど』
「そ、それはつまり……」
『僕ら、しばらく帰れなくなっちゃった』
『……え』
再び、あてが外れた瞬間だった。