夢の中の不思議な喫茶店 陸
「────はっ!」
自分の呼吸音で目が覚めた。目の前にナギ先輩とコウ先輩の顔がある。
「来た!」
状況を把握するより先にナギ先輩は鋭くそう叫ぶと、私の背後に手を伸ばした。そして。
「さよう、ならッ!」
この間よりも幾分か力強く『お別れ』の挨拶をする。ナギ先輩に引っ張られ、私の背後から現れたのは────夢でも会ったあの老婆。夢の世界から引き摺り出されたソレは、憎々しげにこちらを睨みつける。けれど、ナギ先輩のまじないには勝てなかったらしい。
〈もう少しだったのに……〉
残念そうにそう呟いて、あっという間に消えて行った。
「……はぁぁぁぁ」
深いため息と共にナギ先輩がしゃがみ込む。それから私を見て、へらりと笑った。
「どうなるかと思ったけど……なんとかなって良かったよ。体調は大丈夫?」
言われて気付く。体が鉛みたいに重い。まるでプールの授業のあとのような、あんな感じだ。それに。
「すごい汗……」
全身くまなくぐっしょりと濡れていて、なんだか気持ちが悪かった。……うぅ、今すぐお風呂に入りたいかも。
「起きて第一声がそれかよ」
呆れたようにがしがしと頭を掻いたコウ先輩は、私に向かって手を差し伸べてくれた。その手に掴まって起き上がり、周囲を見渡す。どうやら私はパイプベッドの横で寝転んでいたらしい。
「そうだ、舞川さんは!?」
慌ててベッドを見遣る。布団に寝かされた舞川さんは毛布をかけられ────しっかりと寝息を立てていた。って言うことは。
「よ、良かったぁ……!」
私も舞川さんも、どちらも無事に帰って来れたらしい。
「タマちゃんの大手柄だね」
ナギ先輩はそう言ったあとに「無理させてごめん」と頭を下げてきた。……正直に言うと、びっくりした。ナギ先輩でも謝ったりするんだ、なんて、失礼な感想を抱くくらいには。
「危ない橋だとは分かってたんだけど、こうするしかなかったんだ」
「そ、そうなんですか」
「……なぁ、今回のコレ、やっぱお前んちでやってた方が安全だったんじゃねぇの?」
私の言葉を遮って、コウ先輩が言う。とても怖い顔をしていた。
「安全性で言えば、そうだね。うちでやった方が危険は無かったと思う」
「お前なぁ……タマは持ってかれかけたんだぞ? もっといい方法だってあっただろ」
「そりゃ僕だって散々考えたよ? けど、鹿子家でやればどうしたってアチラさんに警戒される。ましてや相手は夢の中にしか現れない引きこもりだ。だから相手の独壇場にわざと入り込んで、夢から引き摺り出すこの方法が一番早くて適切だったと思ってる」
「あ? 人命より早さが大事って言いてぇのかよ」
「そんなこと言ってないでしょ」
「言ったようなモンだろ。現に仲間の命を危険に晒したじゃねぇか」
なんだか二人の会話の雲行きが怪しい。もしかしてこのまま口喧嘩が始まる感じ? しかも私の処遇が原因で?
「ちょ、ちょっと落ち着いてください!」
放っておいたらどんどんヒートアップしていきそうな先輩達を必死で宥める。
「ほら、ここ人んちですし、そもそも夜ですし、舞川さんも寝てるんですよ? 起こしたら可哀想です、一旦落ち着きましょ、ね?」
先輩達は私に目を向け────、同時にため息をついた。
「タマちゃんってお人好しって言われない?」
「え? どうだろう、言われたことあったかな……」
「ふふっ」
ナギ先輩が笑う一方で、コウ先輩は「チッ!」と盛大な舌打ちをしてそっぽを向く。も、もう! そんな子供みたいなことして……とはさすがに言えない。
うーん、どうしたものかな。こんなことで喧嘩なんてして欲しくないし、なんとか仲直りして貰いたいんだけど……でも、その前にどうしても。
「あの、すみません。私、シャワーが浴びたいです」
またひとつ、大きなため息が聞こえた。
△△△
翌朝。
「ありがとうございました!」
舞川さんが元気よく頭を下げた。その顔色は昨日と比べて。だいぶ良くなったように見える。
「なんてお礼を言ったらいいのか……」
「いえいえ。僕はただ祓っただけですし」
見事なまでの営業スマイルを浮かべて、ナギ先輩は謙遜する。と思ったら、ぐいと背中を押された。
「それに、今回頑張ってくれたのはタマちゃんですから。舞川さんと舞川さんをつけ狙っていたモノを夢の世界から引っ張りあげたのは、他でもなく、タマちゃんですよ」
舞川さんは驚いたように私を見つめ、ニッコリと素敵な笑顔を見せてくれる。
「タマさんも本当にありがとう!」
「い、いえ……」
なんだか照れ臭い。〝見える〟だけで、なんの役にも立たなかったこの力が、誰かのために活かされることがある。それが分かっただけでも、今回のことは私にとって大きな糧になったなと思った。
「じゃあ、僕達はそろそろ。ほら、こーちゃんも行こう」
「……」
二人は結局、仲直りをしなかったらしい。ナギ先輩を無視して踵を返したコウ先輩は、さっさと歩き出してしまう。き、気まずい……。帰りの車の中、お通夜みたいな雰囲気だったらどうしよう。嫌だなぁ。
「あ、そうだ!」
帰りかけたところで大切なことを思い出した。私は慌てて引き返した。
「どうしました?」
舞川さんは不思議そうな顔だ。
「あの、多分、伝えておいた方がいいことがあって」
「私に?」
「はい。あの時見えたんです」
そして私は舞川さんにこっそりと耳打ちをした。
「────、ですって」
舞川さんの瞳が大きく開かれる。そのあと彼女は、泣きそうな顔で、笑った。